16.「妻とは親しいのですか?」
俺はソフィアと一緒のベッドで眠るという約束を取り付ける事ができた。
今日の夕飯の時でも彼女が本当に無駄を嫌う人間だという事が分かった。無駄なものを所有する事を贅沢だと思う貴族を相手に商売をしている彼女自身は真逆の精神を持っている。俺の中で不思議と彼女に対する尊敬の念が芽生え始めていた。手の届かないと思った女神が俺の妻になり、今隣で寝そべっている。
でも、この状況で手を出さないと言うのは本当に辛い。
(『初夜を待ってくれと言われたら、自分の手を縄で縛ってでも待つのよ』)
シェイラに言われた言葉を心の中で繰り返しながら必死に耐えた。
「ソフィア、手を繋いで眠らないか?」
「⋯⋯良いですよ」
ソフィアの細いのに柔らかい指が、手に絡まってくる。夢にまで見た光景に感動のあまり、今死んでも良いと思った。
それでも朝になると彼女は後ろ髪を引かれるそぶりもなく、仕事に行ってしまう。寂しさを紛らわそうと、俺は王宮に赴き第2騎士団の演習に参加する事にした。
深緑の第2騎士団の団長服に袖を通し、グリーントルマリンのカフスをつける。
愛するソフィアが選んでくれた品だ。
王宮に到着するなり、すれ違う貴族たちにに「結婚休暇はとらなかったのか」と問われた。その度に心が落ち込み、グリーントルマリンのカフスに触れて力を貰う。
日頃、厳しくしている成果もあり、自分がいなくても騎士団は問題なく真剣に演習していた。
「団長、結婚休暇だったはずでは?」
「お前たちがしっかり演習しているか、見に来てやったんだ」
妻が仕事に行って寂しくて来たとは、とてもじゃないが言えなかった。
しばらく何も考えずに剣を振って汗を流していると、ブラッドリー王子の補佐官が俺に近付いてきた。
「グロスター伯爵閣下! こちらにいらっしゃっているとお聞きして参りました。ブラッドリー王子殿下がお呼びです」
俺は思わず首を傾けてしまった。ブラッドリー王子と俺は会えば挨拶をするレベルの関係だ。
補佐官に連れられブラッドリー王子の執務室に行く間、ソフィアの店の濃紺に白いラインの入った制服を来た男女を何人も見かけた。胸にアルファベットの『S』に指輪が絡まったようなマークがあるから彼女の店の従業員で間違い無いだろう。
「グロスター伯爵閣下の奥様のソフィア様が王宮の使用人の教育の為に派遣してくださったのです。所作や仕事ぶりからも、最高級店のレベルの高さが分かりますよね。ブラッドリー王子殿下もソフィア様には大変お世話になっているので、閣下に御礼を言いたいと仰っていました」
補佐官が俺の視線に気が付いたのか状況を説明してくれる。なんだか自分の知らないところでソフィアが他の男と通じているようで嫌な気分になった。
扉をノックして執務室に入ると、黒髪に大きなサファイアの瞳をしたブラッドリー・マゼンダ王子が迎えてくれた。彼は第9王子ということで王位継承権争いには絡んでいなく、のんびり自由な性格をしている事で有名だ。荒波に揉まれていないせいか王族にしてはピュアな雰囲気を持っている。
「ブラッドリー・マゼンダ王子殿下に、アーネスト・グロスターがお目にかかります」
「まぁ、畏まらずにそこのソファーに座ってくれ。実はその濃紺のレザーのソファーはそなたの妻であるソフィア・グロスター伯爵夫人が今朝僕の元に送ってくれたものだ」
濃紺の革張りのソファーは明らかに最高級品だ。俺はこのソファーをソフィアの店のVIPルームで見たことがある。俺がソファーに座ると、王子自ら紅茶を淹れてくれた。あまり面識がなく知らなかったが、王族なのに随分と気さくな方だ。
「妻とは親しいのですか?」
「ソフィア・グロスター伯爵夫人と僕は何というか、何でも話せる仲だ。彼女は生意気だが頼りになるな。昨日、僕に言った事を今日には実行してくれた」
「昨日、妻がここに来たのですか?」
「そうだ。僕を支援する事を約束してくれた。朝から彼女の送り込んでくれた人材がよく働いてくれて、父上に初めて褒められてしまったよ。お陰様で王宮の人事権をしばらく預かることができた」
信じられない事にソフィアは昨日他の男に会いにいっていた。
深い海底に落とされたように、苦しくて息ができなくなる。
「妻がブラッドリー王子殿下のお役に立てたようで嬉しいです」
「結婚したばかりなのに、夫人を借りてしまってすまなかったな。彼女は男っぽいところもあるから、そなたとは合わないのではないか?」
「妻ほど女性らしい人はいないと思いますが」
なんだか腹が立って仕方がない。
失言の多い人物だとは聞いていたが、人の妻に対して失礼過ぎる。
ソフィアは俺にとって7年前から手の届かない女神のような人だ。
「何だか怒らせてしまったか? 男っぽいとは褒め言葉だぞ。仕事ができるところとか、若い相手の方が良いと思っているところとか男っぽいではないか」
「若い相手の方が良い?」
「大抵の男は女は若ければ若いほど良いと思っているだろう」
「自分は違います。妻は7歳上ですが、彼女以外の女性は考えられません」
「その割には多くの若い貴族令嬢たちと付き合って来たのだな。ふふっ、確かにソフィア・グロスター伯爵夫人が他の女性と比べられないのは分かるかな」
俺は殆ど接点のない彼にまで女性との噂が多い男だと思われていることに驚いた。
(ソフィアも俺の事をそう思っているんだろうな⋯⋯)
俺とブラッドリー王子は相性が悪いようだ。
このまま彼と会話していると、自分の凶暴なところが顔を出しそうで俺は机の上に飾ってある花に目を向けた。
「パープルのチューリップとは珍しいですね」
「シアン王国の客人が昨日置いていったのだ」
シアン王国はマゼンダ王国の隣にある国で、様々な花を周辺諸国に輸出している。花の名産国として有名で、カップル向きのリゾートでもある。大きな温室の植物園もあって、季節を問わず様々な花が咲き乱れている。中止にしてしまったが、俺はソフィアとシアン王国に新婚旅行に行こうと思っていた。
「そなたと会えて良かった。確かめたかった事も分かったし、気がつけなかった自分の感情にも気がつけたよ。お礼に何かプレゼントさせてくれ。今そなたの妻であるソフィア・グロスター伯爵夫人には非常に世話になっているからな」
挑戦的な目で見てくるブラッドリー王子はソフィアと深い仲だったりするのだろうか。自分の中で疑いが消えなくなっていく。
(『貴方が、特別に可愛いからよ』)
7年前に彼女に言われた印象的な言葉が脳裏に蘇る。
目の前のブラッドリー王子はあどけなさが残っていて俺の失った可愛さを持っていた。
「そのパープルのチューリップを1本分けてください」
俺の言葉に彼は花瓶から1本チューリップを徐に抜き渡してきた。
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