第1話 今は逃亡中
ハッピーエンドのファンタジー小説ですが、念のために残酷表現も有りになっています。ご注意ください。
ユーリーン・グルードは、急いで部屋に戻り自分の荷物をまとめていた。急がなければユーリーンの所属部隊の長、ランカンがやって来る。勘違い隊長が一緒に逃げて結婚するつもりだなんて、青天の霹靂の情報だ。敵兵どころか、味方の筈の隊長からも逃げなければならない。
ユーリーン・グルード、この物語の主人公。19歳の南ニール国生まれの女性だが、本当は親は敵国北ニール出で、魔法を使える魔人だ。ユーリーンは現在この国、南ニールの国民の義務である兵役中である。男性は4年半であり、女性は2年半、半年の訓練後に2年間兵士として、敵国北ニールとの国境の警備を務める。だが、この期間は平時の事であり、現在は北ニールと戦争中だ。男性は戦争が終わるまでは兵役は続くだろうし、女性もどうなるか分からなかったのだが、どうやら今日で皆、お役御免となりそうだ。
さっきの朝食時、なぜかいつもより少ない兵達なので、変だと思っていると、同じ班のリールが同部隊の仲間から聞いた話を伝えてくれたのだが、その事が頭の中でぐるぐる回っていた。
周りは配膳の雑音で騒がしかったが、それでも、リールは小声で聞かせねばならない事だったようだ。やっと聞き取れた内容はと言うと、
「グルード、ここに居るって事は知らないんだな。俺等は負けたってさ。まだ発表されてないけれど、昨日、南ニールの軍艦は南海で三隻全部沈没した。攻撃した北ニールの船は大した装備では無いはずだったけれど、そうではなかったらしい。あの軍艦には王太子のマルル殿下が乗っておられてさ。大人しく城にいれば良かったのに、溺れている所を北ニールの奴らに助けられて、捕虜になって、王も敗戦を認めたそうだよ。で、もう現在、北ニールの奴らが港に入って来ている。夜が明ければ勝者として上陸して来るぞ。この事は本当は俺等下っ端は知らない事になっている。だが、皆知っているよ。俺らのランカン部隊長が、大声でさっき会議室で怒鳴っていたのを聞いた奴が居てね。逃げるんだそうだ。自分ら上官だけでね。上官はきっと処刑されるからね。それで、お前を連れて来いと叫んでいただとさ、班長に。一緒に逃げるつもりだぞ。お前、ランカン好きだったの。俺知らなかったな。ひょっとして、奴と結婚する気だったのか。班長、二人だけで隣のセピア公国に逃れる気だと怒っていたらしい」
「冗談じゃない。あいつの妄想だ。いつも変な目で見ていたから、嫌な予感はしていた」
「やっぱりな。朝飯食えるだけ食って、平の兵士は皆、北ニールの兵が来る前に逃げる気だ。そういう事なら、お前、ランカンにも逃げた方が良いぞ」
「分かった、ありがと。でも班長来なかったな」
「ばか、とっくに逃げ出しているよ。もう部隊長の命令なんか聞くもんか。ほら、夜が明けて来たじゃないか。奴ら上陸して来るぞ」
そう言う訳で、ユーリーンは今日非番だったせいで、遅く食堂に来てしまい、情報を聞くのが他の兵士より遅れてはいたものの、大急ぎで荷物を持って車庫へ急いだ。ランカンに見つけられる前に、兵舎を出ることが出来た。だが、仲間の平の兵士は居なくなっている。出遅れた。軍の車は全て彼等が乗って逃げていて、無くなっていた。途方に暮れていると、装甲バイクが一台残っていた。昨日勤務後に、車庫前でこれを修理している技師を見かけていて、そのバイクだと思う。修理が終わった事は分かっていた。ついていると思った。他の奴は壊れていると思っていて、置いて行ったようだ。
門には見張りの兵士も居なくなっていた。夜が明けて明るくなって来たから、上官達だって逃げだした後かもしれない。ユーリーンは門をバイクが通るだけの隙間を開けると、バイクを走らせて逃げた。
ユーリーンとしてはツキを感じていた。皆と逃げていては、ランカンに見つかっていたかもしれない。面倒な事になるより、ひとりで別行動すべきだ。そこで、バイクで山に登る道へ行った。ユーリーンの所属していた南ニールの第3部隊は、先月までは最前線と言って良いような戦闘状態だったが、大河に沿った国境の橋を大砲で崩壊した後は、最前線は川下の第2部隊に移っていた。
少し山を上ると、下の方が見下ろせる場所があった。山肌の突き出た岩から、国境の大河を見下ろした。第3部隊が橋を爆破した後、また北ニールの魔人が新しい橋を作ることは無かった。ユーリーンとしては少し不思議だった。あの日の事を思い出していた。
レーダーの付いたヘビーマシンガン数機で、橋を渡って来た敵兵を昼夜を問わず撃っていたのだが、そのマシンガンの台座が全て崩れた。恐らく能力が上位の魔人が配属されたのだろう、魔法で崩されたのだ。それで台座無しのマシンガンは弾丸が飛び出る勢いでくるくる回り、味方の兵だろうが、敵だろうが、構う事なく撃ち抜きだした。第3部隊は、自分らの兵器にやられて自滅してしまったと言える。敵も負傷していたが。ユーリーンも足を撃たれ、物凄く痛くて、こっそり治癒魔法を使い、倒れたままでいた。いわゆる死んだふりだ。
そして様子を窺うと、敵も怪我人が多かったのか、撤退した。その後、怪我をしていない味方が、橋を大砲で壊した。だが、夜中にいつものように北ニールの魔人は橋をかけ直しはせず、最前線は川下の第2部隊の担当のグリーン橋に移った。そこでは橋を崩しても、魔人が一夜で元通りに橋を架けて渡って来て、戦闘はずっと続いていた。
南ニールの人達が魔族とか魔人とか呼んでいる北ニールの奴は実を言うと同じ人間であり、魔法が使える為、南ニールでは彼らをそう呼んでいた。遥か昔、ニールは一つの国だったが、北では魔力を持った魔法を使える人が多数生まれてくるようになって、袂を分かつことになったと言う事だ。南ニール国は隣国のセピア公国と国交を深め、セピアから輸入した現在での先端技術的武器を揃えて、北ニールとの戦闘に備えていた。ユーリーンの子供の頃から戦闘が続いている。きっかけは知らない。でももっと小さい頃、戦争はしていなかったと思う。というのも、ユーリーンの生みの母は北ニールの出で、父親とは離婚して、北ニール側に居る。黙っているが父親も生まれは北ニールかも知れないし、北に親類が居るのは確かだ。戦争が始まったのは最近と言って良いだろう。きっかけは知らないが。そして秘密なのだが、ユーリーンも少し魔法が使える。あの最後の戦闘でも、かなり大々的に自分に治癒魔法をかけた。魔法を使う者は南ニールでは忌嫌われるので、バレると大変だから、よほどのピンチでなければ魔法は使えない。めったに使わないので、ユーリーンは家族にも知られていないと思っている。教えられた訳でもなく、ただ治って欲しいと思うと、治っていた。習わずに、この治癒魔法を使う事の出来る人は、ほとんど居ないだろう。本人は知らない事だが。
そして、ユーリーンは眼下に見える大河を見ながら、逃げるなら、実の母のいる北ニールに逃げて、母を探そうと思っていた。家に帰る心算は無い。それと言うのも最近電話で、母親の違う五つ下の弟リューンが、父親の会社の業績が悪く、リューンの母の実家の義兄から融資してもらっている。返金出来るとは言えない状況で、それで父親は、その義兄の長男カイザーとの婚約を、本人ユーリーン抜きで約束したと言っていた。カイザーと言えば既に彼女ビリジアニが居たはずだが、と弟リューンに問うと、その娘はカイザーの親が気に入らないと言って反対したそうだ。
こうなっては、兵役が明けても家に帰る訳にはいかないと思うユーリーンだ。カイザーは学校では一つ上の学年に居た義理の従兄だ。その彼女と二人で事在るごとに、ユーリーンは虐められていた。そんな結婚話はご免である。
大河を見ながら、ユーリーンはもう少し山深く行った先、大河の源流近くにバイクがやっと通れるくらいの小さな橋が架かっていると噂で聞いたことがあり、そこへ行ってみようと思った。もし、橋がみつからなくても、もっと上流に行けば渡れる所があるのではないかと思うのだった。
少し休憩した後、ユーリーンは出発した。母が何処に居るかは知らないが、以前、父の親類らしい北ニールの人から、父に手紙が来ているのを見たことがあり、名前と住所は記憶していた。手始めにそこへ行ってみる事にした。手紙が来るのだから、きっと行けば泊めてくれると思う。
途中で私服に着替え、およその見当を付けて川に沿って山道を行くと、難なく小さな橋を見つけて渡った。だが、渡ってみると残念な事に、そこは魔物の住処が近い事が分かった。何故かユーリーンはそれを感じるのだった。北ニールには魔物が住んでいて、その討伐には魔法が必須だった。それで北ニールには、魔人と言われている魔法使いが多く存在するのだろうと思う。南ニールには魔物はいない。かなり昔、セピア公国の技術で作った猟銃で魔物を撃って駆除し、魔物が北へ逃げて行ったからだ。魔物はどうやら銃が苦手らしく、大河を境にして、南ニールに住む魔物は存在しなくなっていた。ユーリーンは自分の配給されている銃は持って逃げて来ているが、どの位の大きさの魔物か分からないので、出会わなければ良いがと思いながら、バイクで急いで山道を下った。山を下っているつもりだったが、いつの間にか山奥に迷い込み、何だか違う山を登っている感じになったのに気が付いた。
「これは、迷ったって感じだな。困った。こっちは山奥に行くみたいだし、引き返して、元の場所に帰るのも何だか馬鹿らしいし。分かれ道とか無かったかな。気が付かなかったけど」
困って独り言を言うが、行き当たりばったりでやって来たのは分かっているので、段々後悔してきた。
しかし考えてみると、道はちゃんとあるのだから、この辺りを誰かが通っているはずで、こっちで間違いはないのではと思った。他にどうしようもないので山道を登っていると、初めて魔物を見る事となった。カーブを曲がると、10メートル程先の道の真ん中に、鱗をまとった黒々とした奴が居て、ギョッとしてバイクを止めてしまった。そのままバイクで前を付き切る事など出来ない。大きさは人間とほぼ似たような感じである。2メートル前後だろうか。
「これって、小さいみたいだな」
ユーリーンは魔物と言えばもっと大きいと思っていて、子供の魔物と言うのが居るとすればこんな感じでは無いかと思った。こいつを殺して、もっとデカい親みたいなのが怒って現れたらと思うとぞっとした。
動けずに睨み合っていると、悲しい事に、予想通りと言えるかもしれないが、もっとデカい魔物が茂みから出て来た。3メートル以上は有ると思える。とっさにUターンして猛スピードで逃げ出した。ユーリーンは自分でも、これが正解かどうかは分からなかった。銃で撃つべきだったかもしれない。もしも魔物がバイクより早く移動できるなら、追いかけられたらお手上げである。後ろから襲われるかもしれない。でも前から襲われるよりは、ましなのではないだろうかと思った。分からないうちに、あっという間に意識が無くなる事を願った。
かなり走っても意識が無くならないので、追いかけられていないのではと思った。追いかけて来ないとは、奇特な魔物と言える。
とうとう元の小さな橋の所まで逃げ切り、恐る恐る後ろを見ると、やはり居なかった。やれやれだが、これでは元の木阿弥である。
「一本道だったよな。分かれ道なんか無かった」
すっかり途方に暮れたユーリーンである。ぼやぼやしていると日が暮れてしまうだろう。川に沿って行くしかないが、そうなるとバイクが邪魔だが、山から下りれば必要になるのは分かっていた。
仕方なくバイクを押しながら、岩だらけのでこぼこした川淵を進む。時間は過ぎるばかりである。すると先の方に、年輩の男性が居て、こちらをじっと見ているのに気付いた。南ニールの軍服は棄てておいて良かったと思うが、話し方が南の言い回しなので、お里が知れるかもしれない。少し困ってきた。近くに行くと、
「お嬢ちゃん、こんな山奥に一人でツーリングかい」
にっこり話しかけられたが、警戒して黙って頷いてみた。
「もうすぐ日が暮れるよ。その様子では明るいうちに麓には行けまいな」
「・・・・」
「この辺りは魔物が住んでいるからね。危ないよ」
頷いて同意した。
「わしの家に泊めてあげようかな」
思わずにっこりしてしまった。
「おや、お嬢ちゃん、そのお顔は見たことがある気がするんだが」
ユーリーンは目を瞬かせる。その人は、少し厳しげな顔をすると、
「どうやらお館様の親類の方のように思えるが、お名前は?」
「ユーリーン」
ひぇーという顔をしたその人は、
「やはりそうだったか、ユーリーン様。お館様の所へ連れて行くから少し目を瞑っていてください」
ユーリーンが素直に目を閉じると、その人は移動呪文らしき言葉を唱え、ユーリーンをバイクごとそのお館様と言う人の所へ空間移動した。