第七話 いざ敵陣へ
王城へ降り立った不可思議な馬車へ、門前の衛士たちは警戒することもなく、逆に槍を立てて敬礼する。
「ヴェスティア・ナーゼス様ですね、本日はパーティの参加、ということで宜しいでしょうか?」
アムルの手を取って馬車から降りるベスティアへ、衛士の一人が尋ねた。
それに、門前払いされないかドキドキしていたヴェスティアは、ゆっくりと頷く。
「はい」
「承りました。事情は魔女様より伺っております」
「大変でしたね、本当に」
相方の衛士のしみじみとした言葉に、ヴェスティアは目を瞬かせた。
と、そこで頭上から降りてくるのは、箒に横座りしているノエスである。
「遅かったね、先に話は通しておいたよ。もちろん、王と王妃にもね」
「え」
「さて、それじゃあたしらも入るとするかね。ほら、とっとと行くよ」
無造作にノエスに手を取られ、ぐいぐいと進んでいく。
背後でブブルが別れの挨拶を告げて煙と共に去っていくのが見えたが、答える余裕はない。
(ど、どうして在野の魔女様なのに、国王陛下へお話が……?)
などという疑問は紡がれる事はなく、そのまま見慣れた前庭を通り過ぎ、王城へと入る。パーティ会場は右手の大広間だろう。
入口の外には、パーティから抜け出して休憩している人影がチラホラといるのだが、その誰もがノエスとヴェスティアを見て目を丸くしている。どだい、パーティの正装とは言い難い格好なのは自覚していた。
会場の入り口前で、ノエスはようやく手を離して、振り向く。
「いいかい、ほとんどの告発はあたしがやってあげるよ。あんたがすべき事は、あのボンクラと父親をぶん殴ることさね」
「い、いいんでしょうか、陛下の前でそんな事をして……」
「言っただろ? 上に話はつけてあるって。せいぜい、調子に乗ってる奴らには吠え面をかかせてやりゃいいのさ。さ、やるからには思いっきりやるよ」
ノエスがアムルへ目線を向ければ、美青年は無言でヴェスティアへ腕を差し出す。パーティらしく、文字通りのエスコートという事だろう。少しだけ悩んでから、ヴェスティアは相手の腕へ手を添えた。
そして、ノエスが煙管を一振りすれば、会場の入り口は音もなく一人でに開かれる。
会場の熱気がブワリと溢れ、さまざまな匂いに包まれる。
そしてパーティとは思えない静かなそこで、一人の声だけが響いていた。
「……以上のことから、長らく俺の婚約者であったヴェスティア・ナーゼスとは婚約破棄を行う! そして新たに、アイシャ・ナーゼスとの婚約をこの場にて発表する!」
その声にヴェスティアは固まり、同時にザワザワとざわめきが会場から溢れ出した。
広々とした会場、そこに佇むのは数多の貴族たちと、その子供たち。
そして王と王妃が座る壇上の上では、ステージのように演説を広げるアルストールと、寄り添うアイシャが居た。下段のすぐ傍に佇む父親は、満足そうに頷いている。
それを見て、ヴェスティアは黒い感情に支配されるように、睨めつける。
「以上のことは決定事項である! 異議のある者はこの場にて声を上げられたし!」
王が沈黙している時点で、それは王が認可した事項だ。それに声を上げられるような人間は、ここにはいない、
「異議ありだね!」
はずだったのだが。
静かな、されど不思議と響き渡る声に、一瞬で騒音が消えた。
皆が視線を巡らせる先にいるのは、場違いな風態の白髪の老婆。
当然、それを目に入れたアルストールは、不快げに顔を歪めた。
「なんだ貴様は! どこから入ってきた!」
「真正面からだよ、もちろん招待状は貰ってる。王妃直筆の招待状に何か異でも唱えたいのかい?」
「なに!?」
ヒラヒラと手紙を振るノエスへ、アルストールは信じられない様子で王妃へ振り返る。
座する王妃は、常のような笑みを広げて、こちらへ口を開いた。
「お久しぶりですね、ノエス。面白い催しがあるとお聞きしましたが」
「退屈はさせないと約束するよ、スヴェアノーラ。あんたが気にしていた、あの子のことで物申したい」
「認めましょう」
「なっ!? 母上!?」
王子そっちのけで会話を始めた母親へ、アルストールは非難するように声を上げるも、王妃は一顧だにせず言う。
「疚しい事が何もなければ、異を唱えられたところで問題はないでしょう? アルストール」
「で、ですが……あのような見窄らしい格好の者へ、何故に……!」
「おや、あんたは見てくれだけで相手を判断するのかね。そりゃまた、随分と節穴なこった」
「な、なにっ!」
思わず目を剥く王子を気にもせず、ノエスは堂々と煙管を吸いながら、背後のヴェスティアへ親指を向ける。
「あんたが主張していた、ヴェスティア・ナーゼスの手による悪行の数々。あたしはそれを嘘だと断言しよう」
「なんだと……! それに、そこにいるのはヴェスティアか! さてはヴェスティア、お前がこの老婆を金で雇って婚約破棄を有耶無耶にしようとしているのだな!」
「まあ、お姉さま! なんてことを……」
「この我が家の恥晒しが! 勘当という温情すらも無駄にしようと言うのか!」
三者三様の喧々諤々とした罵倒の嵐に、ヴェスティアは思わず眉を顰めた。
それを聞いていたアマルは、心底からどうでも良さそうに口を開く。
「うるさい下等生物どもだ。ノエス、食い殺していいか?」
思いの外、透き通った声色に、一瞬だけ広場が静まり返る。
が、それにはノエスが面倒臭そうに煙管を振った。
「ダメだよ。終わったら考えなくもないけど、まだ食べるんじゃないよ」
「な、な、なんなんだそいつは……! た、食べるだと!? いったいどんな野蛮人が」
「……ったく、いいかげんピーピーとうるさいよ、ボンクラ王子が」
唐突なボンクラ呼ばわりに、悪口に慣れていないアルストールは思わず絶句したようだ。
ノエスは心底から呆れたように首を振ってから、腕を振り上げる。
「じゃあ、そろそろこちらの正体を明かしてやろうかね。あたし達が誰なのか、とくとご覧」
パイプから溢れた黒い煙は、竜巻を起こしたように二人を覆い尽くした。
思わず手を離したヴェスティアが腕で顔を覆った次の瞬間、
「……え」
目を開いたヴェスティアの真横に、オレンジと赤のグラデーションを描く、身の丈以上のドラゴンが鎮座していたのだ。
それはグルグルと喉を鳴らしながら、何処ともしれぬ場所を睨め付け、鼻で笑う。
「さて、こちらの姿は久しぶりだ。それじゃ、改めて自己紹介でもしようかねぇ」
先ほどまでの嗄れた声ではない。
艶やかな若い女の声は、先ほどまでノエスが居た場所に悠々と出現していた。
波打つほどに豊富な艶のある黒髪。
瑞々しく皺一つない体に、扇情的な黒のドレス。
誰もが見惚れそうなほどに美しい容貌と、異彩を放つのは輝ける黄金の瞳。
長い煙管を咥える美しい女は、悠然とした口調で告げた。
「ゼータシア王国顧問魔女、スノ・ノエス・セラ=ラライア・アマルティア・ヴェナ。人はあたしを『黄昏の黒管にして煙竜の魔女』と呼んでいる」
一拍の後、ヴェスティアは胸中で絶叫していた。
慌てて隣を見上げれば、今頃気づいたのか? と言わんばかりのドラゴンの瞳と目が合った。明らかに馬鹿にしている。どうして教えてくれなかったのかと睨め付けても、素知らぬ顔で欠伸などされてしまった。
そんなこちらを見ながら、含み笑いで魔女は続けた。
「そいつはあたしの使い魔、夜明け竜のアマルティス。その気になりゃ太陽を消すことが可能で、かつてこの国に侵略してきた暴れ者の赤竜を単身で下した実力を持つ。……さて、これであたしがここに居てもいい理由が、わかっただろう?」
余裕たっぷりに言い放てば、誰も言葉を発せずにいた。
今まで王族の前にしか現れないと言われていた黒髪の魔女が、難事でもないこのような場所に現れたのだから当然だ。
驚きの次は、どうして彼女が出てきたのかという疑問が、見ている者達の間に広がっていく。