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第一話 クソッタレな婚約破棄


「ヴェスティア、お前との婚約は破棄させてもらう事にした」


 あまりにも唐突で素っ頓狂なそれに、告げられた黒髪の少女、ヴェスティア・ナーゼスは頭を下げた格好のままに固まった。

 頭上から降るのは、こちらに興味も見せない美麗なこの国の第一王子、アルストール。金の髪に青い瞳、白馬に跨ればさぞかし似合いそうな貴公子は、されどそれとは真逆な事を宣った。

 それどころか、側に控える少女を愛でるように髪へと指を滑らせている。

 仲睦まじいそれに、ヴェスティアは真っ白な顔を上げつつも、無感情な口調で問う。


「殿下、それはいったい、どういう意味でしょうか」

「意味だと? そのままだ。お前では俺とは不釣り合いだと、そう言っているのだ」

「ですが、この婚約はお父様、伯爵閣下と王家との契約であったはず。勝手な破棄など……」

「ああ、うるさい女だなお前は。やはり口うるさい女なぞ傍に置くべきではない。そうだろ? アイシャ」

「はい、殿下」


 王子が肩を抱き寄せる少女、ヴェスティアと違って丁寧に編み上げられた黒髪と金の瞳を持つ愛らしい少女は、笑みを広げて口を開く。


「お姉さま、お姉さまはやり過ぎたのですわ。まさか、わたくしを殺そうとなさるなど……そんなにもわたくしを恨んでいたのですね」

「恨む、とは? アイシャ、私は別に貴女のことを恨んでなんて」

「嘘よ! そうでなければ、わたくしを階段から突き落とそうとするはずがありませんもの!」


 金色の瞳を潤ませ、悲しげに顔を覆ってしまう。家でも見慣れた、いつも通りの演技。

 それに、アルストールが悲しげに囁く。


「もう泣くな、アイシャ。お前の悲しみは、俺にも痛いほどわかる。親族が殺人未遂を犯すなど、しかもそれが義理とはいえ慕っていた姉などと知れば、傷つきもするだろう」

「……殿下。私はアイシャを突き落とした覚えなどありません……勝手にアイシャが階段の傍で転んだだけで……」

「まだシラを切る気か! 既に証言は揃っている……傍で見ていた生徒達は、お前が妹を突き飛ばしたのだと口を揃えて言っていたのだぞ!」

「そんな」


 馬鹿な、とは口には出せなかった。最近の学園での風潮、アイシャの周りの狂信ぶりを見れば、それくらいの捏造はするだろう、という妙な確信はあった。

 思わず口を閉ざすヴェスティアへ、それ見ろと言わんばかりにアイシャが捲し立てる。


「わたくしは、例えお姉さまが不義の子であっても決して差別など致しません! なのにお姉さまは何かにつけてはわたくしを苛めて……きっとお姉さまは嫉妬でどうかしてしまったのですわ!」


 どうかしているのはそちらだろう、とヴェスティアは呆然と思った。


 唐突に現れた、ナーゼス家の正妻の子だと名乗る子供。正妻の子であるはずのヴェスティアを押し退け、何故か屋敷に住み始め、当たり前のように居座るようになった、血の繋がらない妹。ヴェスティアと同じ、十五歳の見知らぬ娘。

 曰く、出産時の産婆の画策で入れ替えられたと主張するアイシャに、何故か父は当然のように頷き、ナーゼスの名を名乗る事が許され、あまつさえ王立学園へも通うようになった。

 自身の婚約者や周囲の生徒らを次々と籠絡し、仲睦まじくし始めたそれに眉を顰めた事はあったが、苛めた覚えなど一切ない。

 だというのに、古参の使用人から実の父まで、それが事実であるかのように白い目を向けられ、辛く当たられた。

 何かがおかしいと思ったのも束の間、気づけばこうして婚約まで破棄されていたのだ。

 ヴェスティアは思わず眩暈がしたように後ずさる。


「まあ、そう言うわけだ。本来、お前を極刑に処す方が道理なのだが、特別に国外追放で収めてやろう。我が国王陛下に感謝するのだな。もちろん、陛下はお前との婚約破棄を了承済みだ」

「お、待ちください……父は、伯爵閣下は、」

「あら、お父さまは当然のように頷かれましたよ。実の娘はわたくしだけだから、不義の子のヴェスティアなどいなかったも同然だ、と」


 つまりは、見捨てられたのだ。実家から。

 目の前が真っ白になるヴェスティアへ、王子は不敵に笑みを広げながら宣言する。


「お前の悪行の全ては明日、王城で行われる卒業パーティにて暴露する。そのまま婚約破棄を宣言し、お前は国外へ追放となる。今日中に荷物をまとめておくのだな」


 そうとだけ言い、王子はカツカツと部屋から出ていく。

 その背を追いかけ、アイシャはくすくすと笑みを浮かべながら。すれ違いざまにヴェスティアへと囁く。


「お可哀想なお姉さま、王子様にも実の父親にも見捨てられて。貴女、よっぽど好かれてなかったのですね」


 心当たりがあり、ヴェスティアは思わず唇を噛む。

 元々、家同士の契約結婚だ。王家との婚姻の為に出される花嫁であり道具でもあるヴェスティアへ、父は最初から冷たい態度を取っていた。

 同じように、アルストールもヴェスティアへは無関心で、花のひとつも贈られた事がない。週に一度、会いに行く時だって、長く待たされるくせに十分程度で追い出されるのが常だった。

 それを知っているのか、アイシャはニタリと張り付くような笑みを広げた。


「残念ですけど、この世界はわたくしの為にあるの。悪役の貴女はさっさと退場なさってくださいね。ああ、死にたいのならいつでも申し出てください。断頭台の用意はさせておきますから」


 暗く澱んだ笑みを吐きながら、アイシャは去っていく。

 その背へ何かを言うこともできず、ヴェスティアはジッと睨むように見送ることしかできなかった。



  ・・・



「よくもおめおめと顔を出せたものだな、この人形が」


 屋敷に帰って早々、出迎えた実父は鬼のような形相でこちらを睨めつけた。自身を捕らえるかのような使用人たちは、ヴェスティアを包囲して両腕を拘束している。皆、まるでゴミでも見るかのような目だ。


「お父様……これはいったい」

「口答えをするな! いいか、貴様の所業はアイシャから聞いた、まさか妹を殺そうとするとはな。やはり貴様なぞ十年前に殺しておくべきだった」


 既にアイシャの手が回っていたようだった。


「違います、お父様。私はアイシャを殺そうとした事実などありません」

「ではなんだ、貴様はあの可愛らしいアイシャが嘘を吐いていたとでも? この人形が! 育ててやった恩も忘れてそのような嘘を吐こうとはな。やはり貴様はゴミクズだ! 二度とこの家の敷居を跨げるとは思わんことだ!」

「きゃっ……!」


 使用人の手によって引きずり出され、雨が降る門前の道路に放り出された。

 泥水に浸かる目の前で、ガシャンと門扉が無情にも閉じられる。向こうでは、こちらを見て嘲笑う使用人たちの声が聞こえてきた。

 長らくそこで座り込んでいたが、しかし扉が開く気配もなく、徐々に冷えてきた体を抱えてゆっくりと立ち上がる。水が染み込んだドレスは重く、ふらふらと体が揺れてしまう。


 そしてヴェスティアは、当て所なく王都の街路を、着の身着のままで歩く。行き先など何処にもなく、通り過ぎる馬車は振り返ることもない。

 雨が降り、泥水に塗れた今の姿は、到底、伯爵令嬢だと言っても信じてもらえるとは思わないだろう。


(……どうして、こうなってしまったのかしら)


 身銭一つなく雨宿りもできない中、脱げた靴を拾う気力もなく、胸中で呟きながら自身の半生を顧みる。


 ナーゼス家での生活は、お世辞にも良いものとは言えなかった。路上で生活することに比べれば、毎日食事が出て庇のある場所で寝られるだけでも贅沢ではあろうが、人間扱いされないそれは、まさに奴隷のようなものだった。

 五歳から十歳まで、ヴェスティアは屋敷の離れのボロ小屋の中で生活していた。理由としては、五歳の頃に厳しい教育を嫌だと言い出したヴェスティアの我儘が発端だ、と聞かされている。

 父がどこからか拾って手をつけた女性が自分を産み、その人は屋敷の奥に隠されるようにして正妻となった。挙式でも決して顔は見せず参列者を面食らわせたという彼女は、姿を見せないままヴェスティアを産むと同時に亡くなった。

 そのような出生からか、ヴェスティアの屋敷の中の地位は、使用人よりも低かったのだ。不義の子のように隠され、平民のようにボロ小屋で貧乏な暮らしを強いられ、お仕着せの古着だけが与えられる。たまにやって来る父は躾と称して詰り、蹴り、痛みだけを残して去っていく。


「お前は人形だ、私の言うことを聞くだけの人形。定型句以外の返答は許さん、余計な発言にはこうして躾けてやる」


 何が彼をああまでして突き動かすのか、父親はどこまでもヴェスティアを人形のように扱った。打身程度の強さで行われるも、受ける痛みと恐怖によって、ヴェスティアはだんだんと感情を閉ざしていった。

 唯一、礼儀作法や教育だけは行われたが、家庭教師は厳しい貴族の婦人方で、愛想もなく無感情で常識すら怪しいヴェスティアを、たいそう訝しんだようだ。

 故に、婦人会などのお茶会ではもっぱら、ヴェスティアは頭の足りない娘として噂に登っていたようだ。


 そんなヴェスティアの生活が一変したのは、十歳になってから。王家との約束に則って、正式な王妃となるべく、教育が開始されたのだ。

 その約束とは、魔女の血を残すしきたりの様なもの。

 曰く、この国では『金の瞳の子供は王家へ嫁ぎ、偉大なる魔女の血を残すべし』という、古くから存在する言い伝えがある。

 

 ここで言う魔女とは、この国を建国した初代王の友にして、竜を従えし黄昏の魔女の事である。彼女は毒婦の如き美貌を持つ、黒髪金眼の女性であったらしい。

 その魔女の血を引く者の中に、稀に金の瞳を持つ者が生まれる。魔法は扱えないが、珍しい先祖返りのその色は、血の濃さを証明するには十分だ。

 だから、特異な魔女の血を絶やさぬために、そのような言い伝えを残していたらしい。


 そんな言い伝えが現代まで残っており、だからこそ伯爵家でありながら王太子の婚約者となれたのだが。


(……初めて、アルストール様とお会いした時の事……今でも思い出せるのに)


 余計な事は言うなと厳命されながら、ボロ小屋から立派な屋敷へと連れ出され、外の人と会う時のように立派なドレスを身に纏って、見たこともない王宮へと馬車で向かった日。

 全く見知らぬ場所の、全く見知らぬ豪華な部屋の中、出会った少年は絵本の中の王子様のように美しかった。

 青い瞳を細めてこちらへ笑いかける彼に、ヴェスティアは一瞬で心を鷲掴みにされた。

 いわゆる、初恋であった。


(なのに、アルストール様は……表には出さなくとも、私を疎んでいたわね)


 王妃様と顔を合わせる厳しい教育の合間、週に一回は会うように言われ、しかし大半の時間は応接室で待つ時間の方が多かった。忙しいのだと理由をつけられ、しかしそのくせ帰そうともしない。

 次第に王宮の者達からは陰口を叩かれ、嘲笑の的になっていた。

 今思えば、あれもまた一方的な婚約話に義憤を感じた誰かの仕業だったのかもしれないが、しかしアルストールもそれに乗りかかるように無視していた。王妃様や妹君の苦言に改善する兆しもなく、ヴェスティアはだんだんと諦めていった。

 アルストールはいつも、自分の意見を肯定する者たちしか側に置かず、女性を見下す発言が多かった。だからか、家族であっても女性の声を聞く事はないのだろう、と、外様のヴェスティアですら気づいていた。

 会話も少なく、贈り物は一つもされたことがなく、パーティでもエスコートなどされず、いつも輪の外で佇んでいた。他の女性と踊る彼へ声をかけるも、邪険にされるように逃げられ、やはり周囲から嗤われる。

 それに王妃様が何か言おうものなら、アルストールは王様へ泣きつき、結果として王妃様は黙る羽目になる。賢王とまで呼ばれる王は、衆目の中にも関わらず、女が口出しするなと言い捨てていた。

 その背を見送る王妃の悲しげな姿に、ヴェスティアは申し訳ない気持ちでいっぱいになったものだった。


 そんな、もはや慣れきった日常に、唐突に現れたのは、あの見知らぬ少女だった。


『はじめまして、お姉さま。実を言いますと、わたくしが正妻であるお母様の本当の娘だったのです。だから、お姉さまの全ては、わたくしの物ですの』


 出始めにああ言われた時の心境を、今でもまざまざと思い出せる。出会って早々に理解できない妄言を吐く相手への対応を、ヴェスティアは知らなかった。

 しかも、周囲はそれを否定するでもなく、むしろ喜々として肯定するのだ。実の父ですら同じそれに、ヴェスティアは理解できない恐怖を抱いた程だった。

 その日から、周囲の風当たりは更に悪化した。

 使用人から物を隠されたり、壊されたり、風呂をぬる湯どころか水にしてから呼ばれたり、影から小石をぶつけられたことも枚挙に(いとま)がない。

 それは学園でも同じであり、アイシャが来る以前からそれとなく苛められていたヴェスティアの立場は、彼女が現れてから更に悪化した。アイシャの嘘がいつの間にか本当のことにされ、何を言っても非難され、否定される毎日。家でも学園でも、心休まる日が来ない。

 ドレスを水びだしにされてから、馬車も無しに屋敷へ帰る惨めさは、今でも思い出せる。


 とはいえ、雨の中を裸足で彷徨う今もまた、似たような物だったが。


「…………なんだか、疲れたわね」


 ずっと抑圧され、振り回され続ける人生だった。誰かの都合で生かされ、そして捨てられる。自分の価値などその程度の代物なのだと、改めて突きつけられた気分だった。


 そしてそれを後押しするかの如く、ヴェスティアの眼前に、複数の覆面男たちが立ち塞がった。

 誰も彼も、こちらへ向けるように恐ろしい武器を手に持っているのだ。


「ヴェスティアだな? 悪いがここで死んでもらう」


 嗚呼、神様とはどこまでもクソッタレな存在のようだ。

 襲いかかる男たちが、ヴェスティアを捕まえて抵抗させぬように、地面へ組み伏せる。

 濡れた地面に体が震え、噛み締めた口の中では、砂が硬い音を発した。


 このまま死ぬのだろうか。


 それも、悪くないかもしれない。


 そんな事を思いながら、頭上で首を斬り落とそうと剣を掲げる男を見つめ、暗く自嘲気味に笑って目を伏せる。

 頬に流れたそれは、果たして雨だったのか涙だったのか、彼女にももうわからない。


 ……そうして、今まさに殺される間際。


 不意に、目の前の男が苦しみもがきながら、首を掻きむしっていた。同じように他の連中も、口から血を吐きながら喉を押さえている。

 呆然と倒れている彼女の前に、ふと影が差す。


「……ようやっと見つけた。まったく、世話を焼かせるねぇ」


 しわがれた声は静かに響き、黒い煙が、彼女の身を包んだ……。



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