罪人
天剣が告げる。
そして、世界は動きはじめた。
ククルース神話の最初の一節。そこには、神は描かれていなかった。
それ以外の、はじまりにあった出来事は、誰も知るよしもない。
ウルフが手を伸ばす。その手より速く、俺は一歩踏み出す。足の指に力が入り、靴底の内張りに出来る隙間に違和感を感じた。
疑惑の護衛隊長、バラカスは、余裕の様子。
葉巻の煙を、ゆっくりと吹き出す。
その威風堂々とした体格は、王族の護衛隊長として十分な武勇を持っている風に見える。
そう思っていたのは、間違いだ。
「お前がセシルか?」
「そうだ」
バラカスは、葉巻を真下に投げ捨て、踏み消した。
「それで、どっちにつく? いや、逃げてもいいぜ」
そういえば、俺が斬った五人も、逃げろと言っていた。それと、レティーシアを俺に預けたのは、コイツだ。
バラカスは、最初から俺が一族と、
「知っていたのか?」
「男でセシルという名は、珍しいからな」
だよね……。
しかし、両親は、なぜ、俺にセシルという名を与えた? その疑問も、赤子の頃、身体が弱くて、一度や二度、死んだに違いないと納得させていた。
セシルという名は嫌いだ。今のこの女の子の姿も納得がいかない。どちらも、男の俺を否定している……。
「長老たちが、臆病者のセシルちゃんが逃げ出したって心配してたぜ。だから、気を回して標的の姫を預け、あとはお前が逃げれば、全てが丸く収まる」
「は?」
意味が不明だ。臆病者と馬鹿にされるのは構わない。そんな、ちっぽけな自尊心は、とうに捨てた。
「逃げたお前が野党を手引きしたことになる。多少、俺の信頼が揺らぐが、構わんさ、この国にも利用価値はあるからな。それに、お前だって一族の役に立ったことになるんだぞ」
「利用?」
「これだから、女は鈍いな。お前だって手柄になったんだぞ」
性別は関係ない! それに、俺は、男だ!
「手柄なんていらない。それよりも、国を利用するとは、どういう意味だ!」
「たく……、面倒臭い女だな! いいか、お前だって護衛の、死体は見ただろ?」
馬車の周りには、同僚たちの死体があった。急いで離れたので、いちいち顔は確認してないが、気の良い奴らだったと思う。
「この地位があれば、兵の生き死には、自由なんだぜ。いろいろと出来るし、一族も、その後ろ盾も大喜びだ」
「違う! それは、兵の生き死にではない!」
「お前だって、五人を殺した。町で殺されたチンピラだって、どうせお前の仕業なんだろ?」
違う!
「女は馬鹿でわがままだから困る。殺しなんてそんなもんだ。だから、セシルちゃんは、一族のもとに帰りな」
違う、違う、違う!
俺が斬った奴らと、コイツが犠牲にした兵たちは違う!
だって、あんた、兵から信頼されてただろ!
レティーシアだって、あんたが強いって自信を持ってたんだ。
殺したという結果が同じでも、俺とあんたは違う。
許せない!
「おい、セシル、落ち着け!」
「ウルフ、近寄るな! 誰であれ、斬る!」
俺の気迫で土煙りが上がる。それは、魔力の高まりなのかもしれない。
前を見据える。次に、ゆっくりと剣を抜いた。
「この件の依頼主は、帝国だ。この意味は、ジェヴォーダンの血を引く者なら理解できるはずだ」
戦争が大好きな帝国が背後にいるらしい……。
「それが、どうした!」
剣先を奴の中心に合わせる。
「これは、一族の総意ということだ」
だからなんだ!
どうせ、一族に俺の居場所なんてない……。
それに、お前は生かしておけない!
腰を落とす。
そして、呼吸を静かに整えた。
「おい、ウルフ、聞いていたか?」
バラカスの奴、どこを見ている!
「バラカスさん、コイツは何も理解していない。だから、見逃してやってくれ」
「ウルフ、それでは遅い。帝国は、もう犠牲を出している」
それは、お前の責任だ。
償いは、お前がすべきで俺ではない。
視界には、バラカスが一人。
静寂が広がっていく。
「バラカスさん、長老達は、セシルの可能性を評価している!」
もう、俺の心は動じない。
バラカスは、「黙れ、ウルフ!」と怒鳴る。
そして、「手に入らない美しい宝石は、砕いた方がいい」と俺を真っ直ぐ睨んできた。
そして、「何より、その方が面白い」と獰猛な笑みをたたえる。
とんだ、茶番だ。もう、付き合う義理はない。
全てが止まる。
その中で、俺だけが動いていた。
瞬間は永遠だ。いつだって、はじまりと終わりは、そこに同時に存在をしている。
あとは、剣を走らせて、終わりを告げるのが、わたしの仕事。
剣が止まる?!
それは、初めての感覚。
嬉しくて笑いが込み上げてくる。
なのに、バラカスは残念そうな顔をする。
「そんな古い剣を使うからこうなる。悪いことは言わん、支給してやった剣に変えろ」
遠い昔から、いつだって、これ一本だ。
手にしっくりと馴染み、どんな無理も聞いてくれる。
決して折れない剣。
それが、これだ。
「おい、なにが可笑しい?」
「そこが、俺の間合いだからだ」
硬いからなんだと言いたい。
結構なことではないか!
信頼を裏切ったお前の罪。
そのデカい図体に叩き込んでやる!
そこが俺の間合いの内にあり。時の刻みが止まらないのは、瞬間が積み重なっていくということ。
そこに、終わりを刻むまで、剣を走らせる。
ただ、それだけでいい。
何度でも、何度でも!
「おい、無駄なことはよせ」
バラカスは、そう言うが、触れることも、反撃することも、出来はしまい。
俺は知っている。身体が硬くても、痛いものは痛い。そして、他人に見えない痛みは、蓄積されるものだ。
心の強いものは、我慢して耐えてしまうかも知れない。
奴は、卑怯者だ。
そういう奴は、痛みを声にだす。
「ぐわっ」
バラカスが悲鳴を上げた。
「やめろ!」
やめない!
誰に向かって命令をしているんだよ!
俺の剣の勢いに、巨漢が吹っ飛び、兵舎の壁を突き破った。
これで、終わりだとつまらない。
土煙が上がる、瓦礫の山から、バラカスの影が現れる。まだ起き上がってくる、その根性は、誉めてつかわす。
ふと、ウルフを見ると、彼の顔は青ざめていた。
「バラカスさんが、吹っ飛ばされるなんて……」
ハッキリと姿に現したバラカスの身体に傷は無かった。呆れるぐらい頑丈な奴……。
「伝説級の俺が一方的にやられるとは信じられん」「なら、本当に伝説にしてやるよ」
「調子に乗るなよ、小娘が! 女でも、もう容赦はしない!」
魔力を帯びたバラカスの身体が、淡く輝く。奴の雄叫びが大きく響く。
「俺の本気を見て、後悔をするなよ! 町ごと、吹っ飛ばしてやる!」