稽古
早朝の山々を、低い雲が覆っている。
陽射しが遮られ、薄暗い森の中、空気を切り裂く鋭い音が響く。
護衛のセシルとレティーシア姫は、仕方なく山で一晩を明かしていた。
その夜が明けた今、木に隠れて様子を伺うレティーシア姫がいる。
その視線の先で、崖を背にした彼が、剣を振るう。
剣筋は、流麗で繊細、体捌きは、舞うようにして無駄がない。どれをとっても変身後の少女と瓜二つ。それどころか……。
「うそ、……」
レティーシアの脳裏で、教会で祈りを捧げる自分と、彼の素振りが重なる。
彼女は、唇を軽く噛み、そこから顔を背けた。
「あれなら、最初から死ぬ必要なんて無いじゃない」
後ろに振り返り、「ほんと、馬鹿にしてるわ」と言い残すと、森の中へ消えていく。
それから直ぐのことだ。彼の素振りの剣筋に小鳥が飛び込んで来たのは。
その後の出来事を彼女は知らないまま、二人の一日は、険悪な空気で始まった。
「で、なんで、その姿なのよ!」
真顔で眼光鋭く睨んでくる、レティーシアが怖い。
「もう一度、言わせて貰うわ! なんで、稽古をしただけで死ぬのよ!」
「すみません……」
そう日課の朝稽古の最中に悲劇は、起こったのだ。
「死なないって約束したじゃない」
はい、そうです。その通りでございます。
「なんで笑ってるのよ! 本気で、怒ってるのよ!」
「いや、はい、本当に申し訳ありません。でも、これは、事故なんです」
そう事故なんだ。
「ただの素振りで死ぬなんて信じられないわ」
俺も信じらないよ!
でもでも!
「足を滑らせて、あの……、その……」
「その姿で、もじもじしないで頂戴! 可愛いじゃない!!」
おい! 可愛いは関係無くねえ?
いや、それどころじゃない。
「崖から落ちました」
「は?」
レティーシアが、下から覗き込むように、それはまるで、チンピラがする威圧のそれだ。
きゃっ! 怖い!!
もう、女の子が、そんな顔をしちゃいけません!
「崖から落ちたんです。稽古の途中、ちょっとバランスを崩して……、申し訳ありません」
「そんなの嘘よ。あたし、少しだけ、あなたの稽古を見てたのよ。あれで、崖から落ちるなんてあり得ないわ」
だよねーー。
まあ、寝惚けながら剣を振ってるから仕方なしか……。言い訳だけど……。
「朝稽古は、ずっと続けてるけど、崖から落ちたのは、本当に、初めてなんで許して下さい」
まじで、落ち込むわ。まあ、理由にもならんわな。
「朝稽古、ずっと続けてるの?」
彼女の興味がそれたのは意外だ。そういえば、俺の稽古を見たようなことを口にしていたな……。
「ずっとですけど?」
それは、朝稽古は休んでも良いと、あの厳しい両親が言ってくるほどだ。
そんなに、異常なのだろうか?
レティーシアもため息を吐き出している。
「いつも、あんな感じなの?」
早起きのくせに、寝起きが悪く、いつも記憶は曖昧だ。だから、自信がない。もしかしたら、夢遊病のように振っているのかも。いや、ほとんど動いて無いのかも……、崖から落ちる訳がないって言ってたよな。
「まあ、そうです」
「馬鹿にしてるわ」
一族の連中も、同じことを言っていた。俺の朝稽古の素振りは、彼女から見ても、相当に酷いらしい……。
「そんな顔をしても無駄よ。あなたの稽古を見た感想は変わらないわ」
彼女は、深呼吸をすると表情を一変させた。
「町に着いたら、お仕置きよっ! 覚悟なさいっ!」
声を弾ませながら、彼女は、とても嬉しそうな顔を見せた。それが、凄く背筋を凍らせる。
土地勘があった彼女のおかげで町には、すんなりと着いた。彼女が言うには、信用のできる人物がここにいるらしい。
それにしても、お姫様のくせに、山道に詳しいとは、とんだじゃじゃ馬娘だ。
さらに、地味な服装に着替えていた彼女は、慣れた様子で、人混みの中に、すんなりと溶け込んでいく。
それでも、すれ違う度に振り返ってくる住民が多いこと、多いこと。
どこに、敵が混じっているか定かではない。
なら、こっちも護衛だ。
相手の人相を覚えるようにして、まじまじと睨み返す。
そして、連戦、連勝の圧勝、全員、慌てるようにして顔をそらしやがった。
やったね!
最後の奴なんか、顔を耳まで真っ赤にさせて、泣き出しそうだった。
根性が足りないんじゃないのか?
いや、俺の気合いが凄いのか?
「ねぇ、セシルちゃん、今日、一日は、その姿なのね?」
「多分そうです」
崖から落ちた時、身体が、ぐちゃっとなったから、修復には時間がかかると思う。昔からそうだ。派手に死んじゃうと、この姿の時間が長くなってしまう。
「なら着替えね!」
いや、そんなことより、姫さまの安全が優先でしょうーー!
そして、なんでこうなる!
「あら、やっぱり似合うじゃないワンピース!」
スカートは嫌いだ。
それに、
「これ、短くないか?」
「あら、膝下だから、長いくらいよ。文句を言うなら、もっと短くするわよ!」
くっ、まあ良いか、一日の我慢だ。
「それと……」
レティーシアは、女性ものの下着を手にした。
「それだけは、勘弁してくれ!」
「えーーっ! どうしようかなぁ」
彼女の表情は、交渉の余地があるように見える。
なら、
「下着はやめてくれ、他は言うことを聞くから」
「絶対?」
「絶対、絶対!」
「なら、下着は諦めるわ」
大きく息を吸い込み、心を落ち着かせる。
ピチピチのパンツなんか履けるか!
それ以外なら、我慢できる。そう、我慢、我慢だ!
「そうね、セシルちゃん、あなた、あたしに敬語を使うのはやめなさい。今だって、素がでてたから、簡単でしょ?」
「そんなことなら」
簡単だと言い終わる前に、彼女が言葉をかぶせてくる。
「あと、乱暴な言葉はダメよ。セシルちゃんは、女の子なんだから」
男だよ!
「返事は!」
「はい、分かりました」
「は?」
この娘、またチンピラみたいな顔をしちゃって……。
しかし、こんな簡単なことが、こんなに恥ずかしいとは……。
「分かったわ……」
くそ、悔しくて床しか見えん!
「じゃあ、アレンのとこに行くわよ」
「アレンって、誰だよ」
キッと彼女が睨んでくる。
くそっ!
「アレンって、誰よ!」
どこの誰よ! ちゃんと、説明して頂戴!