奴隷の娘
旅の途中、宿屋に立ち寄った。
部屋の中、座っていると変な感覚が襲う。なんか、こう、馬車にまだ乗っている感じだ。
窓から入ってくる音に、目を閉じれば、往来する人々の風景が切り取れた。
窓枠に肘を置き、手のひらにほほを乗せれば、ドクンドクンと血流が、そこで脈打つ。研ぎ澄まされた感覚は些細な空気の流れすら教えてくれる。
ふと、見上げれば、建物の隙間から覗く空が、夕暮れのオレンジから、夜の深い藍色へと、刻一刻と塗り替えられていく様子が観察できた。
喧騒が心を落ち着かせてくれたのだ。
なのに、妙だな……、ざわつきが、なかなか収まらない。
それは、多分、ウルフのせい……。
宿屋に泊まるのは、初めてでも無かろうに、さっきからせわしないこと、この上ない。
「おい、セシル、お前、どっちのベットを使う?」
「窓側を使う」
即答! そこなら、外を近くに感じられるからだ。
しかしだ。
ただなんとなく、ウルフが寝る予定のベットをズズッと壁に押し付ける。それは徒労に終わり、満足のいく結果は得られない。
むかくつ!
すぐ隣で他人が寝る。男同士なら当たり前のそれに、強い抵抗を感じえない。
「この部屋、狭過ぎるな」
「そうか、こんなもんだろ」
こんなもんだと!
「おいおい、睨むな、睨むな、何なら俺は野宿で構わん」
野宿だとう!
「セシル、頼むから口で言ってくれ、俺はどうすれば良いんだ?」
「いや、寝ろよ、そこで」
ちゃんとベットを指差す。
なのに、間違えた!
「おい、それって……」
あわわ。
「違う違う、こっちだ、こっち」
くっそう! なんだこれ、なにをざわついている!
慌てて、ウルフと俺のベットの間に、指で真っ直ぐな線を引いた。
「あと、この線から、こっちは、俺の領地だからな、入ってくんなよ」
「分かった、分かった、何もしない、何もしない」
何もしない?
いや、それは、良し!
ふうー、疲れるぜ。女の子ままだと、どうも、こうも、調子が狂う。
ベット脇にペタンと座る。
そして、そしてだ。
どうも身体の具合がおかしい。
馬車で寝たのがいけない。きっと肩を冷やして風邪になってしまったのだ。
大変だ! どうしよう!
そして、着替えの問題もある。汗の匂いも気になってきた。
別に男同士だから、着替えで、わーきゃー叫ぶつもりはないが……。
ないが……、なんか、嫌だ!
良し決めた!
「風呂に行こう!」
「セシル、お前、いきなり過ぎるな。当ては、あるのか?」
さっき、窓から煙突が見えた、きっとあれだ!
俺さまに抜かりなし!
「言っておくが、煙突は鍛冶屋だからな」
そうなの?
「宿屋の親父から聞いて、風呂屋の場所は知ってるぞ」
流石ウルフ! 褒めて使わそう!
「手なんか叩いて、はしゃぐなよ。ほれ、連れてってやる」
ほいほいと腰を浮かす。
そして、扉の方へ。
「おい、そこは、俺の領地だぞ」
ちっ、領地とか子供か! 部屋の扉は、ウルフのベット側にしか無かった。迂闊だ。
だが、策はある!
「そこは、中立だから、通っていいんだ」
「またかよ! 子供の頃から全然変わってねえのな」
ウルフの奴、なんだウインクなんかしちゃってさ。
ばかっ! 言ってろ!
そんなもんだ、昔から気がつけば隣にいる。風呂だって一緒に入っていたんだ。
コイツと並んで寝るのも初めてではない。むしろ、当然かもしれん。
変に意識するのも馬鹿らしい。
宿屋を出るウルフの背中を追いかけていく。
通りの雑踏をかき分けて進む。角を曲がり、彼は、建物の扉をくぐった。当然のように、俺もついていく。
子供の頃のように、男同士で裸の付き合いも悪くない。
鼻歌が出てしまうなんて、いつ以来だ?
「おい、お前は、女湯だ!」
ウルフに、つまみ出された。なんだ、残念。
背後からリリスの声。
「あんた、馬鹿なの?」
「この姿に慣れてないんだよ」
「はいはい、別に争う気はないから、ついて来なさい」
「平気なのか?」
外見は女の子だげど、中身は男なんだぞ。
なんだぞ! 襲うぞっ!
「あんた、色々と面倒臭いわね。女同士なんだから平気でしょ」
だから、男なんだって!
「あなた、情で斬れなくなるタイプじゃないわよね?」
脱衣場で彼女は言う。
「斬る覚悟、そこに情が入る余地なんてない」
それが剣を振るうということ。
「残念だわ。でも、強いのは好き」
リリスの瞳から女の色は消えていた。聖職者とも違う、人殺しが出来る奴の色。
「後悔はしないでね」
「怖いわね。でもね」
でもね?
「男パンツは、やめなさい、可愛くないわよ」
ばっ、ばっかじゃないのぉ!
男パンツの方が、楽で動きやすいんだよ!
それからだ、リリスは、俺の背中を、何故か流してくれた。彼女の胸が背中にあたる。
くっそう、絶対に負けない!
「あなたの肌、綺麗ね」
リリスの含みある口調。
耳元でそっと囁くと、彼女は上体を俺に寄せてくる。両腕を首元から包みように回し、体重を預けて、俺の向きを変えた。
「ほら、ご覧なさい。あの子の背を」
小さな女の子。背中が腫れ上がってる?
「あの子、背中に鞭を打たれてるわ」
そんな傷は、初めて見た。子どもに鞭を打つ人がいる。その存在が受け入れられない。
「身体を洗って、どんな仕事をするのかしら」
どんな仕事?
想像もしたくない! 考えは首を振って飛ばす。
ここは、公衆浴場だろ!
なぜ、誰も咎めない! なぜ、それが許されている?!