誓い
森の中で、姫さまと二人きり。
護衛に抜擢された初日から大ピンチです。
「喉が渇いたわ」
姫さまは、突然のことで、ぐったりとしている。
「今は、静かに」
口元に人差し指を当てながら振り返り、腰の水筒を差し出した。
「あなた、これに口をつけてないでしょうね」
「昨日、支給されてから、まだ使ってません新品です」
「そう、なら我慢してあげる」
ごめん、嘘です。道中、がぶ飲みしてました。
それにしても、追手の気配が遅い。
姫さまを連れて逃げる姿は見えていたはずだ。
「心配は無用よ。バラカスは、あなたと違って強いわ」
姫さまが、水筒を返す。その、小さくて可愛らしい唇は、濡れていた。
黄金色の長い髪を、彼女は、慣れた手つきで耳に掛ける。ふんわりと柔らかな曲線を描きながら、それらは、綺麗に収まっていった。
生唾を飲み込む。
俺も喉が渇いているのだが……。今、ここではない。あとで、じっくりと味わうべきだ。
彼女は、ジトッとした視線を浴びせてきた。
「やっぱり、その水筒を、返して」
「嫌です!」
姫さまを覆うようにして、地面に押し倒した。
「ちょっと、何をするのよ!」
彼女の口をふさぐ。ウーウーと抗議する唸り声が、手のひらから漏れる。
何か勘違いをしてるようだが、欲情したわけではない。それに、俺の中にいる獣は、女の子には興味は無いはずだ。何しろ……。
自分の口元に人差し指を当てながら、シーッとした。すぐに、「この辺りのはずた、探せ!」と物騒な声がする。それで、やっと彼女も静かになる。
やり過ごせるかは、運次第。
それに、姫さまに覆い被されるのは、護衛だからこその役得だ!
甘い香りが鼻腔に広がる。
護衛で良かったと思える瞬間が、今、ここにある!
窮地の中で、俺に幸せな高揚をもたらしてくれる。そんな魅力的で美しい姫さまだ。きっと、素晴らしい幸運をお持ちに違いない。
なのに、足音が近くなってくる。
さらに、背中から、残念な気配。
それは、俺と姫さまは、運が悪いと告げていた。いや、俺の不運が、彼女の幸運を凌駕したのか……。
半身を起こしながら、剣を鞘から抜く。あとは、敵が振り下ろしてきた剣を弾き返すだけの、簡単な作業だ。
「姫さま、下がってください」
彼女を、後ろに押しやり、俺は、立ち上がって体勢を整える。
獲物を見つけた連中が、彼方此方から、わらわらと集まって来ていた。どいつもこいつも、勝ちを確信したかのように、にやけた顔のムカつく連中だ。
最初の敵をズバッと斬って、それから一人、二人と倒していけば、ここは、乗り切れるに違いない。しかし、そうはいかないのが現実。
一回、二回、ズバズバと剣を振るうも、弾き返され、身をかわされる。ただの野党ではない。しっかりとした剣の振り方を知っている強者だ。
「もう、あなた全然弱いじゃない!」
腰が抜けている姫さまも、口だけは、達者。その元気は、違う方向に使うべきだと、強く抗議したい!
「頑張ってとか言ってください!」
可愛い娘の声援があれば、もっと頑張れる。そんな、俺です。大きく剣を振って、集まってきた連中を牽制して時間を稼ぐ。
「おい、小僧、もう諦めろ。助けは来ないぞ」
連中の内、一人が偉そうに言ってくる。
「ふん、嘘をつけ、バラカス隊長は強いんだぞ!」
と姫さまが仰ってたんだからな!
奴らは、一斉に笑いだしやがった。
おいおい、マジかよ!
「護衛は、全滅だ。さあ、姫を渡せ!」
姫さまの嘘つき!
口を一文字に結び、奴らを、睨み返す。
包囲の輪が小さくなるのを防ぐ為、もう一度、剣を大きく振った。相手は、五人、人数差は歴然。一斉に踏み込んで来られたら、決着は、あっという間だろう。
なのに、殺気が緩んでいくのだから、不思議だ。
剣の構えを解いた男が言う。
「おいおい、そんなに張りきるなよ。お前、新人なんだろ。姫さまの為に、命を張る義理も無えはずだ」
おいおい……。
別の奴らが、その話に乗っかってきた。
「そうそう、俺たちも寄ってたかって、お前を殺すつもりは無えんだぜ」
「欲しいのは、姫さまだけだ。貴様の命なんかに興味は無いんだわ」
唇をキュッと噛む。
馬鹿にするな!
連中の内、一人が剣を地面に刺し、両手を広げた。
「さあ、早く、逃げな」
背中にいる姫さまは、もう何も語らない。
それが、少し寂しい……。
剣を握る力を緩める。すると、重力が、切先を押して、地面の方へ斜めに向けた。
「なあ、ジェヴォーダンの一族って知ってるか?」
「ああ、その身に獣を宿す一族だろ。知ってるぜ。裏の世界では、有名な連中だ」
包囲していた連中は、剣を鞘に納めはじめた。
「だったら逃げるのは、あんたたちの方だ」
剣を構える。幼い頃から、ずっと鍛錬して、叩き込まれた正しい場所に、切先をおき、斬るべきものを、しっかりと狙う。
「馬鹿な奴だ」
殺気が、場を支配した。
「逃げるなら、今のうちだぜ!」
大きく一歩、踏み込み、剣を前に突き出す!
相対した敵は、剣を振り下ろし、勢いを逸らそうとしていた。左右から、刃が迫る気配もする。
攻めることばかり教えられ、守ることは重要では無いと叩き込まれた。
だから、こうなる。
俺の剣先は、空を斬り、胴体には、敵の刃が突き刺さった。
「ふん、勢いだけだな」
男は、俺から剣を抜いた。
熱いものが喉を通り、堪えきれずに吐き出す。
赤い血が、地面を真っ赤に染めた。
「おい、まだ、立ってやがる」
別の男が、俺を袈裟斬りにする。
激痛が、俺の思考を奪っていく。
視界が曖昧だ。男たちの言葉を、キーンという耳鳴りが邪魔をする。やがて、暗闇が、視界を覆うと、全身が極寒の冷気にさらされた。
絶対零度。
物質は例外なく凍りつき、光ですら速度を奪われ拘束されてしまう世界。
当然のように時は止まり、永遠に闇が支配する深淵。
幽霊なんていないし、魂なんてない。
そんな当たり前を実感すると、いつも、それは、現れる。
星が一つ輝いた。
深淵の獣が目覚めたという知らせだ。
「おい、そこから、離れろ! 様子がおかしい!」
俺を中心につむじ風が吹く。敵が再び距離を取ったのは、そのためだ。
淡い光が、この身を包むと鼓動が戻り、力が身体にみなぎってきた!
剣の構えは、この小さな身体の方が、しっくりとくる。
「おいおい、ジェヴォーダンの獣がきいて呆れるぜ」
「ヒュー、姫さんには手は出せねえが、あれは構わねえよな」
くそっ、男どもの、エロい視線が太もも辺りに集まっている。身体が細くなったせいでズボンが、スルッと落ちちゃったのだ。
あら、やだ、お股がスースーする。
「しかし、可愛くてスタイルも良いのに、胸が残念だな」
うるさいわい!
「思い出したぜ。おかまの獣が一匹、ジェヴォーダンから逃げ出したって噂だ。名前は、確か……」
「おい、それ以上、口を滑らしたら殺すぞ!」
剣先を獲物に向けた。
「うーん、そんな怖い顔したら、ダメでちゅよ。セ……」
目標に向かって一歩踏み出す。大地を蹴り出した確かな感触が足から伝わってくる。その瞬間、取り囲む連中の顔色が変わり、殺気を放ちだしたのは流石と言っていい。
さっきと、同じように剣を滑らす。同様に、守りはいらない、攻めに徹するだけで良い。
迫り来る刃より速く。そして、相手がいなすより前に、俺の剣は届く。
一人目は、胴から真っ二つに切り裂いた。二人目も同様に。三人目は、両手首を斬り上げて切断し、喉元を一突きして絶命させる。
「くそ、この化け物が!」
四人目が、上段に剣を構えて突っ込んで来る。
その意気や良し。しかし、あまりに無防備で無策だ。斬り捨てて、最後の一人と相対する。
彼は、剣を地面に投げ捨て両手を上げた。
「おい、降参だ! もう、あんたたちには手を出さねえ! だから、見逃してくれ!」
姫さまを見ると、彼女は、慌てるようにしてコクリと頷いた。
「俺のことは、誰にも言うなよ」
「約束する。あんたの正体が、女とは言わねえ!」
男だよ!
五人目は、何か、勘違いをなさっているようだが、俺は、無抵抗な人間を殺すほど、化け物ではない。
戦意を失った奴には、背を向けて、姫さまの方へ。
そして、気配をたどるようにして、再び、剣をそこに走らせる。
卑怯は嫌いじゃない。己が大切とする目的を果たす為、他人の批判を気にせず、ただがむしゃらに生きている証だと思えるからだ。
だからといって、手加減は、決してしない。
命のやりとりに、遊びは無し。
覚悟を持って、真剣に挑む。
最後の一人は、剣を振りかぶった状態で、横に真っ二つになって地に伏した。
亡骸となった彼の目は、大きく見開き、俺を見ている。
「だから、逃げろと言っただろう」
そう言い残し、後ろに振り返った。
姫さまは、地面にペタンと座ったまま、呆然と俺を見ている。彼女もいろいろあって、頭の整理が追いつかないのだろう。
しかし、この場に留まるのは危険だ。襲ってきた連中の腕は確かだった。仲間がいるのも確実だろう。
彼女に、手を差し出す。
「立てるか?」
姫さまは、ジッとして動かない。
焦ったいなと思い、ぐいと手を差し出しても反応がない。
ただ、ジッと俺を見ている。
そして、背中に悪寒が走った。
これって、もしかして、姫さま、俺の全身を舐めるようにして見てらっしゃる?
「きゃあーー、あなた、女の子だったのね!」
おいおい、男だよ!!
彼女は、俺を抱きしめてきた。顔が、姫さまの胸に挟まり、なんとも、まあ、おっぱいって柔らかいなあ、なんて思ったりするけど、苦しい!
俺の両肩に、彼女は手を添えて、ゆっくりと解放してくれる。
ゼーハーと息を整えながら、ああ、あのおっぱいに挟まれてたのかと、ドレス越しに見える膨らみを確認。
エッチな意味では決してなく、ただ冷静に状況を把握する為に、見ているだけだ。
これは、男なら重要な行為のはず!
むしろ、礼儀と言っていい。
「ねえ、名前を教えて?」
お互い、地面にペタンと座った同じ目線で彼女は問い掛けてきた。
迷っていると、彼女は、首をちょこんと傾ける。
くそっ、なんて、あざとい仕草!
だが、俺は負けない!
「申し訳ありませんが、名前は、教えたくない……」
ほんとっ、ごめん……。自分の名前が、嫌いなんだよね。
「ふーん、じゃあ、むっつりって呼ぶわよ」
「誰が、むっつりだよ」
むしろ、オープンエロだよ!
「あなた、男なんでしょ」
「そうだよ、男だよ!」
「ならなんで、そんなに可愛いのよ! 男のくせに、可愛い女の子に変身して、楽しいの? 趣味なの?」
「趣味じゃないし、楽しくない。これは、呪いなんだよ。一族には、さまざまな呪いがあって、たまたま、俺は、女の子の姿になるんだよ!」
「ジェヴォーダンの獣ね。知ってるわよ。呪いには、対価があるそうね」
「対価ですか……。大抵は、魔力なんですけど……」
「あなたのは、違うみたいね。あなたからは、魔力を、微塵も感じないもの」
ほっとけ!
「ああ、俺のは、魔力ではありません。対価は、命。この姿になるには、一度、死なないといけない」
必ず発動する。そんな自信は、未だに無い。
死の恐怖と激痛が、いつも、つきまとう。
なのに、一族の連中は、俺に、死ねと命じる。
「そうなの……、あたしなんかの為に、ごめんなさい。あの時、あなたは、あたしを見捨てて逃げる、それならそれで良い、そう思って諦めてたわ。だって、立ち向かっても、あなたは、勝てない、そう確信してたもの……。本当に、あたしは、失礼な女ね……。でも、生きるか死ぬかは、自分で決めるべきでしょ?」
姫さまは、俺の肩から手を離した。
彼女は、真っ直ぐに、俺を見つめている。
その瞳に吸い込まれそうだ。
彼女は、彼女で、己に降りかかるであろう恐怖と戦っていたのだ。なら、その時、俺に悪態をつけばいい。「死んでも守れ」とか「逃げるな」とかいろいろだ。
でも、彼女は、命の選択を強要しなかった……。
「お礼を言うわ。あなたが、そばに居てくれて、本当に、良かった。あたしの為に、死の恐怖に耐えてくれて、ありがとう」
姫さまは、身分の低い護衛の俺に深々と頭を下げた。その真摯な態度は、胸元の隙間から覗く、胸の谷間に目がいってしまう自分を恥じてしまうほどだ。
「いいえ、私は護衛。あなたの為なら、何度でも、命を差し出し、守ると誓いましょう」
彼女の勢いで、俺は、妙なことを口走ってしまった。
いや、違う……。
この娘を守りたい。その思いが、この胸に刻まれてしまったのだ。
「一つ約束して頂戴。死ないないで」
は?
馬鹿なの、この娘。変身の対価は、俺の死だと言ったはずだ。
「そんな顔をしないで……。あたしは、怖いわ。あなたが死ぬのも、その死に慣れてしまう自分も……。だって、知った人の死を望むなんて、あんまりだわ」
俺の死を皆が望んでいる。そう、確信していた。
さらに、自殺する勇気が無いのは、道具として欠陥品だとも……。
でも、それで良いと許してくれるなら……。
「約束します。死ぬ気はありません」
彼女は、微笑む。
こんな嘘で、喜んでくれるなんて、本当に馬鹿な娘だ。
剣の頂きは、体感で知っている。
己の限界は、そこに遠く及ばない。
「俺は、強いから、そんなに心配しなくて、大丈夫ですよ」
また、嘘を言ってしまう。
自殺する勇気もない弱い男。それが、俺だ。
皆は、自分を望んでいないと知っているくせに……。
だからこそ、いつだって勇敢でありたいと願う。
嘘にしたくない。
だから、誓おう!
「ねぇ、聞いてる?」
姫さまが、頬を膨らます。彼女の言葉を聴き逃していたことに気づいた。
彼女が、いぶかしげに、上目遣いで、ぐいぐい覗いてくるものだから、思わず、腰が引けてしまう。
そんな俺に彼女は、呆れたのか、腰に手をやり、大きく呼吸をすることで、何かを吐き出す。
「私は、レティーシアよ。シアと呼ぶことを許すわ。そして、あなたを従者に任命します、セシルちゃん。いえ、セシルくんと呼んだ方が、良いのかしら?」
姫さまの名前を、ここで初めて知った。
いや、護衛につく時、聞いたはずだ。一国の姫さまの名前だ。知らない方が恥だろう。
それと、姫さまは、なんで、俺の名前を知っている?
「そんな、不思議そうな顔をしないでよ。首から下げてる認識票に、名前が書いてあるわ。まさか、男のくせに、セシルが本名だなんて。偽名じゃなかったのね」
彼女は、クスクスと笑う。
「笑うな! だから、名前は嫌いなんだ!」
「じゃあ、偽名で登録すれば、良いじゃない?」
「偽名だと、兵に採用してくれないだろう?」
そうだよ。偽名ダメ、絶対って受付が言ってたぞ!
「いちいち、調べないわ。でも、妙ね……、そんな新人を、あたしの護衛にするなんて……」
ええーー! 調べないの!
確かに、言われてみれば、名前と年齢だけだったな。
「ねえ、なんで、あなたは、あたしの護衛に抜擢されたの?」
「それは、護衛隊長が、新兵の訓練を見に来て、筋が良いと言ってくれたんだよ」
そんな、隊長も、今は亡き人か……。
まあ、剣は、幼少の頃から振ってたからな、そこら辺の有象無象よりは、強い自信はあった。
「ふーん、それと、もう一つ」
「何ですか?」
彼女は、顔を近づけてきた。
「好きよ」
ドクンと心臓が鼓動する。それは、胸から飛び出しそうなほど、大きく身体中に、響いた。
「好きよ、あなたの名前、セシルくん」
姫さまは、悪戯に笑った。
やんごとなき人の冗談は、身体に悪い。
揶揄われたことに腹を立てていると、俺の身体は、元の姿に戻っていった。
姫さまは、とても残念そうに、
「セシルくん、ずっと、女の子のままでいなさいよ」
と言った。
そんなことの為に、俺は、絶対に死んだりなんかしないからねっ!