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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

今週の切腹

作者: 三矢 由巳

 冬至が近い。日の出がめっきり遅くなり、日の入りは早くなった。

 この日、明け六つの鐘の音で目覚めた私は慌てて起き上がり、エアコンを入れた。それからお湯を沸かし食パンをトースターにセットした。顔を洗って着替えると、ちょうどパンが焼きあがった。

 テレビをつけると7時のニュースはとっくに始まっていた。私はマグカップにお湯を注いだだけのスープを口にしながら、ニュースを見た。端正な顔のキャスターの滑らかな口跡は心地よいものだった。さすが(うたい)の嗜みがあるだけのことはある。


『……国際人権団体からの抗議を受け、政府は協議を開始し』


 またあのニュースだ。私はチャンネルを変えた。


『……世論調査では、賛成は41パーセント、反対は15パーセント、わからないは44パーセントとなっています。この結果をどのように考えればいいのでしょうか』


 アナウンサーの問いに答えるのは最近よく顔を見る評論家である。


『そうですねえ。国民の間でも議論の分かれるところでしょうね。なにしろ、対象となるのは国民の2割に満たないわけですから。この調査の対象は国民の性別や階層を反映した割合になっていますから、大多数の国民にとっては』


 このチャンネルもだ。最近、あれ関係の報道が多い。確かに海外の人権団体から毎週のように政府に抗議声明が送られてくれば無視することもできないだろう。

 だが、私にとっては遠い話だった。周囲にそういう羽目になった者がいないからであろう。

 クラシック音楽を放送している局にチャンネルを変え、私は朝食を終えた。

 髪を整え歯を磨き、携帯端末に届いたメールを確認し、エアコンを切り戸締りを確認して、私は長屋を出た。火事など出したら大変なことになる。


「おはよう。今朝は冷えるな」


 ちょうど隣のドアから勤め先を同じくする男が出てきた。


「おはよう。あなたも昼番ですか」

「ああ」


 私達は勤め先までともに歩いて行った。住まいとなる長屋はひとり者専用で似たような者達がそれぞれの職場へと向かっていた。皆ほとんど無駄口は叩かない。職場の規則で決まっているからである。それに職場まで歩いて長くても四半刻程度でさほど話すこともない。

 職場と住まいが近いというのはありがたい。民間の会社では電車を使って江戸の東西から半刻かけて通って来る者も多いという。私達のように政府に勤める者は職場の近くに住まうように決まっているので歩いて通えるのである。政府が緊急事態に対応できないというのは許されぬことなのだ。

 馴染みのある城門をくぐり役所へ入った。立刀を入り口で預け書類の入った風呂敷包と脇差だけを持って部署に行くと何やら妙に騒がしい。いつもの静けさではないのだ。皆小声で何やら囁き合っている。

 一緒に来た同僚はああ、あれかと言う。なんだと尋ねると同僚は小声で言った。


「勘定方の監査の件だ」


 思い出した。先週、勘定奉行の監査が入ったのだ。いつものことでこちらは必要な書類等を用意し、勘定方に見せた。うちの部署には何の問題もなかった。だが、部長の備後(びんご)様の書類に不備があった。


「備後様は」

「どうやらおいでではないな」


 私は嫌な予感を覚えた。同僚も同じようで互いに黙ってそれぞれの席に着いた。

 仕事の前に係長の話があった。


「まだ公にはされていないので、外部には漏らさぬように。先日の勘定奉行所の監査で部長の備後様に些かの不備ありとのことで、備後様は昨日よりお取調を受けている。皆心して職務に精励せよ」


 取調。特に問題がなければ取り調べられることはない。取調ということは何かあったのである。良くて罷免・蟄居。最悪の場合は……。

 私にとって上司がそういうことになるのは初めてのことだった。


「俺は二度目だ」


 昼食の後、庭園の日なたで休んでいると同僚が呟くように言った。


「最初に勤めたのが西の丸の小姓組でな。そこでしくじった同輩がな」


 西の丸の小姓組。同僚の家は名門の分家だからなかなかの出だしである。だが、同輩は何をしくじったのか。


「ほんの些細なことであった」


 同僚はそれ以上何も言わなかった。訊くのはやめておいた。


「そうか、それは大変でしたね」

「ああ。まったくだ。だが、あれでしか解決せぬこともある。あれをすれば家は潰さずにすむ。家族にはとりあえず生きていけるだけの年金も出る。備後様もそうなったほうがよいかもしれぬ。俺は思うのだが、勘定方はあらかじめ備後様に目星をつけていたのではないかな」

「え?」

「あの方には兎角噂があった。だが、すべてを摘発すれば、他家や他の役所にも累が及ぶ。役所の書類の不備ということにすれば、他には累は及ばぬ」


 私の知らぬ世界であった。同僚と違い、私の祖父は町人だった。商売で財を成し御家人株を買い次男を侍にした。その息子が私である。侍の世界のしがらみには理解できぬことも多かった。だが、やはりこの先、この世界で生きていくには理解せねばならぬのだろう。





 翌日勤め先に行くと、放送局の中継車が建物の前に停まっていた。局名の入った半被(はっぴ)を着た者達が機材を運び入れていた。

 呆気にとられる私に同僚が教えてくれた。


「中継の用意さ。例の番組、よく関係者の職場や屋敷から中継するだろう。それだよ」

「では、備後様は」

「そういうことだ。西の丸にも来た。それにしても機材がずいぶん小型化してるな。ほら見ろよ。あのカメラ持ってるのは女だ」


 最近はあちこちの役所や会社で女性も働くようになっているが、放送局でもアナウンサーやキャスター以外の女性が増えているらしい。カメラを持つ女は仕事の邪魔にならぬように髪を短く耳の辺りで切りそろえ動きやすいように袴を着ていた。

 係長からも仕事前に知らせがあった。


「備後様は勘定の書類不備ということで、本日夕刻、お腹を召されることになった。ついてはテレビ局がここから中継する。全員放送終了まで協力せよと老中様の思し召しである」


 係長の話が終わると、部屋に巨大なプロジェクター用のスクリーンが据えられた。

 これがあれかと皆顔を見合わせた。ここに備後様のあれが映しだされるのだ。それを見る私達も恐らく中継で各家庭のテレビに映るのである。

 昼休み、同僚の多くが家族に電話していた。


「それで、今夜中継があるから帰りが遅くなる」

「誰かってのは言えないんだ」

「残業代? 出るのかなあ」


 私もとりあえず母に電話を入れておいた。


『なんですって!』


 武家出身のなのに素っ頓狂な声を出して母は興奮を隠さなかった。亡くなった父のほうがよほど物静かで武家らしかった。


『それであなたも映るのですね』

「たぶん。でも大勢いるから目立たないと思います」

月代(さかやき)はきれいにしてるんでしょうね。肩衣(かたぎぬ)はちゃんと張ってる?』

「はい」

『日本橋の伯父さんに知らせなきゃ』

「伯父さんは忙しいんだから迷惑しますよ」


 日本橋の伯父は父の兄で銀行の頭取をしている。国内だけでなく、海外にも行くので家を留守にしていることが多い。中継を見られるかどうか。

 だが、母との通話を切った後、その伯父から着信があった。


『今日、そちらから中継があるそうだね』


 まだ公表されていないのに知っているのは仕事柄あちこちの役所や家中に出入りするせいだろうか。


「ええ、まあ」

『わかってるよ。誰にも言わん。それよりも気を付けるように。反対派が放送を妨害しようとしているらしい』

「え?」

『どういう手段を用いるかわからないから、くれぐれも用心しなさい』

「ありがとうございます」


 伯父は情報通だった。私はそのことを直接の上司である係長に告げた。係長は頷いた。





 その日はいつもなら定時に戻れるはずだった。だが、放送があるということで私達は仕事場に残り、スクリーンの前に集まった。

 すでにセッティングされた照明やカメラは幾度もテストを繰り返していた。

 現場を取り仕切る監督はいつものように自然な態度でと言ったが、皆自然でいられるわけがなかった。さすがにしゃべる者はいないが、緊張した顔つきで皆正座してその時を待った。

 日没を過ぎた午後6時。太鼓の音の後、重々しいテーマ曲が流れ、重厚な毛筆書体のタイトルが画面に映し出された。


『今週の切腹』


 公共放送で毎週金曜日の午後6時から放送される一時間番組である。タイトル通り、国内で今週行われた切腹を報道するのだ。冒頭は切腹、火刑、斬首等に処せられた罪人の住所氏名と罪状が読み上げられる。世間を騒がせた大事件の場合は処刑の録画が放送される。以前は敵討ちなどの中継もあったが、全国的な警察組織が普及したので敵討ちは禁止された。

 この番組の目玉は後半の切腹の生中継である。無論、切腹がない時は中継はないが、その時は過去の名場面集が放送される。

 毎回視聴率は50パーセントを超える。低視聴率だと言われる関西でも40パーセント前後である。

 それにしても何故このような番組がと思われる向きもあろうかと思うので簡単に説明しておきたい。

 今から150年余り前江戸幕府に滅亡の危機が迫った。西国の複数の雄藩が倒幕に動いたのだ。

 朝敵とされそうになった幕府は機先を制し、西国の藩が江戸の町を荒らしたことを朝廷や海外に訴えた。他にも様々な偶然(倒幕側の指導者の死亡等)が重なり、朝敵は倒幕側の藩ということになった。

 幕府側は小栗某を中心とした近代的な軍勢を率い、倒幕軍を倒した。無論、そのままでは遺恨が残るということで倒幕側の藩主は隠居とし、藩自体は存続させた。

 ここに日本は将軍の下に藩連合を置く近代国家となった。小栗某の主導で産業が発展、港が開かれ海外との交易・交流も盛んとなった。

 以来外国との戦争等の紆余曲折はあったが、21世紀まで幕府、いや将軍を中心とする政府は存続している。

 とはいえ海外の文化の影響で武家は軟弱化しつつあった。

 だが、この政府を支えているのは武家である。彼らが軟弱化し堕落することは国の堕落である。そこで老中達は考えた。武士には特権を与えるだけでなく相応の責任を取らせる体制を作ろうと。

 というわけで江戸時代と同じく武士の切腹は残され、その罪状は全国に周知されることとなった。また犯罪抑止のため、武士以外の処刑も全国に知らされることとなった。

 新聞・ラジオ放送の時代を経てテレビの時代になると、中継もされるようになった。最初は生中継の技術はなく録画であったが、現在は衛星放送も使った生放送で全国津々浦々に放送されるようになった。また放映権を買い取って放送している国もある。その放映権収入も馬鹿にならないらしい。

 当然のことながら死刑廃止を訴える国際的な人権団体からは毎週抗議の声明が政府に送られる。政府は当初内政干渉だと無視していたが、最近は国内でも反対の動きがあり政府内で協議が始まっているらしい。放送局も配慮をするようになった。具体的には元服前の子女には視聴させないようにというテロップが冒頭に入るようになったのである。

 今回もテロップが流れた。

 私をはじめここにいるのは皆元服した者だから視聴するのに何の問題もない。

 ベテランアナウンサーが重々しい口調でお馴染みの口上を述べる。


『日本全国の皆様、今週の切腹の時間です。この番組は国内での切腹を中心とした処刑の情報を江戸町奉行所並びに火付盗賊改、警察庁、法務省の協力でお伝えしています。いつか犯罪がなくなりこの番組が放映されなくなることを願って今夜も放送いたします』


 それは無理な話だろうと私は心の中で突っ込みを入れた。たぶん日本全国でこれを見ている人間の大部分は私と同じ気持ちだと思う。浜の真砂は尽きるとも、というやつである。

 ベテランアナウンサーの隣の若い女性アナウンサーが今日のラインナップを紹介していく。


『……そして今日の生中継は江戸からです。介錯は先日襲名したばかりの山田浅右衛門殿です』


 画面に映し出されたのは二十代半ばの若い男の眉目秀麗な顔写真だった。たぶん全国の女性の目が釘付けになったはずである。なにしろ、この男が介錯をすると視聴率が10パーセント跳ね上がると言われているのだ。

 心なしか女性アナウンサーの顔が赤いように見えた。


「なお、刑場の場所は今回も秘されています」


 そうだろう。秘密にしないと浅右衛門ファンが押しかけて切腹どころではなくなってしまう。もっとも本人はいくら騒がれても平然と首を皮一枚残して斬るらしいから、中身は少しもヤワではない。

 番組は進行し、全国の処刑者の住所氏名が読み上げられていく。住所は大まかな町村単位だが、恐らく同じ領内に住む者が見ればどこの誰かはすぐに判明するだろう。年の瀬が迫っているせいか、盗みが増えていた。昔は十両盗めば首が飛ぶと言われていたが、最近は百万円になっている。


『さて、次は先日江戸麻布で起きた火災の火付けの下手人の火刑をお送りします。この火事では家屋が三十八軒焼失し、九人が死亡、二十三人が重軽傷を負いました。また火消し一人が亡くなっています。下手人は』


 下手人の氏名と経歴が紹介された後、五日前の火刑のありさまの録画がダイジェストで流された。昔は近くから撮影していたが、最近は少し離れた場所から撮影するようになっている。それでも十分に恐ろしさは伝わってくる。

 被害者の声も流される。


『うちのおとっつあんが逃げ遅れて』

『うちの息子、足がひどいやけどで歩けなくなっちまった。どうしてこんなことに』

『まさかうちの亭主が。いつも(まとい)を持って先頭に立って火消しやってたのに。いつものように元気で帰って来ると思ってたのに。亭主を返しとくれ』


 最後は亡くなった火消しの女房の声で締めくくられた。


『皆様、火の用心をくれぐれもお願いします。また怪しい者を見かけたら、すぐにお近くの自身番にお知らせください』


 ベテランアナウンサーの声が重々しく響いた。

 政府広報のコマーシャルの後、いよいよ生中継の開始である。

 最初に罪状が読み上げられた。役所の文書を改竄し、金銭の使い込みを隠蔽しようとしたということだった。


『使い込みはいかほどになるのでしょうか』


 女性アナウンサーの問いにベテランアナウンサーは頷いた。


『はい。勘定奉行所の発表では出張旅費等二百両余りの不正が判明したとのことです。従って、備後だけではなくその上司の若狭守様も監督不行届きとのことで本日罷免、隠居の上蟄居となりました』


 二百両の使い込み。予想を超える額に私だけでなく周囲の者も茫然となった。これでは上司が監督不行届きと言われても致し方ない。


『一体何のために二百両を使い込んだのでしょうか。部長であれば役料として相応の報酬があるはずですが』

『堂島の米市場で先物の投資に失敗したようです。欲をかいてはいけません。人は分相応に暮らさねば』

『まことに』


 そこでカメラはスタジオから切り替わった。


「え?」


 誰かが叫んだ。なんと今いる職場がスクリーンに映っていた。


「こちらは備後の職場です。部下の皆さんが集まって、先ほどから固唾を呑んでスクリーンを見つめています」


 若い男性レポーターが係長にマイクを向けた。


「この度の一件にさぞ驚かれたことと存じます。今、どのようなお気持ちでここにおいででしょうか」

「世間をお騒がせし実に申し訳なく思っております。我々一同、改めて我が身を省みて不正のなきようにしたいと存じます」


 型どおりの言葉だが、これ以上余計なことを言うわけにはいかないのだ。


「襟を正していきたいということですね。現場からは以上です」


 今度はどこかの屋敷の庭らしい整った植え込みが映し出された。

 壮年の男性レポーターが落ち着いた声で話し始めた。


『こちらは備後の切腹の場となりました府内某家の下屋敷です。評定所の裁きの後、この屋敷に移された備後は先ほど謹慎していた座敷から出てこちらへ向かっております』


 さらに別のカメラは山田浅右衛門をアップで映した。


『介錯の山田浅右衛門殿の今日の刀についての情報はまだ入っておりません。終了後にお伝えすることになります。本日で二十八回目の介錯となるわけですが』


 男の私が見ても驚くような美形だった。写真以上に瑞々しい美貌だった。視聴率が上がるわけである。

 次にどこかの武家屋敷の表門らしい場所が映された。

 年増の女性レポーターが穏やかな声で語った。


『こちらは備後の屋敷です。一昨日から固く門は閉ざされています。午前中、親戚らしい人々が出入りするのが見えました。先ほど出て来た方に話を聞いたところ、家族は皆憔悴しきっているとのことです』


 確か嫡男は昌平黌で学んでいるはずである。父親以上に出世するのではないかと言われていたが、この件で元の木阿弥だろう。家族が憔悴するのも当たり前である。

 続いて再びスタジオである。


『家庭では良き夫、良き父であったはずですが、何が狂わせてしまったのでしょうか。今これを御覧になっているお役所勤めの皆様、どうかご家族のためにも、不正を行わないように』


 ベテランアナウンサーは心に染み入るような声で語り掛ける。


『間もなく刑場に姿が現れるようです』


 男性レポーターの声と同時に庭の一隅に白い小袖に浅葱色の裃の備後の姿が現れた。

 別人のように窶れはてた姿に皆、ああっとため息をついた。


『先ほど、辞世の歌が報道陣に公開されました』


 レポーターは歌を読み上げた。はかない命を冬の朝の霜に喩えた歌だった。さすがに胸が苦しくなってきた。

 備後の前にこの世の最期の食事として用意された膳が置かれた。

 レポーターは食事の内容の説明を始めた。これは毎度行われる。


『あの飯碗に入っているのは湯漬けです。それに香の物が三切れ添えられています。「三切れ」なのは「身切れ」すなわち身体を斬れということを意味しているとのことです。他には塩、味噌が添えられています。盃は二杯』


 その時だった。


「ひいいい!」


 突然、放送局のスタッフが叫び声を上げ部屋に飛び込んで来た。

 後ろからいくつもの足音が近づいて来る。大声も聞こえる。現場スタッフの一人が逃げて来た男に何があったと尋ねるが、男はハアハアと息をするばかりで話せない。

 皆立ち上がり何事かと身構えたのは武士の習性である。

 

「切腹中継を止めろ!」


 廊下からはっきりと声が聞こえた。

 伯父の話を思い出した。反対派の放送妨害だ。

 町人らしい洋服の男女八名ほどが「反対」や「国辱」等と書かれたプラカードを持って部屋に乱入して来た。私はその字体が最近はやりのアニメで使われる字体であることに気付いた。プリンターで印刷したものらしい。自分の主義主張をするなら下手でも手書きのほうが迫力があるのにと思った。

 カメラの女はそちらにカメラを向けていた。これも報道の仕事に携わる者の習性だろう。

 カメラに気付いたリーダーらしい男はカメラに向かって叫んだ。


「我々は断固切腹と中継に反対する!」

「はんたーい!」


 他のメンバーも叫んだ。

 武器を持っていない上に町人である。こちらは脇差を持っているが斬りつけるわけにはいかない。


「我々は爆弾を持っている。切腹を中止しなければ、爆破させる」


 着ている物も西洋風だが、爆弾を使うとは。そこまで西洋のテロリストを真似ずともよいのに。

 だが、相手が武器を持っているということは、攻撃しても問題はないということだ。私は少し離れた場所にいる同僚に目配せした。

 スクリーンでは最後の盃を飲み干した備後が三方を前にしていた。

 突然、場面が切り替わった。この部屋が映った。


『たった今、備後の職場である城内に不審者が乱入したとのことです。喜多川さん、そちらの状況はいかがですか』


 スタジオのアナウンサーからの問いかけにレポーターは毅然と答えた。


「現場には八名の町人の男女が切腹と中継の反対を叫んで押しかけています。リーダー格らしい男が爆弾を持っている、切腹を中止しなければ爆破させると言っています」


 リーダーは自分の姿が全国に放映されていると気付き、カメラに向かってまたも叫んだ。


「切腹を中止しろ! さもないと爆弾を爆破させる!」


 スタジオのアナウンサーは慌てなかった。


『爆弾が爆破すれば、あなた方も無事では済みません。早まらないでください』

「野蛮極まりない切腹を中継してるくせに何を言ってるんだ」


 リーダーは肩をいからせて叫んだ。鼻息が荒い。どう見ても隙だらけだった。他の者も武芸の嗜みはさほどないようだった。どうやってここまで入り込んだか知らぬが、彼らはまことに命知らずである。


『ただいま、刑場から情報が入りました。現在、介錯の山田浅右衛門殿が刀の不備に気付き切腹の儀式は中断されています』


 スタジオのアナウンサーの声に私は少しだけ安堵した。リーダーが爆弾に今すぐ点火することはあるまい。恐らく刀の不備云々は方便であろう。

 同僚が一歩男達に近づいた。私も気づかれぬように足を忍ばせた。それに気づいた他の同僚も男達に少しずつ近づいた。何も武器は脇差だけではない。皆それぞれに柔術や捕り方の心得もあるのである。生け捕りにすれば彼らの組織の詳しい情報がわかるだろう。

 リーダーの横にいる中年男が私達の動きに気付いた。


「何のつもりだ」

「貴様こそ何様だ」


 私は脇差を抜き、男の懐に飛び込んだ。それを皮切りに、皆一斉に侵入者に襲い掛かった。

 カメラの女は縦横無尽に動いて私達を撮影した。レポーターも実況放送を始めた。


「今まさに狼藉者が制圧されようとしています。私の目の前では若い侍が、リーダー格の男を背負い投げ、さらには寝技を掛けて動きを封じました。あちらではナイフを振り回す狼藉者の腕を脇差で斬りつけ、ナイフを回収、そちらでは部屋の壁に掛けてあった刺股(さすまた)を使い制圧、早縄を見事に掛けています」


 この様子は全国に放送され、この年の視聴率ナンバー1をはじき出すことになる。

 それはともかく、私は最初に飛び込んだ男の肩に斬りつけ動きを封じた。すると早縄のうまい同僚があっという間に縄を掛けた。男の懐中を探ると小型の爆弾があった。他の同僚もそれぞれに爆弾を見つけていた。

 そこへ警察の一隊がなだれ込んできた。

 近代的装備を身につけた警察はすでに縄に掛けられた八人を見て絶句していた。

 すぐに爆弾処理班に爆弾が預けられた。八人も連行されて行った。

 私達はやり遂げたという満足感に浸って、しばしその場に座り込んだ。

 映像はスタジオに切り替わっていた。


『八人全員が制圧されたようです。さすがは城勤めの方々です。さて、刑場のほうはどうなっているでしょうか』


 そうだった。切腹があった。すでに放送時間は過ぎている。どうやら7時のニュースの開始を遅らせて番組を延長するらしい。


『こちら刑場です。先ほど、刀が交換されました。介錯の山田浅右衛門殿の支度が整いました。切腹する備後の前にもすでに三方が置かれています』


 三方の上には切腹用の九寸五分の短刀が置かれている。

 介錯人の山田浅右衛門が現れた。検視役も席に着いた。私達も姿勢を正した。


『拙者、介錯を仕る山田浅右衛門と申す』


 介錯人は声も麗しかった。備後の背後に立ち刀を清める姿には神々しさすら感じた。

 備後は検視役に黙礼すると右から肌脱ぎになった。背後では浅右衛門が刀を八双に構えた。

 左手で短刀を手にした備後は右手を添えて押し頂いた。

 この後刀を右手に持ち替え腹に突きたてるのだが、映像は庭園に灯された石灯籠に切り替わった。以前は介錯するまで放映されていた。これも諸外国からの抗議を受けて音声だけになったのである。

 何やらどっと落ちるような音が聞こえた。庭園の水のせせらぎの音が重なり画面は昼間撮影したと思しき池の映像に切り替わった。 


『先ほど、検視役が備後殿の死亡を確認しました。これにて儀式は終了いたします』


 辞世の歌が見事な筆文字で画面に映し出された。背景の画面は青空を背景にした富士の山である。






『今回は様々なアクシデントがありましたが、見事に備後殿は腹を召されました。切腹は武士だけに許された名誉ある死です。残酷であるという意見もありますが、罪の償いをせずに生き恥をさらすのはいかがなものかと私は思います』


 珍しくアナウンサーが私見を述べた。そういえばこのアナウンサーは町人の出だった。色々と思うところがあるのだろう。


『元の職場の皆様の勇敢な姿、そして備後殿の最期を見ると、公僕とは何かを考えさせられます。さらには人の生き方についても。それでは今夜はこの辺で。どうか来週の放送がありませんように』


 最後の一文は決まり文句である。だが、恐らくは来週も放送があるだろう。今日捕らえられた者達の背後には大掛かりな組織がありそうだった。でなければ城に入って来られるわけがない。下手をすると政府の中枢に近い人物と関わりがありそうだった。もしその人物が判明したら、ただでは済むまい。

 放送局が撤収した後、私達は狼藉者の侵入で汚れた部屋や廊下を掃除して帰宅した。

 週が明けた月曜日、「今週の切腹」を御覧になった上様がことのほか感動されて、皆に褒美を下されることになったと係長から知らされた。さらに先陣を切った私は加増されることになった。また、幾つかの家から縁談の申し込みがあったと母から知らされた。

 上司の切腹はショッキングな出来事であったが、どうやら少しは運が開けてきたようである。

 とはいえ、妬みはどんな世界にもつきもの。祖父の代は町人であった私はこれからも仕事に励んで分相応に慎ましく生きていこうと思う。





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