『紅蓮の魔女』と呼ばれた少女と『結界の巫女』
騎士――レティア・スティングレイは少女の前に立った。
真っ白な巫女の礼装に身を包んだ少女は、半透明のベールの向こう側で俯いている。
周囲に立つのは、レティアと同じく『騎士』の正装に身を包んだ者達。騎士団本部にて、今まさに『誓いの儀』は行われようとしていた。
「レティア・スティングレイ――貴女は騎士として、『巫女』の正式な護衛官を任されました。ここに誓いを」
「はい」
言葉を受けて、レティアは少女に近づく。
レティアの動きに合わせて、少女も自らの右手を差し出した。白くてか細い手に、レティアはそっと自らの手を添える。
その場に跪くと、レティアは一度深く頭を下げる。
しばしの静寂。やがて、レティアは顔を上げて、少女の手の甲へと口付けをした。
ピクリとわずかに震える少女の手に、レティアは小さく笑みを浮かべる。唇を離すと、その場で宣誓をする。
「私――レティア・スティングレイは、この命を賭してあなたを守ると誓います」
騎士としての宣誓。この言葉を以て、レティアは正式に少女と契約をする。宣誓を受けた少女が、そっとベールを外して、口を開く。
「期待しています、我が騎士。そして――」
少女は少しだけ天井を見上げるようにして、言葉を続けた。
***
――炎が燃え盛る。
周囲の木々も焼き尽くすように、メラメラと揺らめく炎は、時折意志を持ったように動き出した。地べたから生える花を燃やし、それが若木に移って、やがて大木を灰に帰す。
これらの炎は、自然的に発生したものではない。一人の少女が作り出し、そして操っているものであった。
「……あと、一体」
少女――レティア・スティングレイは呟くように言った。
時折、風が吹くと、それが熱風となって彼女の赤褐色の髪を揺らす。その色はまるでこの炎を体現しているかのよう。後ろで結んだ髪が炎に触れる――だが、燃える様子は一切ない。
それもそうだ。この炎は、レティアが作り出して操っている。
右手に握り締めた剣は、熱を帯びているからか赤色に輝いている。
『紅蓮の魔女』――それが、レティアの呼び名であった。
「……あちらですか」
レティアは何かに気付いたように、視線を送った。木々がパチパチと燃え盛る音ばかり響くが、レティアには分かる。直後、そいつは姿を現した。
「オオオオオオオッ」
雄叫びを上げながら、木々を薙ぎ倒してやってきたのは黒毛並を持つ『熊』。体長はゆうに三メートルはある。少女よりも圧倒的に大きな身体で、障害などものともせずに駆けた。
レティアはそんな熊を見て、目を細める。
「熊の魔物だと、やはりパワーはすごいみたいですね。ですが――」
レティアは剣の柄を握りしめ、向かってくる熊へと剣先を向けた。
赤く輝いていた刀身が、さらに強い輝きを放つ。剣先には、ジジジと音を立てながら、小さな球体が作り出された。
「燃やし尽くせ」
レティアの言葉と共に、球体がゆっくりと動き出す。
熊の魔物に対して真っ直ぐ球体が向かった。熊の魔物もそれに気付き、再度咆哮。大きな前足で、球体を弾こうとする。
「オオオ――グッ」
咆哮が掻き消えて、小さな鳴き声だけが残った。球体に触れた直後、熊の魔物の身体は一気に燃え上がる。
レティアの放った球体の熱を受けて、熊の魔物の身体は一瞬で灰と化した。
ふぅ、と小さくレティアは息を吐く。
この周囲にいる魔物は全て始末した――やがて、森を焼き尽くす勢いであった炎の勢いが弱まっていく。
レティアは真っ直ぐ、森の奥地を見据えた。
そこに聳え立つのは、まるで巨大な塔。他の木々とは比べ物にならないほどに大きく、かなり距離があるにも拘わらず、しっかりとその全体像が見て取れてしまう。
大きくてもただの木であれば、何も問題はない。
けれど、あの大木こそが――『魔物』を作り出す元凶であることは、周知の事実であった。
「いつか、必ず燃やしてやります」
ポツリとそんなことを呟いて、レティアは振り返る。
仕事は終わった――レティアが帰ろうとすると、こちらの様子を窺うように、数人の人々が姿を見せる。
レティアと同じく、『騎士』の正装に身を包んだ者達だ。
彼女に向けられたその視線は、決して好意的なものではない。
けれど、そんな視線を気にすることもなく、レティアは真っ直ぐ帰路につく。
他の騎士達も、レティアに声をかけてくることはなかった。
先ほど視線の先にあった大樹とは真逆の場所に見えるのは、『外壁』。聳え立つ壁は高く、周辺の木々とはこちらも比べ物にはならない。外壁から上空にかけては、薄っすら透明な壁のようなものが見える。
あれがここ――要塞都市で暮らす人々の生命線であることは、誰もが理解していることであった。
それこそ、外壁に比べたら弱々しくて、いつ消えてもおかしくないようなもの――けれど、あの透明な壁は、『魔力』によって作り出されたもの。
レティアが魔物と戦うために使う力と同じであり、透明な壁は外側から侵入しようとする魔物から人々を守るためのものであり、『大木』から人々を守るためのものでもあった。
『結界』――それを作り出す『巫女』を守るのが、レティアを含めた騎士の仕事だ。
レティアはその仕事を忠実にこなしている。自らの持てる力を振るい、終わらない戦いに身を投じてきた。
レティア自身は、いつか終わらせると心の中で誓っているが。歩いて都市の方へと戻ると、大きめの門が視界に入る。
この門が開かれる時は、小隊ではなく大隊規模での出撃が必要になった時だ。
今回は、小隊規模での魔物の討伐任務である。
故に、大門の横に取り付けられた小さな門から出入りをする。
「ふぅ……」
また、小さく息を吐いた。
ずっと、こんな生活の繰り返しだ。
外壁内は騎士達が常駐していて、更衣室から身体を洗い流すためのシャワー室まで完備されている。
レティアは戻ると早々に脱衣所へと向かう。
今回の任務ではそれほど汚れなかったが、魔物の返り血を浴びることもしばしばだ。任務を終えた後は、こうして身体を洗い流すことが習慣になっている。
後から、シャワー室の扉が開く音が聞こえてきた。同じ任務を受けていた騎士だろう。シャワーで身体を洗い流すレティアに向かって、
「どこまでも単独行動ばっかりね。あんたは」
吐き捨てるようにそんな言葉を言い放ち、通り過ぎていく。
レティアはそちらを振り返るようなことはしない。いつものことで、気にするようなことでもない。
レティアにとっては、誰かと共に行動するより、一人で行動する方が楽だった。
騎士としての実力は、他の者と比べても頭一つ抜き出ている。
単独で複数の魔物を相手取り、打ち倒せるのはレティアを除けばほとんどいないと言えた。
むしろ、彼女にとっては『仲間』は足手纏いになってしまう。
広範囲を焼き尽くす『炎』――それがレティアの武器であり、この世界を『支配する者』に対抗できる力だからだ。
身体を洗い終えたレティアは着替えると、今度は直属の上司の元へと報告に向かう。
レティアの姿を見た同僚の騎士達は、スッと避けるように道を開けていく。
まるで、レティアのことを恐れているかのような態度を取る者さえいる。
もちろん、それもレティアは気にしない。
コツコツ、とブーツの音を鳴らしながら、レティアは廊下を歩いていく。すると、
「んー、どこだったかな……?」
きょろきょろと、周囲を見渡す少女の姿が目に入った。
迷子の一般人――というのはあり得ないだろう。何せ、この外壁内は騎士が管理している場所だ。
関係者以外は入れないようになっている。おそらくは、ここに努めている騎士の家族だろうか。
「……」
レティアはそんな少女に視線を向けることもなく、通り過ぎようとする――だが、不意に手を引かれてレティアは足を止めた。
「っ、何を――!?」
振り返ったレティアは、言葉を失う。
手を引いたのが誰なのかは分かっていた。先ほど、周囲を見渡していた少女だ。
その少女がレティアの手を引いて、不意に手の甲を舐めたのだから、驚くなという方が無理な話だろう。咄嗟に、レティアは手を引っ込める。
「何をするんですか!」
「ん? 手、怪我してたから。でも、もう大丈夫だよ。それじゃあね!」
少女はそう言い残して、レティアの元を去っていく。一人残されたレティアは、
「怪我って……」
呟くように、その言葉を繰り返した。唾を吐ければ治る――そういう理論の話をしているのだろうか。
けれど、いきなり手の甲を舐められるとは思わなかった。
確かに、シャワー室で身体を洗い流した時に怪我には気付いていたが――
「……え?」
レティアは、舐められた傷を見て言葉を失った。
――怪我が、消えている。確かに、先ほどまでは血が滲んでいたはずだ。
かさぶたになるのも少し時間がかかるだろう……そう思っていたはずなのに、傷口は綺麗さっぱり消えてしまっていたのだ。
どういうことなのか、レティアには理解できない。
「まさか、さっきの子が……」
治した――そんな、あり得ない事実に首を横に振った。
(私、自分で思っている以上に疲れているんでしょうか)
ひょっとしたら、そうなのかもしれない。
レティアは深く考えることはやめて、報告をしたら早々に帰宅して休むことを決意した。
任務の日は、この外壁内にある『指令室』で報告することになっている。扉をノックすると、
「どうぞ」
女性の声で返答があった。
レティアは扉を開き、部屋の中へと足を踏み入れる。
テーブルの上に地図を広げて、何やら考え込むような仕草を見せる女性の姿が視界に入った。
長い黒髪に、黒い瞳。革製の服に身を包み、いずれも『黒一色』とも言える様相。
レティアの上官であり、騎士を統率する立場にある『騎士団長』――ステラ・ルカンシェラだ。
ステラはしばし地図の方を静かに見据えていたが、やがて顔を上げてレティアの方に視線を送る。
「本日もご苦労だった。君の報告を聞こうか」
「要塞周辺に出没した魔物の数は百五十ほど。うち、百三十ほどは私が倒しました」
「『ほど』とはまた曖昧な報告だな。もう少し正確な数は分からないのか?」
「数えている暇があるのなら、倒した方が早いので。そう教えてくれたのも、ルカンシェラ団長ですよ?」
「……そうだったな。まあ、おおよそ観測していた数と一致する。しかし、君一人で百三十か――相変わらず、『紅蓮の魔女』の活躍には頭が上がらないね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒め言葉なのだが? 褒め言葉ではない要素はないよ?」
「……報告は以上です。本日は帰宅してもよろしいでしょうか?」
「やれやれ、君は仕事に対しても私に対してもドライだな。まあ、それでも戦士としては優秀なのだろうが……君に対するクレームも私は受けているんだよ?」
「クレーム――それは、他の騎士からですか?」
レティアがそう問いかけると、ステラは肩を竦めた。心当たりはあるし、レティアも騎士達の言いたいことは分かっている。だが、
「私は一人で大丈夫ですので」
「……まだ何も言ってはいないが、まあ自覚はあるわけだ。私としても、君に無理に連携しろとは言わない。実際、そうでなくても任務はこなしているからね」
「話はこれで終わりでしょうか?」
「まあ待て。『本題』はここからだ」
「……本題? まだ何かあるんです?」
「ああ、実はね。君のその強さを見込んで、ある任務に就いてもらうことになった」
「……ある任務? もしかして、遠征しての『侵植者』の討伐ですか?」
レティアはステラに問いかけた。
侵植者――それは、この世界の『支配者』であり、魔物を生み出す元凶であった。
いつから彼らがいたのかは、レティアも知らない。
だが、彼女が生まれた頃には、すでに人類は限られた場所でしか生活できないようになっていたのだ。
侵植者の正体は、誰でも知っている。その名の由来にも使われている通り、彼らは『植物』なのだ。
ただ、その辺りに生えている植物というわけではない。
それぞれ特徴はあるが、彼らが振りまく『種子』が生物に寄生することで、魔物を生み出している。侵植者がいる限り、魔物が減ることは永遠にあり得ないのだ。
だから、遠征をして侵植者を討つ任務は、レティアにとっては望むことなのだ。
いつかは森で見た大樹――『マザー』と呼ばれる侵植者を討つことこそ、彼女の目標なのだから。だが、
「残念ながら、今回はその任務はない。この近隣では侵植者は確認されていないからね」
そんなステラの返答があった。急にそんな作戦の話があるはずはない、レティアも理解していたことだが、食い下がるように言う。
「確認されたから討つ、ではただの繰り返しにしかなりません。遠征をしてでも討つことこそ、意味があると思います」
「分かっているさ。私とて、いずれはその時が来ると思っているよ。けれど、今は違う――君に任せる任務は、侵植者を討つと同じレベルには重要な任務だ」
「! 侵植者を討つのと同じ、ですか」
「ああ、そうだ。受けてくれるね?」
「……任務は拒否しません。けれど、いずれ遠征隊を組む時には、必ず私を加えてください」
「もちろん、そのつもりだ。君は我々にとっても最高戦力だからね。……いずれは、その時が来るだろう。――それまで、君に任せたい任務のことだが……まずは結論から言おう。君には次に、護衛任務をやってもらおうと思っている」
「……護衛、任務? なんですか、それ」
「護衛の意味が分からない、とかではないね?」
「当たり前です。『何を守れ』と言うんですか。こんなところで……護衛という意味なら、常日頃の任務がまさに要塞の護衛任務ではないですか」
「それは否定しないが、区分けするなら君の任務は討伐任務だな。まあ、見た方が早いだろう。そろそろ到着する頃なのだが――」
「ごめんなさーいっ! 道に迷っちゃって……ただいま到着っ」
ガチャ、と指令室の扉を開けて、一人の少女が飛び込んできた。
その少女を見て、レティアは思わず目を見開く。
「あなたはさっきの……」
「なんだ、もう知り合いだったのか」
「へ――あ、さっきのお姉さん! 怪我はもう大丈夫?」
「知り合いではありません。しかし、まさかこの子のことを……?」
「察しがいいな。その察しの良さなら、彼女が何者かも分かるんじゃないか?」
「……『巫女』?」
「ご明察」
ステラがにやりを笑みを浮かべ、ただレティアは驚くことしかできなかった。
改めて、少女の方に視線を送る。
「! えへへ、そんなに見ないでよ、恥ずかしい……」
……何故か照れている彼女が、巫女。要塞を守る結界を張る、人類にとって最も必要とされる存在。
レティアも初めてみるが、こんな少女がその役目を担っているとは、思いもしないことであった。
そして何より疑問なのは、彼女がここにいるということだ。
「……巫女というのは、都市の最高機密なのでは?」
「そうだが?」
「では、何故ここに?」
「最強の騎士である君がここにいるんだ。ここより安全な場所が、この都市にあるか?」
「それは……」
「ははっ、そこで言葉を詰まらせるのは、君らしいね。とても頼もしい――レティア、これから君には、彼女のことを護衛してもらう。この都市を守る要の護衛だ。なにより、最重要任務だとは思わないか?」
その言葉に、レティアは反論することはできなかった。
ステラの言うことは正しい――目の前にいる少女が巫女であるのなら、それは本当の意味で、ここでは必要な存在だ。
「えっと……つまり、お姉さんがわたしを守ってくれる騎士ってことだよね? わたしはアーネ・アティルシャ。今、ステラが言っていた通り、当代の巫女だよ」
屈託のない笑みを浮かべて少女、アーネが言った。
そんな姿を見て、レティアは大きくため息を吐く。
「私が彼女の、護衛?」
「まあ、正式な決定はもう少し後になるけれどね」
「……そう、ですか」
「あ、そうだ。仮決めでも、一応宣誓はしておかないとね!」
「宣誓……?」
そう言うと、アーネは背伸びをして、レティアに顔を近づける。
そのまま、口づけをかわした。
突然の出来事に、レティアは反応できないまま、ゆっくりと唇が離される。
「……っ!?」
「よろしくね、わたしの騎士さん」
こうして、最重要任務――巫女の護衛が開始された瞬間であった。
レティアとアーネが本当に契りを結ぶのは、そう遠くない日の話である。
以前に書いていたネタが発掘できたので、ちょっとまとめてみたので投稿します!
終わりが近い世界での百合がコンセプトで書きました!