銭湯と金銭
私は生きること、それに意味は、ないと思う。
人の生に付加価値を積み重ねていく。
これは本人の努力と行動次第なのだ。
人間は自己満足を得るために、生きている。
種の繁栄は果たされ、秩序による支配と世界平和を目指している。
究極論としては、停滞だ。
人間は停滞を望んだ。
私はその停滞の中で、個々に満足のいく結果を模索している。
だけど、私はまだ見つけていない。
私は、呆けた面で天井を見る。
眼前で揺れる湯気と肌を伝う温もり。
ああ、気持ちがいい。
この、気持ちよさ。
これを味わうために働いている人もいるんだ。
私の欲望を満たすめには、お金が要る。
銭湯に入るためには成人二百六十円。
そこから石鹸、シャンプー、リンス、タオル。
風呂上りには冷えた牛乳を一本。
しめて千円ほど。
日本国ではおおよそ1時間働けば、手に入る金額だ。
少ない額だろうか?
いいや、決して少なくない。
むしろ大金だろう。
何せ価値がほぼ平らな世の中だ。
若い身体を売る以外の労働。
つまり単純作業に、希少性はないのだ。
というか、連中が労働を安く買い叩いている。
この理由が最もだと思う。
支払う側だから、条件付けをする権利がある。
売る側にも、選ぶ権利がある。
双方納得している、はず。
私は、違うけれど。
ただ呆けて天井をみるためにも、お金は要る。
それ以上に、生きるにはお金がかかる。
生きることに意味なんてないのに。
しかし、生まれてきた以上、何かを創造したくてたまらない。
それによって、金銭を産みたい。
社会貢献を成したい。
誰かに認められ、褒められたい。
そして、受け入れられたい。
私は、なんて傲慢なんだろう。
それが人間としてあるべき姿だと思いたい。
私は、聖人君子のように生きられない。
私は、私の欲望を満たすために生きる。
私は、私の生に意味を付加する。
ふっ、と目を細める。
わかってるじゃない。
全部わかってるのに、殻に閉じこもって。
他人を気にするのは大切なことだ。
適度なプレッシャーは、自己の成長につながる。
感情が安定すること、揺らがない精神が目標へ近づけてくれる。
そう、他者は私を成長させてくれる起爆剤になる。
だけれども、裏切られ見放された。
私は耐えられなかった。
私は食事を拒否、登校もやめて引き篭もった。
私は、生きることを諦めた。
ゆっくり、死んでいくことを願った。
それが一番楽だった、のだろう。
だが、残念。
私が許さない。
あなたが私を創った以上、楽には逝かせない。
足掻いて、もがいて、無我夢中で生に執着してもらう。
白くて遠い、あの場所にはまだ逝かせない。
あなたがどれだけ恵まれているのか。
あなたがどれだけ愛されているのか。
すべて理解できていないんだろう。
ため息が湯気の中へと消えていく。
くだらない。
生こそが素晴らしい価値そのものだから。
死する時の快感は絶頂の数倍、数百倍だとも言うらしい。
死ぬために生きて。
生きるために死ぬ。
生の営みの中で変わらぬ循環の中で。
一度の権利しかないのだ。
生き返ることは極僅かな人間にしか体験できない。
何度も死ねるのならば、なんとも楽しいことだろう。
立ち上がり、脱衣所へ向かう。
バスタオルを身に纏い、硬貨を手渡す。
引き換えに氷塊のような瓶を受け取る。
名物のペンギン牛乳だ。
私は腰に手を当て、一気にそれを飲み干す。
まろやかでいながら、確かな濃厚さを脳に届けてくれる。
たまらず身体が震えてしまう。
生きる喜び。
喰い、遊び、死ぬ。
なんて贅沢なのだろう、人間は。