幕間 いつかの秘め事
お久しぶりです…!
本作のコミカライズも始まっておりますので
そちらもぜひよろしくお願いいたします。
(コミカライズが始まった事もあり、ちょこちょこ投稿する予定です…!笑)
†
それは、もう五年も前の出来事。
誰も知らない。
否、誰にも知らせなかったヴァルターの秘め事。
「これはこれは。珍しい客人だねえ。で? その様子を見る限り、ただ訪ねてきたって訳じゃなさそうだけど……こんな辺鄙な地に何の用かな? ────スェベリアの幼い王様」
「…………」
たった一人。
臣下の、それも重鎮と呼べる人間の中でも更にひと握りの人間にだけ、行き先は告げず、「もしも」の際の対応を伝えてヴァルターは国を離れた事があった。
全てはこの────〝北の魔女システィア〟に会う為。
「供回りの一人すらいない。格好からして、お忍びかな? とはいえ、薄情な臣下を持ったもんだねえ。今のキミの命の価値は、計り知れないものだろうに」
ここ数年間のスェベリアの変化は目まぐるしい。政争にて第三王子であったヴァルターが国王になってからは、特に。
なのに、王にも関わらず、古びた外套を身に纏い、旅人のような格好をしていたヴァルターの現状を信じられないとシスティアは訴える。
辺鄙な地に位置する森の中。
目的地を考えれば、その格好にはまだ説明がつくが、供回りが一人もいないのは明らかに異常だ。それに、ここからスェベリアまでの距離は、馬を使ってもひと月は要する。
目の前のヴァルターは、実は影武者なのではと疑うシスティアであったが、彼女の魔女としての知識がそれは違うと言っている。
紛れもなく己の目の前に立つこの青年は、ヴァルター・ヴィア・スェベリアであると認識出来てしまう。
「アイツらには悪い事をしたと思う。だが、俺は王で在る為に生きていた訳じゃない。俺はただ、最低限の義理を果たす為に王として生きていただけだ」
最低限の義理は果たした。
だから、今ここに俺がいるのだとヴァルターはシスティアに訴え掛ける。
見据える瞳には揺るぎない覚悟の色が湛えられており、酔狂などで起こした行動ではないと告げていた。
『全てはこの時の為に』
そんな言葉が続けられそうな様子のヴァルターを前に、システィアは興味を抱いた。
少なくとも、尋常な用件ではあるまい。
そもそも、〝魔女〟と呼ばれる己の下を訪ねるくらいなのだから。
「……義理、ねえ」
ヴァルターがシスティアに向ける眼差しは、 瞟眼に近かった。
システィアを見ているようで、どこか違う方向をヴァルターは見ている。
そんな錯覚すら抱かせてくる。
果たして彼は、どこを見ているのだろうか。
システィアは己の心の中で自問する。
────決まっている。記憶の底にのみ存在する、一等大事な人間だ。
俗世と関係を絶って長いシスティアであるが、これでも人一倍生きた〝魔女〟だ。
人間など、それこそ腐る程見てきた。
見てきたからこそ、分かってしまった。
ヴァルターのその言葉はまごう事なき真実だ。微塵の嘘も含まれていない。
そして、そういった瞳を浮かべる人間がどんな想いを抱いているのかも、何もかもに理解が及んでゆく。
「今まではどうにか、騙し騙しやってた。義理だから、助けられた命だからと、どうにか自分を騙して生きてきた。だけどやっぱり、俺はアイツのいない世界に価値を見出せなかった。生きる理由が、どうしても見つからなかった」
隠していても仕方がない。
そんな想いで言葉が紡がれる。
ヴァルターの事情を知らない人間であれば、コイツは何を言っているのだと呆れられた事だろう。しかし、目の前の女性は、魔女だ。
故に、その言葉の意味が理解出来てしまう。
誰かにとっての一人だろうと、その一人が誰かにとっての全てになってしまう事も。
「生きる理由がない、ねえ。なら、キミはここへ殺されにやって来たのかい」
「殺される事を望んではいないが、少なくとも、己の命を対価として差し出す覚悟はある」
不退転の覚悟と共に発せられる言葉。
これは虚勢でもなんでもなく、本心からの言葉だった。
それこそ、差し出せるものであれば、今のヴァルターならば何だろうと差し出すだろう。
その異常性に。その歪み切った精神性に、システィアはくつくつと喉の奥を震わせる。
これまで人間の貴族や王族とも接した事のある彼女だが、ここまでの手合いは初めてであった。倦み疲れた己自身が、自然に笑ってしまうのはいつぶりだろうか。
「頼みがある」
「言ってみな」
だから、ヴァルターのその発言に対して続きを言えと促した。
「もう一度。もう一度だけでいいんだ。俺を、アメリアに会わせてくれ」
「スェベリアの王がわざわざ訪ねてくるくらいだ。きっと、どこか遠くにいるんだろうねえ。手の届かないどこか遠くに」
「俺を守って、死んだ騎士だ」
遠回しな言い方をあえてするシスティアに、ヴァルターははっきりと物を言う。
取り繕っても仕方がないと割り切っているのだろう。そこに、躊躇いの様子はなかった。
「……成る程。故人かい。だけど流石に、魔女のワタシとはいえ、死者を生き返らせる事は出来ないねえ」
「だから、もう一度会わせてくれるだけでいい。一言、伝えたい言葉があるんだ」
「それで、もう一度会いたい、かい」
ヴァルターなりの妥協であると知って、システィアも合点がいく。
死者を生き返らせる事は、厳密には可能である。だが、生者として生き返らせる事は不可能だった。
システィアに出来る事は、死者を死者として生き返らせる事だけ。
要するにそれは、ゾンビのような死霊として生き返らせる外法でしかない。
ヴァルターはそれを望んではいない。
だからシスティアは出来ないと答えていた。
「確かに、その程度ならば出来なくもないねえ。だけど、ワタシもお人好しじゃぁない。力を貸すなら相応の対価は貰うよ。それで、キミはワタシに何を差し出せる?」
値踏みするような視線で、ヴァルターを射抜く。けれど、彼女自身も薄々分かってはいたがそれは無用な行為だった。
「俺が差し出せるものであれば、全て」
刹那の逡巡すらなく、口にされた。
そこで、システィアは民の命といった意地の悪い問いを投げ掛けようとして────。
「……ただ申し訳ないが、ヴァルター・ヴィア・スェベリアとして差し出せるものに限られてしまう」
先んじてヴァルターが、問いかけようとしていた言葉の答えを告げた。
あえて、スェベリアの王ではなく、ヴァルター一個人と強調されたその言葉を耳にして、システィアは笑みを深める。
臣下の一人すら連れてなかった理由は、ここに繋がるのだろう。
これはあくまで、スェベリアの王としてのヴァルターの頼みではなく、一個人のヴァルターとしての望みであるのだと。
だから差し出せる対価の範囲も、ヴァルター個人が差し出せるものに限られると言いたいのだろう。しかし、だ。
「……それじゃあ話にならないねえ」
彼にも譲れない一線があるのだろう。
その点についてはシスティアも好むところだった。けれど、それとこれとは話が別。
少なくとも、魔女と取引をするのだ。
国一つ犠牲にするくらいの覚悟がなければ、システィアも応じる気はなかった。
「分かってる。だから、俺に用意出来る最大の対価を持ってきた。ちゃんと、魔女と交渉出来るだけの物を持ってきたつもりだ」
そう言うヴァルターであったが、彼の手には何も存在していない。
何処からどう見ても手ぶらだ。
揶揄っているのかと眉を顰めるシスティアであったが、程なくヴァルターは何を思ってか上着を脱ぎ出した。
「不思議だったんだ。旗頭にされる危険性があるからと言って、レスターの叔父上や、ボルネリアの爺があそこまで本気で俺を殺しに来ていた事実が。多分、その理由がこれだった。俺やアメリアは多少、人より聡い程度にしか思っていなかったが、メセルディア卿のお陰で自覚が出来た」
ここで言うメセルディア卿とは、アメリアの父にあたるシャムロック・メセルディア。
そして、上着を脱ぎ始めたヴァルターの肌色の割合が多くなってきたところでシスティアが顔色をあからさまに変えた。
その、身体に薄く広く刻まれた魔法陣に彼女は覚えがあったから。
「……成る程ねえ。キミ、特異体質か」
「魔女にとって、俺の命はスェベリアの民全員よりも価値があるんだろう」
魔力の知覚が他者よりもずっと聡い。
これはただの体質ではなく、今、システィアが言ったように特異体質と呼ばれるもの。
シャムロックに剣を教わる中で、ヴァルターが指摘をされていた事実だった。
「……確かに、それであれば話は変わってくるねえ」
特異体質の人間は、割合にして数十万分の一ほど。
価値としてであれば、確かにスェベリアの国民全員とつり合わない事もない。
寧ろ、魔女としての利を求めるならば、どう考えても有象無象の命よりもずっと価値がある。
そして、システィアは考えるような仕草を一度挟んだ。
「……ちなみに、さっきのも義理かな?」
「ああ、義理だ」
自分自身を犠牲にせずとも、王としての全てを差し出していれば、システィアは頷いても良かった。
だけど、ヴァルターはそれをしようとはしなかった。恐らく、アメリアという騎士への義理立てなのだろう。
もしかすると、そこに矜持のような感情も含まれているのかもしれない。
何はともあれ、現在進行形で命を投げ捨てようとする人間とは思えない真っ当過ぎる行動のようにシスティアは思えた。
「……分かった。そこまで言うならその取引に応じてあげよう。ただし、ワタシの力も万能じゃない。本当に、一瞬会えるだけかもしれない。それでもいいんだね?」
「十分過ぎる」
本当は、契約で色々と縛る手間があるのだが、ヴァルターという人間を見てその必要はないかとシスティアは後回しにする。
ああいう手合いは間違いなく、逃げやしない。
生きる理由を死者に向けているような連中だから。
とはいえ、面白い人間だったし、少しだけ研究の為に殺してしまうのは勿体ないかなと思いつつも、ヴァルターとの取引の履行を試みようとして────。
「…………おや」
あるべき筈の手応えがない事に気付く。
「これは……困ったねぇ」
「……何がだ?」
「本当にその人、故人なのかな?」
「……間違いなく、死んだ。この目でそれは見たし、俺が弔った。間違いなくな」
一縷の希望もなく、アメリア・メセルディアはあの時、ヴァルターを守る為に死んだ。
それは、偽りようのない過去だ。
「でも、呼び出せないって事は……あぁ、そうか。そういう事かい。なら、さっきの取引は白紙だねぇ、スェベリアの王様」
「……どういう事だ」
話が見えず、ヴァルターは険しい表情でシスティアを問い詰めんと迫る。
「そう怒るような話じゃないよ。白紙にすると言ったのは、ワタシが骨を折る必要がなくなってしまったからだから」
生きているという可能性はゼロだ。
だったら、それはどういう意味なのだろうかとヴァルターの脳内で疑問が渦巻く。
「そう、だね。俄には信じられない話だろうけども、キミは────転生というものを信じるかい?」
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