八十話 三人称
『ふふふ、私、分かっちゃいましたよ陛下。やっぱりあれが〝千年草〟です!!』
『……あの毒々しい色の花がか。どう考えても毒花だろうが』
『でも、〝千年草〟ってフォーゲルの山頂付近に生えてる薬草って私は聞きましたよ? さっきからもう15分くらい探してますが、薬草っぽいのってあの毒々しいやつしか見当たらないんですけど……』
『…………。と、兎に角、それだけは違う。どう考えてもあれは毒花だ』
つい数分ほど前。
現在進行形で毒花であると断じている花を嗅ごうとするや否や、花からあまりに酷過ぎる異臭を吐き出された事により、すっかり警戒心剥き出しとなってしまったヴァルターを相手に、フローラはそうですかねえ? と首を傾げながらその毒花?をじっくりと観察しつつ、絶えず言葉を交わしていた。
「……ったく、楽しそうな面しやがって」
そして、その様子を眺めていたユリウスは堪らず破顔しながら言葉をこぼしていた。
心配になって追い掛けてみたはいいものの、この通り、取り越し苦労。それどころか、面白おかしそうにぎゃーぎゃー二人で騒ぎ立ててる始末。
普段であれば、誰かが後をつけていたならば即座に気付く筈のヴァルターが己の存在に全く気が付いていない事こそが、彼が楽しんでいる何よりの証拠である。
「幾ら何でも気ぃ抜き過ぎだろうが」
そして、出来の悪い子供を見詰めるような慈愛に満ちた眼差しを向けた後、ユリウスは苦笑いを浮かべながら彼らに背を向けた。
「……とはいえ、今日ぐらいは大目に見てやるか」
一国の王が、自国でもねえところで気を抜いてんじゃねえよ。
責め立ててやりたい気持ちを何とか押し留め、来た道を引き返さんと歩を進める。
多少消耗しているとはいえ、今のあの二人が揃ってるのなら余程の事があろうと死にはしないだろう。
それよりも今邪魔をして、ヴァルターの機嫌を損ねちまうと後々が面倒極まる。
そう判断をしたユリウスは、ヴァルターの後をつけていた己のその更に後をつけていたであろう連中に向けてその事を言い放つ事にしていた。
「————つーわけで、あいつらの事なんだが、今はほっといてやってくんねえか」
気配を極力消し、木陰に身を潜ませている複数の人の気配。
ユリウスにとって見覚えのない人間が二人ほど混じってはいたが、敵意が無いことから行動を共にしているアクセアの関係者だろうとばっさりと判断し、笑い混じりにそんな言葉を彼らに投げ掛けていた。
「あぁ、安心してくれ。もう敵は全員始末してある。そっちの心配はいらねえよ。だから、まあ、今は二人きりにしといてやりてえんだわ」
どこか気恥ずかしそうにぽりぽりと、軽く髪を掻きながら具体的な内容の明言を避けつつ、そう述べる。
こっから先へは行ってくれるなと告げるユリウスの言葉を汲み取ってか、アクセア達は足を完全に止めていた。
そして、続け様、
「……一つ、お尋ねしたい事があるんだけど、いいかなメセルディア卿」
何を思ってか、アクセアはユリウスに向かってそんな言葉を投げかけていた。
まるでそれは、この先へと向かわない代わりに教えてくれと言っているようで。
「構わねえ。特別にこの場に限り、つまんねえ質問じゃねえ限り答えてやるよ」
その意図を察してか。
二つ返事にユリウスは構わないと言葉を返した。
「それじゃあ遠慮なく。……彼女は一体、何者なのかな」
アクセアの言う彼女がさす人物。
それは言わずもがな、フローラ・ウェイベイアである。ただ、少しだけとはいえ、フローラと行動を共にして尚、アクセアにはさっぱり分からなかったのだ。
それどころか寧ろ、共に行動をしたせいで逆に謎が深まってしまっていた。
帝国所属であった元将軍の技を己の手足のように扱い、スェベリアの重鎮とも見るからにその関係は深く、極め付けにあの技量である。
はてさて一体、フローラ・ウェイベイアとは何者なのだろうか、と。
「こりゃまた、随分と曖昧な質問だ」
アクセアの質問の仕方であれば、回答はそれこそ、ごまんと存在する。
故に、どれがアクセアが求めている答えであるのか。その判断が付かず、思わずユリウスはそんな返し方をしていた。
しかし、逡巡したのも刹那。
「だがまあ、答えると言っちまった手前、答えねえってわけにもいかねえ。なら、別に隠してるわけでもねえし……いいか。あの嬢ちゃんはな、ヴァルター・ヴィア・スェベリアの護衛役なんだよ。スェベリアの王の、たった一人の、な」
そう、述べる。
だが、それがどれだけ、頭の可笑しい回答であるのか。まともな思考回路をしていれば誰もが理解出来るところであるだろう。
ただの人間であれば、まだ納得が出来たかもしれない。けれど、フローラは帝国の人間の技を扱う上、見た目通りに判断するなら、間違いなく年はまだ十代。加えて、あのスェベリア王の護衛ときた。
誰であろうと頑なに護衛役はいらないと拒み続けてきたあのヴァルターのたった一人の護衛であると。
「なに、そんなに驚く程の事でもねえよ。ヴァル坊の護衛役は、この17年間、ずっと変わってねえんだからな。ただ、ヴァル坊がひたすら代役を立てる事を嫌がってただけだ。あいつの強情な性格を変えでもしねえ限り、もう後にも先にも変化なんてもんは訪れねえだろうなあ」
あれだけ執着を見せているヴァル坊の事だ。
どうせ、心の中じゃあきっとそう考えていたんだろうよと、驚愕の感情を瞳の奥に湛えていたアクセアに向かってけらけらと笑い混じりにユリウスは言い放つ。
何より、そうでなければ周囲から間違いなく反感を買うと理解した上で己の側に無理矢理にでも置こうとしたヴァルターの行動に説明がつかなかった。
「……成る程。あのスェベリア王の護衛、か。道理で強いわけだ。道理で、底知れないわけだね」
スェベリア最強と謳われるヴァルター。
その護衛役を務める人間が弱いわけがない。
どうしてフローラがヴァルターの護衛役を務める事になったのか。その他にもまだまだ尋ねたい事はあっただろうに、これ以上は欲張り過ぎとでも考えたのか。はたまた、それ以外を聞く気はなかったのか。アクセアからの質問はそれただ一つだけに留まった。
「はっ、底知れねえとは言い得て妙だわな。なにせ嬢ちゃんの行動原理ってやつは良くも悪くも真っ直ぐだからよ」
計り知れない実力を持っているが、それは決して得体の知れないものではなく、底知れないだけのもの。だからこそ、フローラ・ウェイベイアという人間を、ユリウスもそう称す。
そして言うべき事は言ったと言わんばかりにアクセアが背を向けようとして、そんな折。
「あー……、それと、俺からも一ついいか。と言っても、質問というよりこれは頼み事なんだが……」
どこか言い辛そうにユリウスが言う。
「もし、でいいんだ。もし、今回のようなロクでもねえ連中の噂や、情報を得る事があった場合、手紙でも何でもいいんだが、俺に知らせちゃくれねえか。勿論、そん時は礼だって弾む」
「……どうして、と尋ねても?」
足を止めて肩越しに振り返る。
アクセア達が拠点としているのはミスレナ商国であり、スェベリアではない。
だというのに、スェベリアの人間であるユリウスに知らせてくれとはどういう事なのだろうかと。
「簡単な話だ。もしあの時、こうしていたら。もう、そういう事を考える羽目になりたくねえんだ」
ぞんざいに言葉を吐き捨てる。
ユリウスの表情にはどこか、薄らと憂愁の影が差していた。
絶望があった。悔恨があった。怒りがあった。そして、悲しみがあった。
ただ、ひた隠しにしてるだけ。
偽りの感情を被って、取り繕っているだけ。17年前の出来事は、きちんとユリウスの中の致命的な何かをごっそりと抉り取り、大きな傷として今も尚、残り続けていた。
たった、それだけの話。
「世の中っつーもんは何があるのか分からねえもんでな。万が一にもねえって思ってた事でも、その一を引いちまう事だってある。おっかねえよ、本当に」
そして、万が一と軽視していたせいで、掛け替えの無い何かを失ってしまう事もある。そのせいで、何かに憑かれでもしたかのように、強くなる為に己を殺し続けてきた人間だってユリウスは知っている。
だから、今度はそうならないように。
二の舞にだけはしないように、たとえどれほど小さな可能性であれ、ユリウスは手を打とうとしていた。
「……分かった。じゃあ、その時はメセルディア卿。貴方に連絡をさせて貰うよ」
「そうしてくれると助かる。それと、引き止めて悪かったな」
「いや、いいよ。どうせこれからの予定なんてものはクラナッハの野郎をとっちめてやるくらいのものだったしね」
ニコラス・クラナッハ。
それはフォーゲルでの調査依頼を出していた依頼主であり、鍛冶屋の店主をしている人物の名前であった。
流石に今回の〝亡霊〟の件に至っては己らも命の危険に晒されており、絶妙なタイミングで依頼を出していたクラナッハは全てを知っていたのだろうと勝手に自己解釈をし、アクセアは彼の下に押しかけるつもりでいたようであった。
そして、今回ばかりは本当に偶々なんだよと必死に言い訳をするも、主にレゼルネにその言い訳はもう聞き飽きてるのよ……!! と、物理的に灸を据えられる事になるのは今から数時間後の出来事であった。
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