七十九話
「……あの、もう、大丈夫ですから」
崩壊を始めた洞から逃げ果せた後もまだ、ヴァルターの脇に抱えられていた私は、控え目にそう口にする。
自分で歩けないほど重傷を負ってるわけでもないし、流石にもう下ろしてと。
しかし、私が幾ら懇願しようとも、それに対する肝心の返事は中々かえっては来ない。
……というより、完全にガン無視されていた。
お前の言葉を聞く義理はないと言わんばかりに。だから私は、この事に関しては何を言っても無駄かと割り切り、脇に抱えられたまま、別の話題を振る事にした。
「……ユリウス殿を放っておいて良いんですか」
洞から脱出した筈のヴァルターであったが、どうしてか、彼は来た道を戻るどころかミスレナとは正反対の道を現在進行形で進んでいる。
その理由は不明であったが、何にせよ、ユリウスと合流する事が先決なのではないのかと私は尋ねるも、
「心配ない。いつもの事だ」
ヴァルターが好き勝手に行動するのはいつもの事であると。だから、心配など必要ないし、その事はユリウスも十二分に分かっている、と。
……私もそれなりに普段のヴァルターを見てきていたからだろう。その言葉に対し、それもそっかと思わず納得をしてしまう。
ユリウスだって、ヴァルターの性格を誰よりも理解してるだろうし、まぁ、大丈夫かなとひとまず納得しておく事にした。
「……ところで、何処に向かってるんですか」
「山頂。折角ここまで来たんだ。用事はとっとと済ませておいた方がいいだろうが」
その言葉で思い出す。
そういえば、私達は〝北の魔女システィア〟から『千年草』を採ってきてくれと頼まれていたんだった、と。
「……ですが、それならお荷物になってる私をユリウス殿に引き渡して山頂に向かった方が労力は少なく済むような気がするんですが」
ヴァルターが一人になってしまうけれど、荷物になっている私はこの場合、いない方がマシだろう。そう考えての発言だったんだけれど、
「ユリウスを探す方が手間だ」
「……さいですか」
ばっさりと一蹴される羽目になっていた。
そして会話は途切れ、無言の時間が数十秒と流れた後、
「にしても、陛下って随分と過保護ですよね」
微かに顔を綻ばせながら、私は話を切り出した。
「魔力を使い過ぎた事に対して否定するつもりはありませんが……、それでも、ここまで過保護だとどっちが主でどっちが従者か分からなくなりますね」
冗談まじりに、そう口にする。
魔力が尽きかけなので多少、身体が気怠く感じたりはするけれど、歩く事には一切の問題はない。なのに、こうして脇に抱えて運んでくれてるあたり、過保護と言わざるを得なかった。
そして、ふと思う。
今まで一人として護衛を付けなかった筈の人間がどうしてここまで一人の人間に対して過保護になれるのか。そのワケは一体どのような理由なのだろうかと。
「……あの、陛下」
「なんだ」
「一つだけ、お伺いしたかった事があるんです」
〝華凶〟との戦闘の前。
ユリウスに、色々と考えておくと私はそう言った。きっとそのやり取りがあったからだろう。
少しだけ踏み込んでみよう。なんて考えを抱いてしまったワケは。
この機会を逃せば、たぶんまたなーなーな感じで時を過ごす事になってしまうだろうから。だから、散々悶々とさせられていた事実に対してはっきりと答えを尋ねてみようと思った。
「私を女官に取り立てた事や、こうして連れ回す理由は、それは私が私だからですか?」
山頂を目指して歩んでいたヴァルターの足が、止まる。
「……言葉の意味が分からん」
引き返すのであれば、きっとこのタイミングが最後のチャンス。
けれど、私は引くという行為を許容しなかった。それどころか、それでも尚、どうしてか嘯こうとするヴァルターに対して私は
「……私が、アメリア・メセルディアだからですか」
そんな言葉を突きつけた。
何も知らない人間がこの発言を聞いたならば、まず間違いなく頭のおかしい奴と思われていた事だろう。
なにせ、アメリア・メセルディアとは、既に死んだ筈の人間であるから。
けれど、ヴァルターだけは、そうは思えない。
どんな手段を用いたのか、私がアメリアであると知っているであろう彼だけは、否定する事が出来ないのだ。
なんと返事をしたらいいのか悩んでいたのか。
少しだけまた間が空いて。
やがてやってきた言葉に対し、
「仮にそうだとして、何か問題があるか?」
……問題だらけだよ。
そう、胸中で言葉を返す。
そもそも、私がヴァルターの女官を務める件について了承した理由は、罪悪感があったからだ。
だというのに、ヴァルターは私がアメリアと知った上で、己の護衛を務めろと言っていたと言っている。
元より、ヴァルターはアメリアに対して怒っていると思っていた手前、どうして自らの意思で私を側におこうと思ったのか。
その理由がどうしても理解出来なかった。
「……俺も、前々から言っておきたかった事があった。きっとお前は一つ、勘違いをしているだろうから」
どう言葉を返したものかと言い淀む私を見かねてか。ため息まじりにヴァルターは言葉を続けた。
「なんでお前が……いや、貴女が、そんな顔をするんだ」
……すぐには、その言葉の意味が分からなかった。
「どうしてそんなに、罪悪感に駆られたような顔をする必要がある。俺は、貴女を責めた事など、一度としてないんだがな」
そして、補足されたその言葉のおかげで漸く理解する。ヴァルターは、私がどうして〝罪悪感〟を抱く必要があるのかと指摘したかったのだと。
「お前」から「貴女」に呼び方が変えられた事すら気に留めず、私は心の中でそんなの当たり前じゃんと必死に言葉をまくし立てる。
「だって私は————」
守ると約束したにもかかわらず、それすらも守れなかった人間だから。
そう言葉を並べ立てようとして。
「うるさい」
少しだけ苛立ちを込められたヴァルターの言葉のせいで強制的に、発言を遮られてしまう。
「生きる事すら半ば諦め切っていたあの頃の俺は、アメリア・メセルディアという騎士によって救われた。それが全てだ。誰がなんと言おうと、俺にとっては、それが全てなんだ」
やってくる言葉。
舌に乗せられた言葉の重さの違いに、私は驚愕の感情を上手く隠す事が出来なかった。
「だから、分かるか。貴女がそうやって〝罪悪感〟を抱く事はそもそもお門違いだ。俺は貴女を責めてはいない。責める筈が、ないだろうが……ッ」
その発言のおかげで、不本意ながら何となく己の感情というやつが理解出来てしまった。
きっと私は、責められたかったのだ。
最後まで守るという約束を貫けなかった私は、責められたかったのだ。責められて、楽になりたかったのかもしれない。
積み重なった慚愧の念を、己なりの刑罰という形で贖いたかったのかもしれない。
だからこんなにも、もどかしい。
だからこんなにも、釈然としない。
17年越しに伝えられた事実に対して、だから私はこんなにも納得がいかないのだろう。
……けれど、相手はあのヴァルターだ。
今でこそ、性根が少しばかり捻くれてしまっているけれど、相手はもの凄く意固地で、それでいて、人一倍義理堅いあのヴァルターだ。
故に、私はこれ以上どれだけ言葉を重ねようが無駄かと諦める事にした。
「……殿下は、変わらないですね」
そういうところが、特に。
そう言おうとした私だったけれど、つい、敬称を間違えてしまう。
過去のヴァルターと重ねてしまっていたせいか。口を衝いて『殿下』という敬称が出てきてしまう。
でも、あえて言い直す事はしないでおいた。
「お前もな」
どこが。
つい、そんな感想を抱いてしまったけれど、それを尋ねてしまったが最後、色々と知りたくない事実もちらほらと出てくる予感しかしなかったので触れずにいようと思った。
「でも、悪くないものですね」
どうして、私という人間が前世の記憶を所持したまま転生したのか。その理由についてはまだまだ謎だらけ。
けれど、悪くないと思った。
あの時とはお互いに立場が違うけれど、こうして腹を割って話せる機会を得たというだけでも、転生をするのも悪くないと思えた。
「気に食わないあーいう輩もまだ、変わらずいるみたいですけども」
つい先ほどまで私達にこれでもかと言わんばかりに殺意を叩きつけてくれていた〝華凶〟の連中の事を思い返しながら、小さく笑う。
あの後、洞の崩壊から免れ、生き延びたかどうかは知らないけれど、それに限らず他にまだ残党がいる可能性だって十分にある。
「……そう、だな。あいつらは17年前と変わらずのロクでなしだ。次、会ったら今度こそ、後腐れなく叩き潰すか」
まだまだ、溜まりに溜まった借りを〝華凶〟に返し切れてないしなと私達は顔を見合わせて、笑い合った。