七十四話 三人称
* * * *
「————……そうですか。ヴァルター・ヴィア・スェベリアが此処に向かっている、と」
暗い、昏い空間。
消え入りそうな光源が点在するだけの視界不良の洞の奥にて、ぽつりと、消え入りそうな声で色素の抜けた白髪の男性がそう呟いた。
「……まさか、あのクソ国王と此処に来ても出会っちまうとは。どーすんですか。聞けば、相当な腕利きもあのクソ国王の側に二人いるとか」
「らしいですねえ。ですが、それは我々からすれば好都合というものでしょう。あの憎きスェベリア王を殺す機会が転がり込んできた。そうは捉えられませんかね?」
そう言いながら、ニマニマと白髪の男は不気味な笑みを浮かべつつ、ある一点に視線を向ける。そこには鉄格子越しに肢体を鎖で繋がれ、膝をついて項垂れた状態のナニカが一つ。
「まだ完成と言える段階にありませんが、まぁ、あの王を始末出来るのであれば、此方にある程度損害が出ようが許容範囲内です」
「————成る程。〝魔人〟を使う、と」
「実に業腹ではありますが、あの王は強い。轟いている勇名は伊達じゃありません。それも、その武勇は〝華凶〟を一方的に壊滅に追い込める程。であるからこそ、手段は選んでられない。そうでしょう?」
一見すると草臥れただけの人間にしか見えないソレであるが、見るものが見れば、その恐ろしさに気付くことだろう。
その男のナリをしただけの人間に内包される魔力の質。その異常性に。
「お陰で〝亡霊〟がわんさかと生まれてしまいましたが、まぁこればかりは仕方がありませんねえ。色々と勘繰る輩はいましたが、あの方がちゃんと此方の要望通りに動いてくれたお陰でここまでは恙無く進められました」
白髪の男が脳内で思い浮かべたのは一人の男性の姿。ミスレナ商国において、最上の権力を与えられた『豪商』と呼ばれる三人。そのうちの一人であった。
「時期尚早。そんな事はわかっていますがこうなった以上、コレを彼にぶつける他ないでしょう。とある東の国の言葉を借りるとすれば————〝飛んで火にいる夏の虫〟ってところですかね」
「オレらが火で、あいつらが虫って事っすか。まぁなんというか、上手い言葉を考える奴もいたもんだ」
「そうですねえ。……ただ、一つだけ懸念が」
「懸念、っすか」
白と赤の入り混じる仮面をつけた男が怪訝そうに首を傾げ、そう問い返す。
「ええ。貴方の耳にも届いていたでしょう? 先程の轟音が」
「それは、まあ」
白髪の男が指摘したのはつい数十秒前もの出来事。彼らが根城とする洞に響き渡った轟音について、であった。
「恐らくあれは魔法の仕業でしょう。誰かがここで暴れでもしてるんでしょうね。しかし、それは一体、誰の仕業なんでしょう」
「…………」
そう言われ、仮面の男は口籠る。
「ヴァルター・ヴィア・スェベリアは言わずと知れた人嫌いです。仮に、側に人をつけるとしても妥協出来る人間というのはかなり限られている。しかし、スェベリアの騎士団長であるユリウス・メセルディアを始めとして、彼に比較的近しい人間の大半が剣士です。決して彼らは魔法使いではありません。とすれば、先の轟音は、一体誰の手によるものなのでしょう?」
彼らは〝華凶〟の人間。
故に、ヴァルターに対する恨みも計り知れず、その為に色々と調べ尽くしている。
だからこそ、分からなかったのだ。
あのヴァルター・ヴィア・スェベリアが素性の知れない魔法使いを己の側に置くだろうか、と。
内情を知り尽くしている人間だからこそ、疑問に覚える。
故に、底知れないナニカを感じてしまう。
「鬼が出るか蛇が出るか。やはり、〝魔人〟を使う他ありませんねえ」
ケタケタと笑い、白髪の男は身を震わせた。
「……しかしまぁ、とんでもねえ事を考える奴もいたもんすねえ? まさか、実体の存在しない〝亡霊〟を人の中へ無理やり強引に取り込ませ、〝魔人〟として更なる高次の存在に昇華させる。そんな考え、普通の人間じゃ思いつきもしませんって」
「ま、流石の僕もそれには同意ですね。ただ、そうまでしなければ、倒せないような化物が過去にはいたんでしょう」
だから、〝魔人〟のような得体の知れないモノの造り方が遺されていたのだろうと彼は言う。
数多の〝亡霊〟と母体となる人間のキメラ。
それが彼らが〝魔人〟と名付けるナニカの正体。その悍ましさの片鱗は、魔法を封じる手枷足枷をつけられ、鉄格子に囚われていて尚、感じる事が出来る程。
「しかし、案ずる事はありません。完成でないとはいえ、〝魔人〟はそういった化物を倒す為に生み出される筈だったモノです。いくらあのスェベリア最強と謳われるヴァルター・ヴィア・スェベリアであろうと、勝ち目は万が一にもありませんよ」
「……それは、まぁ、分かるんすけど、果たしてアレがオレらの言う事を素直に聞きますかね。いやそもそも、聞く耳が機能してるかもありゃ不明っすよ」
ぴくりとも動かない人間だったモノに仮面の男は焦点を当てながら呆れ半分に宣う。
しかし、白髪の男はその発言に対してため息を一つ。君は何も分かっちゃいないと呆れていた。
「僕の魔法を忘れたんですか? 他者の精神を弄る事を得意とする僕の魔法を」
魔法には様々な種類があるものの、過去に存在した規格外————〝貪狼ヨーゼフ〟のような例外を除いて基本的に、人は多くても二つ三つの種類しか魔法は扱えないとされている。
そして、そこには天性の適性というものが存在しており、火の魔法を扱いたくても適性がなければどれだけ努力を重ねようが、使える日は一生涯やってくる事はないのだ。
「……あれを、洗脳出来るんすか?」
「さぁ? ですが、出来ない事はないでしょう」
信じられないと言わんばかりに言葉を紡いだ仮面の男に対し、白髪の男はそう言い切る。
「……ただ、問題が一点」
「というと?」
「僕の魔法は、内包された魔力に作用して効果を発揮するタイプの魔法なんですよ。なので、洗脳を試みる場合、魔力を封じ込んでいる手枷足枷を外さなくてはならないんですよねえ。せめて先代が生きていれば取り押さえ……いえ、それを今言っても仕方がありませんか」
白髪の男。
名を————カザフス。
彼は、数年ほど前にヴァルターが〝華凶〟を滅さんと荒らしに荒らした一件から逃れた生き残りの一人であり、現在の〝華凶〟の頭領であった。
しかし、カザフスは実力で選ばれたわけではなく、ヴァルターにぶち殺された先代の〝華凶〟頭領の側近であったが故に選ばれた人間。
だからこそ、そんな弱音が口を衝いて出てきてしまう。先代がいてくれていたならば、と。
「————と、言ってる間に残された時間も僅かとなってしまったらしいですねえ」
二、三、繰り返し響く轟音。
その音は確実に大きくなっていた。
恐らくもうすぐ近くにまで来ている。そんな確信がカザフスの中にはあった。そして、それは仮面の男の中にも。
「さ、どうなるかは分かりませんが、急ぐとしますか。……僕みたいな悪党が言うような言葉じゃあありませんが、此処からは弔い合戦とでもいきましょうかねえ?」
くひひっ。
色素の薄い唇の端を吊り上げながら目を細め、カザフスは嗤う。
そんな彼の瞳の煌めきは危うく、あえて言葉に変えるとすれば、それは正しく狂った瞳であった。
「————出番ですよ、〝魔人〟」
ゆっくりとした足取りで歩み寄り、カザフスは南京錠を外す。そしてキィ、と音を立てて鉄格子は開かれた。
やがて、青白く光る輝きを双眸に薄らと纏わせながらカザフスは告げる。
まるで擦り込むように、ゆっくりと、手枷を外しながら、念入りに。
「僕と、そこの男」
そう言って仮面の男を指差してから
「この二人を除いた全てを————殺して下さい。貴方の中で際限なく湧き上がる殺戮衝動に全て、身を委ねて」
がしゃり、と〝魔人〟の右手を拘束していた手枷が音を立てて地面に落ちる。
「容赦はいりません。徹底的に、殺して下さい」
次は、左手。
刹那、ぴくりとも動かなかった〝魔人〟の身体が小刻みに震え始めていた。
「いいですか。特に男。銀髪の男は刺し違えようが、絶対に」
そして、右足。
〝魔人〟を縛り付けていた枷はあと一つ。
これを外せば、魔力を根こそぎ奪い、魔法を使えなくするという効果が完全に消滅する。
肉食獣を野に放つようなものである。しかし、カザフスは誰よりもそれを望んでいた。
故に、〝魔人〟を縛り付ける最後の枷————左足へと手を伸ばす。
手に掛けると同時、言葉に魔力を乗せて彼は言葉を紡いだ。
洗脳魔法特有の代償。
己よりも上位の存在に対して洗脳を試みた場合、特に顕著にあらわれてしまう頭の内側を灼くような痛みに苦悶の声を噛み殺しながら
「さぁ、貴方の力を見せて下さい。獲物は目の前です。さぁ、さぁさぁさぁサァサァサァサア————」
悠然とした足取りでやって来る二人の人間。
その姿を尻目で捉える彼は、愉悦に相貌を歪め、嗜虐の声音で紡いだ。
「————アイツらをコロセ」
直後。ぶわり、と辺りを覆い尽くす突き刺すような殺気の発露。
程なく、その身体の何処にそれだけの力があったのだと思わず叫びたくなる程の獣の如き敏捷性を以て、〝魔人〟と呼ばれていたモノが跳び上がる。
次いで、行われるは残像を残す踏み込み。
そして、肉薄を試みる。
まさしく、〝魔人〟としか形容しようのないその異質さに。異常性に。規格外さに。それら全てを前に、カザフスは身体を、喉を、盛大に思わず震わせてしまっていた。
「……ハ、ハハハッ、ハハハハハハハ—————ッ!!!!」
見覚えのある銀髪の男——ヴァルター・ヴィア・スェベリア。そして、カザフスにとって見覚えのない剣すら抜いていない亜麻色髪の少女———フローラ・ウェイベイアの姿を射抜きながら何度も、何度も繰り返し嗤う。
抗え、抗え、抗え。
抗った果てに、無様に死んで逝けと。
その想いは笑い声に変わり、際限なく場に轟いていた。