七十一話
「————にしても、〝華凶〟が因縁のある相手、ですか」
ふと、ヴァルターの口にしていた言葉が私の脳裏を過った。
それはアクセアさん達と別れる直前に彼が言っていた言葉。
ただ、私にとってその発言は到底見過ごす事の出来ない内容であった。
「まぁ、陛下ほどの人間ともなれば暗殺者集団からの恨みの一つや二つくらい出来ちゃいますか」
私は。
フローラ・ウェイベイアは、ここ十七年間、ヴァルター・ヴィア・スェベリアが何をしていたかを全く知らない。
だから、ヴァルターのその発言を耳にした時、これ以上ない嫌な予感に見舞われた。
……私の過去の記憶は、強く気にしていないだけで、ところどころが灰色に霞んでいる。
印象深い記憶こそ、忘れないでいられてるけど、思い出そうとしてもうまく思い出せない記憶の方がはっきり言って多かった。
だから、顔を顰めてしまう。
特に、〝華凶〟は私とヴァルターが共に行動していた僅かな時間の中で、ヴァルターを殺さんと私達を追い回してくれていた追手の正体であったから。
「————そりゃあな。嬢ちゃんはあんま知らねえだろうが、ヴァル坊はこう見えて結構過激な考えを持ってるせいで多方から大小の恨み買ってんだ」
だから、ヴァル坊のいう因縁のある相手なんざ数え出したらキリねえぜ?
と、どうしてかヴァルターの返事を待たずにユリウスが半ば無理矢理に割り込んで、笑いまじりにそう言った。
「……何となくそんな気はしてました」
「応よ。だがまあ、それだけならまだ救いようはあんだが、ヴァル坊のやつ、色んなとこから恨み買いに行ってる癖に一向に護衛ひとつ付けようとしやがらねえからな……だからほんと、嬢ちゃんみてえな存在が出て来てくれて心底助かったぜ」
私のような存在、というのは恐らくヴァルターが認めた護衛という意味なのだろう。
「特に、こういう場面だとかなり助かる。なにせ、嬢ちゃんがいればヴァル坊のやつが考えなしに先を突っ走る事はまずねえからな」
それだけでも、俺からすりゃ大助かりだ。
と、何故か私がいるとヴァルターを御せるみたいな言い草でユリウスが言葉を並べ立てる。
だから思わず私は首を傾げた。
護衛役の人間がいるから安心。ではなく、何故かユリウスは私がいるからヴァルターは無茶をしようとしないと言った。
「……あの、それはどういう」
「気になるんならそこにいる本人に聞きゃいいと思うぜ? きっと、嬢ちゃんの口から聞けばヴァル坊も特に隠す事なく答えてくれるだろうしよ」
そう言われ、言葉に従うように私の視線はユリウスからヴァルターへと移動。
「……臣下を死なせたくない。そう言った筈だが」
少しだけ不機嫌に、当たり前の事を二度も言わせるなと言わんばかりに彼は口を尖らせていた。
「————そういうこった。嬢ちゃんは冗談か何かと思ってたみてぇだが、ヴァル坊に冗談を言うセンスなんてもんはねえよ」
どこまでも愚直な人間。
嫌なものは嫌であると一切の余地なくひたすら拒む姿勢を崩さない石頭である。
仮にヴァルターに、冗談を言えるセンスなんてものが備わっていたならば、もっと上手く世渡りが出来ていた事だろう。
それを誰よりも近くで見てきたユリウスだからこそ、ヴァルターが口にする言葉は滅多な事がない限り、嘘偽りのない真実であると言うのだ。
「…………」
背中は任せろ。
ヴァルターのその発言はてっきり、冗談か何かかと思ってた。
だって、サテリカの時はかなり適当だったし。
何よりヴァルターのやつ、一人で先々行ってたし。だから、今回も変わらずと私は思ってたんだけど、どうやら違うらしい。
「とはいえ、嬢ちゃんら、もう半年くらい一緒に行動してんのに、お互いの事を知らねえ部分がちっと多過ぎやしねえか?」
お互いがお互いに、何を遠慮してんのか、俺は知らねえ。ただ、今後の事を考えると一度くらい腹を割って話してみたらどうだ。
……そう、ユリウスは何を思ってか私とヴァルターに向けて言い放っていた。
「遠慮、ですか」
「発言がいちいち遠回しなんだよ。俺に向けて言った言葉じゃねえって事は百も承知だ。だが、聞いてるこっちがもどかしくなる」
メセルディア侯爵家は生粋の武家。
そしてその現当主であるユリウスは特に、武人気質な性格をしていた。
故の発言。
「あえて聞くつもりはなかったが、ついさっきの〝華凶〟についての話題振りも、何か別で聞きたい事があったから口にしたんだろ?」
昔からそうだった。
ユリウスは、変なところで鋭い性格をしてる。
……本当に、その言葉が図星過ぎて言い訳の言葉が浮かばないのは勿論、私は沈黙を貫くしか出来なかった。
本音を言うと、私はヴァルターに尋ねたい事があった。けれど、それは決してフローラ・ウェイベイアが尋ねるべき事柄ではない疑問。
〝華凶〟に対する因縁。
それ即ち————過去の私の存在が、枷として今も尚、ヴァルターの中で残り続けてしまっているのではないのか。
本当はそう、尋ねたかった。
そうなのではと、懸念していた。
私以外の誰かが聞いたならば思い上がりも甚だしいと笑われる事だろう。でも、絶対に違うとはどうしても思えなかった。
あの時のヴァルターは、当時の私の目から見て心底、彼のような人間が王になるべきだと思ってしまう程に優しく、それでいて儚い人間に映っていたから。
何もかもを抱え込んでしまいそうな危うさが彼にはあったから。
だから、もし私の想像通りであるのならば、一言謝りたかった。でも、フローラ・ウェイベイアである限り、それは決して言ってはならない一言だ。
「深く詮索するつもりはねえが、それでも————いや、これ以上は余計が過ぎるか」
「…………」
頷く事も、否定する事もしなかった。
ただただ、沈黙という煮え切らない選択肢を私はひたすらに掴み取っていた。
でも、ずっと口を真一文字に引き結んでおくわけにもいかなくて。
「……色々と、考えておきます」
「そうかい」
どうしてか、短い返事をくれたユリウスは嬉しそうな笑みを浮かべていた。
……正直なところ、ヴァルターの護衛という役目はすぐに終わると思っていた。
ただの気まぐれ。暇つぶし。
どうせそんな事だろうし、何より相手は国王様で、色々と負い目もある相手。なので、まぁちょっとくらい付き合うのも吝かではない。ぐらいの気持ちで護衛の役目を全うしていた。
だから、私がアメリア・メセルディアとして生きた記憶を持っている事は伏せていたし、話す気もなかった。この身は既に、フローラ・ウェイベイアであるから。
「————時に、陛下」
「……ん?」
「こんな時に聞く事じゃないんですけど、……陛下の護衛は、いつまで続ければ良いんでしょうか」
そう言えば聞いてなかったような気がして、つい、その場のノリと勢いでそんな質問をぶち込んでしまう。
「俺が、退位するまでだろうな」
返事は即座にやってきた。
ヴァルターの言葉を鵜呑みにするならば、長くて十年程。私の今の父親が進んで国王陛下の側仕えという地位を捨てろというとは思えないし、長い付き合いになる事は最早明らかであった。
どうせ、あの言い草からしてユリウスとヴァルターは私の秘め事について薄々勘付いているのだろう。
元々、私は文官の家の令嬢である癖に剣を振れる、なんておかしなくらいチグハグなヤツである。おまけに〝華凶〟に対しての感情も隠し切れてないだろうし、私はフローラ・ウェイベイアと割り切ってしまってはいるけれど、一応話しておくべきなんじゃないかなと、ふと思ってしまった。
「そうですか」
可も不可もなく。
私の口から出てきた声音は言葉にするならまさにそんな感じ。
ただ、表面上は淡白であったけれど、内心は違った。近いうちに、話すかな。
……そんな感情が、私の中で渦巻いていた。
————二人して不器用なヤツら。
何処からか聞こえてくるそんな独り言。
たまたま拾えてしまったその声に、私は苦笑いを浮かべながら同意する他なかった。
「————で、〝華凶〟が逃げた方角ってのは本当にこっちでいいんだよな? 嬢ちゃん」
先程からずっと歩きながら話していたユリウスの足が、ゆっくりと言葉と共に止まる。
「はい、間違いなく」
「んなら、やっぱり彼処なのかねえ。ヴァル坊はどう思うよ?」
そう言うユリウスの視線の先には見るからに怪しい洞穴がひとつ。入り口にはただただ、見通せない闇が広がっていた。
「…………」
ユリウスの言葉に反応して、険しい表情を浮かべるヴァルターは口を真一文字に引き結び、じっと静かに洞穴の先を凝視——観察。
そして無言の時間が十秒、二十秒と過ぎて行き、
「————人間かどうかの判別はつかないが、あの洞の奥から結構な数の魔力反応はあるな」
「なら決まりだな」
特別魔力に聡いヴァルターの一言によって今後の方針は決まった。
「ひとまず、まぁ、面倒事はとっとと終わらせるに限るよなあ?」