六十九話
『ハハハはハハハハはハッ!!! ひゃはははハハははは!!! 堪んねえ!! やっぱ堪んねえよあんた!!! 流石はあのヨーゼフが勝負を投げた剣士だ!!!』
……頰が裂けたように唇を歪ませる一人の男。
耐え切れないと言わんばかりに彼は狂笑をあげる。
どこまでもそれは響き、耳朶を打つ。
頭上を見上げる顔を手で覆い、身体を曲げ、震わせながらさながら悪魔のように男は声すら震わせる。
『あんたに盛ったのは魔物ですら昏倒する劇物だ!!! だってのになんであんたは立っていられる!? 剣を振うことが出来る!? なんで倒れねえ!? 分からねえ、分からねえ!! だが!!! だが、だが、だが、だが!!! なればこそ、オレァあんたを認めねえといけねえ!! 歴代最高傑作と呼ばれたオレだからこそ、認めてやるよ!? この、イェニーが!! 〝華凶〟の歴代最高傑作であるこのオレが!! あんたが世界で一番イかれてるってなァァァア!!?』
……そんな、不快でしかない記憶にどうしてか思考を塗り潰されていた私は漸く我に返る。
そういえば私、今何してたんだっけ。
一瞬、前後の記憶が思うように思い出せず、そんな疑問を抱いてしまうが、それも刹那。
……そうだ。
私は、〝華凶〟の下に向かっていたんだったと思い出す。
「……フローラさん大丈夫?」
側にいたレゼルネさんから心配の声がかかる。
どうしてか、意識が一瞬飛んでしまっていたのだが、それを言うと更に心配を掛けてしまうと分かっていたので私は気丈に笑う事にした。
「……あぁ、ちょっとぼーっとしちゃってただけです」
だから大丈夫ですと。そう伝える。
……恐らくは、近くに目当ての〝華凶〟がいるから、なのだろう。
お陰で過去の記憶が無意識のうちに勝手に浮上して私の意識を一瞬ばかり支配していた。
ヴァルターを始末する為にと寄越された暗殺者のひとり————私に致命傷を負わせてくれたイェニーと名乗っていた男の事を思い返していたのだと自覚をし、盛大に私は顔を顰めた。
……お陰でヴァルターに泣かれるわ。死ぬ羽目になるわと散々な目にあった。あのクソ野郎と思うぐらいは許されて然るべきだろう。
「さ。さっさと倒しちゃいましょう! あーいうロクでもない奴らはボコボコにしておかなくちゃいけませんからね」
そう言って私を心配してくれていたレゼルネさんに私は大丈夫です。と言わんばかりの姿を見せ、前へ進もうとして。
「……えっ、と、アクセアさん?」
私とレゼルネさんより先を先行していた筈のアクセアさんとサイナスさんが足を止めている事に私は漸く気付く。
どうしてか、一触即発の空気が場に満ちていた。なんだなんだとアクセアさん達の視線の先に私も焦点を当てると、そこには外套を頭からすっぽり被った男が一人と、疲れ切った表情を浮かべる知人が一人。
一瞬、私は夢でも見てるのかと瞬きをあからさまに行う。しかし、目の前の光景は変わらない。
……なんでこんなとこに、ユリウスとヴァルターがいるんだろうか。
別行動って言ってたじゃん。
てめえら私を置いてどっかに行きやがったじゃん。と思いつつも、私はぴくぴくと表情筋をピクつかせる。
「……あの、すっごい張り詰めた空気になってて申し訳ないんですけど、あの二人、私の知り合いです」
そういうや否や、直立不動で目の前で佇む身内二人をよそに、「ほらね」とアクセアさんは警戒心を露骨にあらわにしていたサイナスさんに向けて言ってみせる。
そういえばアクセアさんだけは酒場でヴァルターとユリウスと会ってたっけ。
「……ただ、フローラの身内だとしても、一つだけ疑問がある。なんでそこのお二人はそっちから来たのかな」
後ろから追いかけて来たならまだ分かる。
でも、アクセアさんが言うそっちとは、〝華凶〟が逃げて行った方角であった。
どうしてそっちからやって来るのか、理由が知りたいとアクセアさんは言外に尋ねていた。
程なく、疲れた表情を浮かべるユリウスではなく、外套を被った不審者スタイルのヴァルターが何故か私を右の人差し指で指差した。
「そいつを探してたからだ」
抑揚のない声が響く。
……はて。私を探していた?
何か急ぎの用事でもあったかなと思考を巡らせる。けれど、心当たりはどこにも無かった。
「ヴァル坊のやつ、嬢ちゃんの性格からしてきっと先々行ってるだろうからって言って本気で走りやがってよ。お陰でこの有り様だ」
と、補足をせんとため息混じりにユリウスが言う。その姿をよくよく注視してみるとどうにもユリウスは肩で息をしていた。
スェベリアの騎士団長を務める人間が、肩で息をしているのだ。
……恐らくは言葉通り、本気で走ったのだろう。
で、先にいると思ってたけど案外私が先へ進んでなくていなかったから引き返して来た、と。
ユリウスの強さを知る私は嗚呼、成る程。と理解が出来るのだが、恐らくアクセアさんやサイナスさんにもソレを求めるのは酷というものだろう。
ヴァルターもそれは分かってるだろうに、どうしてか親切に説明しようとはしない。
それどころか、無言ですたすたと此方へと歩み寄って来ていた。
次いで、何を思ってか。
ヴァルターは身に纏っていた外套を脱ぎ、私の前に立つや否や、それを半ば無理矢理に押し付けられていた。
「これを着ておけ」
外套をとって隠れていた銀糸のような髪があらわになる。相変わらず、なんで男の癖にそんなに綺麗な髪してるんだよと思わず叫び散らしたくなった。
「お前は危なっかし過ぎる」
何故か、私は呆れられていた。
……意味がわからない。
全く以てその唐突過ぎる発言の意味が分からなかった。
「————って、あんた……」
ちんぷんかんぷんになっていた私をよそに、サイナスさんはパクパクと忙しなく口を開閉しながら何かを言い掛けて、止まる。
「……は、ははっ、強いとは思ってたけど……成る程。そういう事か」
続くように、猜疑心をつけていた筈のアクセアさんは何故か引き攣った笑みを浮かべていた。
まるで、つい先程の懸念は完全に無くなったと言わんばかりに。
「おーい。嬢ちゃん。ヴァル坊から渡されたそれ、ちゃんと着とけよ。一応、それはハーメリアの奴がヴァル坊に寄越した特注品でな。それさえ着てりゃ、余程のことでもねぇ限り、擦り傷すら食わらねえよ」
へぇ。この外套にそんな機能が。
と、納得しかけた私だけど、いやいやいや。と左右に首を振る。そんな上等な外套なら尚更私にじゃなくてヴァルターが着るべきじゃんと。
だから、受け取れないと返却しようとして。
「いらん気を回すな。お前は大人しくそれを着てろ」
有無を言わせぬキツめの視線がやって来る。
この様子だと恐らく、何を言っても無駄なのだろう。実際、ユリウスに何とか言ってよと視線で訴えかけるも、そりゃ無理な相談だと破顔するだけ。薄々分かっていた事だけど肝心なところで全く役に立たないユリウスである。
「さ、嬢ちゃんも揃った事だ。遅くなったが自己紹介でもしておくか」
あの空気の中じゃ自己紹介ですら、出来るような雰囲気じゃなかったしなと言葉を付け加え、ユリウスはアクセアさん達に向けて口を開いた。
「俺はユリウス。ユリウス・メセルディアだ。で、こっちの銀髪がヴァルター・ヴィア・スェベリア。そこのあんたが俺らが〝華凶〟かどうか気にしてたから一応言っとくが、俺らは〝華凶〟でも、ましてやあんたらの味方でもねえ————そこの嬢ちゃんの身内なだけだ」