六十七話 ヴァルターside
* * * *
「おい、ヴァル坊。てめぇ……謀りやがったな」
「何の事だ?」
「ったく、平気な面して恍けやがって」
可愛さの欠片もねぇな。と愚痴を零す。
己の相貌を隠す為の外套すら身につけず、足早に先を歩く俺に向かってユリウスは顔を顰めていた。
「何が〝華凶〟をおびき寄せる為だってんだ。……ハナからフォーゲルに向かうつもりだっただろ」
淀みない歩調。
それは、早いところ〝華凶〟を始末しておきたいから。という感情から来るものかとユリウスは思っていたんだろうが、それは見当違いもいいとこである。
俺の行動原理は今も昔も変わらず単純明快。
たった一つの執着心だけが俺を動かしているというのに。
もう手遅れでしかないが、フォーゲルの方角に向かって歩いていた時点で察するべきであったとユリウスは目に見えて呆れ返っていた。
「そもそも、あの〝鬼才〟に助力なんてもんはいらねぇんだよ。ヴァル坊が心配せずとも嬢ちゃんは間違いなく何事も無かったかのように帰ってくる。それは間違いねえ」
ユリウス・メセルディアは、アメリア・メセルディアの〝異質さ〟を誰よりも間近で見てきた人間だ。そして、メセルディア侯爵家歴代最強とも謳われたシャムロック・メセルディアが才だけならば、自身よりも数段上であると言ってのけた事も彼は知っている。
だから、言い切れてしまう。
情がないだとかそんな事ではなく、ユリウスはアメリア・メセルディアに対して絶大過ぎる信頼を置いてしまっているのだ。
故に、心配いらないと言い張ってしまう。言い切れてしまう。寧ろ、あの類の人間に助力という行為は却って邪魔にしかならないだろうと断じてしまっているから。
—————ただ。
俺はゆっくりと歩みを止め、後ろから追従していたユリウスへと肩越しに振り向き、口を開く。
「物事に、絶対はない。それはお前も知ってるだろ。ユリウス」
「…………」
その言葉に、ユリウスは口籠る。
彼だからこそ、何も言えない筈なのだ。
メセルディアの人間だからこそ、何も言えないのだ。絶対的強者とされていた者ですら、呆気なく死んでしまったという事実を知ってしまっているから。
「……だが、それは」
致命的過ぎる足手纏いがいたから。
……そんな事は知ってる。
指摘されるまでも無く、ちゃんと理解している。しかしだからこそ、
「だから、俺は剣を学んだ。もう足手纏いとは誰にも言わせんさ」
もう二度と、俺のせいで臣下が命を落とすのは嫌だから。それだけは許せないから。
故に、剣を学んだ。
ユリウスもまた、俺に剣を教えてくれた人物の一人であるからこそ、言い返す事は出来なくて。
「……言うようになったじゃねえか」
「あれからもう十七年も経った。当然だろうが」
足手纏いがいたからアメリアは致命傷を負った。暗にそう言おうとしていたであろうユリウスを牽制するように先んじて言葉を言い放った俺の言動に、彼は苦笑いを浮かべていた。
「俺を止める手段なんてものは最早、手足を縛るくらいしか無いぞ。どう言いくるめようと試みたところで俺は妥協をする気はない」
己がどんな地位にいるだとかそんな事は些末でしかないと逡巡なく切り捨てる。
あるのはただ、俺がどうしたいのか。
という根本的な思考回路だけ。
「……これじゃ、どっちが護衛なのか分かったもんじゃねえな」
「アイツは俺の護衛。俺はアイツの護衛だ」
「なんだそりゃ」
それじゃあ本末転倒もいいところじゃねえかと、ユリウスは力なく笑った。
恐らく、この様子だと説得は不可能であると判断したのだろう。何処か投げやりに、ガシガシとユリウスは髪を掻きあげた。
「……あーあ。やっぱこうなんのかよ。ま、ぁ、薄々だが分かっちゃいたんだがな」
はぁ、と深いため息を一つ。
「俺を置いて一人で先を突っ走らなかった事だけは褒めといてやるよ。だが、ヴァル坊は曲がりなりにも王なんだ。人並み以上に戦えるとはいえ、ちったあ自愛してくれや」
「無理だな」
「……だよな。言って直るんならあの眼鏡が胃薬を常備する事にもなってないわな」
犬猿の仲とも言える財務卿——ルイス・ハーメリアの心労を思い返しでもしたのか。
即座に返答した俺の行為を前に、再び顔にユリウスは皺を刻み、苦笑いを浮かべた。
「ただ、どうするよ。今、フォーゲルにゃ規制が入ってるらしいが、俺らは何も通行証だとかそんな類のもんは持ってねえぞ」
「罷り通る。何か問題が出るようなら、後からエドガーに言い訳をすれば良いだけの話だ」
「ま、そんな事だと思ってたがな」
やっぱり聞くだけ無駄だったかと。
ユリウスは投げやりに視線を落とした。
「つーわけだ。話は聞いてただろ? 悪りぃが此処、通してくんねえか」
そう言って、ユリウスは俺から視線を外し、己の視界の先に映る男に向けて言い放つ。獣の牙のような首輪型の魔導具を身に付けた男であった。
「心配いらねえって言ってんのに、ヴァル坊のやつ、全く聞いてくれなくてよ」
強引に引き留めても勝手に突き進むだけ。
ならば、多少危険が伴おうとも、側についていた方が何倍もマシ。
ユリウスがそんな結論を出したのも、俺と伊達に長い付き合いではないからだろう。
しかし。
「……おれはここの見張り役。素性も分からねェヤツを通すわけにゃいかねェ。特に、頼み事をしちまってる手前、怪しいヤツであれば今は尚更通す事は出来ねェ」
「ああ、そうだろうな。だが、悠長に許可を取ってここを通行する時間は生憎と俺には無いんだ」
そして俺はユリウスに目配せをした。
力づくで押し通るぞ、と。目で訴えかける。
直後、やっぱそうなるよなぁと。呆れながらも何処か納得した表情が俺に向けられた。
「だから、許せよ」
そう告げて、俺は足に力を込めた。
「チ、ィ————ッ、だ、から通さねェって言ってん、」
舌を打ち鳴らし、臨戦態勢に移る見張りの男。
だが、足りない。
その程度であれば俺にとって障害にすらなり得ない。
「悪いな。俺を止めたいのなら、もう少し人を揃えておけ」
何より、既に何らかの敵とやり合った後なのか。疲弊してしまってるその状態では、まともに姿を追うことすら難しいだろうと。
そんな感想を胸中で溢しながら、俺は先を走った。
たった一瞬。
一瞬のうちに、見張りの男が通行を制限していた入り口を素通りし、彼の十数メートルは後方の地点まで移動を遂げていた俺はそんな感想を胸中で溢しながら、再び先へと歩き出す。
「は、……?」
ぽかんと、何が起こったのか分からないと言わんばかりに呆ける見張りの男。
その間に、ユリウスはユリウスで立ち往生する彼のすぐ側を素通りしていた。
「一応、あんなんでもスェベリアの最高戦力なもんでな。役目を全うしようとするあんたにゃ悪いが、今回ばかりは相手が悪過ぎるわな。……言い訳は後でさせて貰う。だから、今はここを通らせて貰うぜ」
言い訳がましく言葉をあえて見張りの男に対して並べ立てるユリウスに俺は若干、不満げな表情を向ける。
どうせ後で事情を説明する羽目になるのだ。
今あえて時間を使って律儀に説明しなくても良いだろうが、と訴えかけながら俺は
「早くしろユリウス。とっとと〝華凶〟の生き残りを叩き潰すぞ」
「嬢ちゃんを迎えに行くの間違いなんじゃねえの?」
「……さして変わらんだろ」
「お、漸く認めやがったな」
ほんの微かに熱気漂うフォーゲルへと、足を踏み入れた。