七話
「そう、ですね。一体どうして……なんでしょうねえ」
苦笑いを浮かべ、彼は首を傾げていた。
私の瞳に映る彼のその反応は、とてもじゃないがその場凌ぎの為の取り繕いとは思えなかった。
「……陛下はこれまで、一度として側仕えを必要としては来ませんでした。だからこそ、陛下の貴女様に対する発言は、私共にとっても意外なのです」
それはミシェル公爵閣下も言っていた。
あの周囲の者達の驚きようからして、それは周知の事実であると言うことも既に知っている。
「時に……国王陛下がご兄弟方との政争を経て、王位継承を終えた直後、何をなさったのか。フローラ様はご存知でしょうか」
どうしてか、ロバーツさんは私にそんな問いを投げかけてきた。
けれど、別に言い淀む話題でもないと判断し、私は首を左右に一度振る。
「極刑です。血を分けたご兄弟二方と、彼らに与した派閥の人間を当時10に満たない子供を除き、全員、斬刑に処されました」
返ってきたのはあまりに苛烈な事実を告げる言葉。しかし、あの頃を知る人間としてはまぁそれが妥当だろうなと、そう思った。
私が知る限り、彼は幾度となく生命の危機にさらされていた。邪魔だからと殺されかけ、遠くに逃げようと試みても追手を差し向けられ、また殺されかけて。
私が知っている事実はそこまでであるが、あそこまでしつこく追いかけて来ていた連中が当時の私の生家にヴァルターがたどり着いたからといって諦めるとはとてもじゃないが思えない。
きっと、私が知り得ない苦難を乗り越え、今の地位を勝ち取ったのだろう。
そう、納得が出来た。
私だからこそ、兄弟含む貴族諸侯を斬刑に処したと聞いても顔色ひとつ変える事はなかった。
「……フローラ様は怖くないのですか?」
私の反応を横目に確認していたロバーツさんは何を思ってか、そんな事を言ってくる。
「何がですか?」
「そんな陛下の事を、貴女様は怖いとは思わないのですか?」
温情など知らんとばかりに血を分けた兄弟を斬刑に処した人間。そんな御方に今日より仕える事となった私にだからこそ、そんな問いを彼は投げ掛けていたのだ。
ああ、なるほど。
そういう事かと私は納得をして、
「それをするだけの理由が、陛下にはあったのでしょう。陛下の事情を全て知ってもいない癖に、上辺の事実だけを見て怖いなどとは……口が裂けても言えませんよ」
事も無げに私はそう宣った。
私が死んだ後、ヴァルターがどうなったかなぞ私が知っている筈がない。そもそも私は新たな生をこうして受けてしまったのだから、前世の事は極力知らぬ存ぜぬを貫くつもりでいたから。
フローラ・ウェイベイアに、その記憶は不必要だと他でもない私が思ったから。
きっと、大事な理由でもあったのだろう。
王族という地位だけを持っていた幼い少年は、なんの後ろ盾も持ってはいなかった。
そんな彼が今や国王陛下にまで上り詰めている。何がなんでも国王陛下になるという熱をヴァルターに持たせた鮮烈な出来事があったのだろう。
だから、私が彼を責める気など毛頭なかった。
「……成る程。陛下がどうしてフローラ様を己の女官にと望んだのか、ほんの少しだけ理解が出来たような気がします」
勝手に一人で納得していないでそれをちゃんと私に教えてくれ。
そう思って止まなかったのだが、視線で訴えようにもロバーツさんは一人で納得をして小さく首肯を繰り返している。
だめだこりゃと思わざるを得なかった。
「そういえば……」
ふと、思い返す。
斬刑。という言葉を耳にし、どうしてか脳裏をよぎった前世での己の死した瞬間の事を。
確か私は意識を手放す直前にヴァルターに向けて何か言葉を伝えていた、のだが。
「…………ん」
どうしてか、その部分だけ綺麗に記憶が抜け落ちている。思い出そうにも、ろくでもない事を私が言っていたような。
そんな曖昧過ぎる感想しか出てこない。
けれど、それが正しい姿であると思う己もまた存在した。
————ヴァルターには、嘘ばかりついていたから。
理由なんて分かり切っている。
彼に対し、嘘ばかり並べ立てていたからこそ、記憶が曖昧なのだろうと。
『そもそも、貴賎はないのですよ』
そう口にしたあの瞬間から、本当に嘘だらけ。
きっと、ヴァルターが王族であろうとなかろうと私は助けていただろうに、あえて言葉を取り繕った。彼から信頼を勝ち取るにあたり、その言葉が一番適しているとして、私は取り繕ったのだ。
本当は、ただ単にバカらしいと思っただけ。
王宮勤めであった私だからこそ、当時のヴァルターがどれほど人畜無害であったかなぞ身を以て知っている。
何故ならば、側腹の子であるからと彼は控えめに生きる事を半ば強制され、そしてヴァルターもそれを許容し、控えめに生きていた事を私は実際に目で見ていた一人であるから。
そんな彼が、泥まみれの政争に巻き込まれ、彼らの勝手な理由で殺されかけていた。
だから私はヴァルターを助けたのだ。
その子には、何も罪はないだろうがと手を差し伸べたのだ。そもそもあの時の彼に、王位を継ぐと言う意志は欠片もなかったのだから。
そして、共に過ごす事となった数日という逃亡劇の中で私は彼の人間性というものを知った。
控えめに生きる事を強要されていた彼は、平民でいいから普通の人生を送りたかったという願望を胸に抱いていたという事。
私が思っていたよりずっと感情豊かで、死に掛けの私を見て、必死に顔を歪めて、死ぬ事は許さん。なんて言うような人であった。
だから私は末期の言葉に、アレを選んだのだ。
『———————』
けれどやはり、その記憶は思い出そうにも思い出せなかった。
「ま、いつか思い出すでしょ」
隣を歩くロバーツさんにすら聞こえないであろう小声で、そう私はひとりごちた。