六十五話
「————っ、は、ぁっ!! はぁ、はぁ……、流石にこれは悪質過ぎるにも程があるとは思わないのかなぁクラナッハぁ!」
肺にため込んでいた息を吐き出し、苛立ちめいた様子を隠そうともせずアクセアは言葉を乱雑に並べ立てる。
肩で息をしながらも隣で木の幹に背を預ける男——サイナスに目をやると、「クラナッハの野郎、ぜってぇ俺らを殺す気だぜ」という言葉が鼓膜を揺らす。
現状、フォーゲルの依頼は立ち入り規制の関係上、Aランクの人間しか受けられないのだが、それにしてもこれは酷過ぎるとアクセアはサイナスの言葉に力強く頷いた。
「……薄々は気付いてはいたけど、フォーゲルの入り口付近の調査。……あの依頼内容だった理由が今よく分かったよ。アイツ、亡霊が奥地でなくとも大量発生してる事知っててこの依頼を出したってね」
ミスレナに帰ったら取り敢えず一発ブン殴る。
そう言わんばかりに、アクセアは手に力を込め、握り拳を作ってぷるぷると小刻みに震わせていた。
「————にしても、やっぱり部外者が混じってる。フローラを連れて来なくて正解だった」
そして、鎮静化。
ふぅと息を吐き、思考を落ち着かせながら彼は思案。
数時間前の己の判断はやはり正しかったのだと再認識しながら木々に身を隠すアクセアは呟いていた。
「だな。……それと、ありゃ暗殺者の類だろうよ。尋常の人間と言うにゃ、些か身を隠すのが上手過ぎるわな」
厳密に言うならば奇襲が上手すぎる、だろうか。
「きな臭えとは思っていたが、ここまで躊躇なく堂々と襲って来るたぁ、いっそもう清々しいなぁ?」
そう言って、サイナスはけらけらと笑う。
「……相変わらずの能天気さだね」
「くかかっ、それが俺という人間だからなぁ。ここで深刻な顔浮かべてたんなら、そりゃもう俺じゃぁねぇわな」
「言われてみれば、それもそうだ」
つられるように、アクセアも破顔した。
……だが、それでも尚、焦燥に似た感情が表情の端々に散りばめられており。
「————ただ、どうしたもんかなぁ。情けない事に、アイツを倒すビジョンが全く浮かばない」
そう口にするアクセアの視線の先には————彼らが木陰で身を隠す羽目になった原因を生み出した亡霊が、一体。
全長五メートル程の鎌を手から下げ、宙を浮遊する怪物が一体。それはまさに、死神と言って然るべき風貌の怪物であった。
「……はぁ。どこの馬鹿があんな亡霊を生み出したのやら」
お陰で頼まれていたBランクの人間の捜索にすら向かえない現状。
本当に勘弁して欲しいと、彼は何度目か分からない大きなため息を漏らした。
通説としては、亡霊は死者の怨念が形となったもの。という認識が世間では広まっている。
加えて、生まれる亡霊の規模は怨念の度合いで決まるとも。
そのため、あまりに厄介過ぎる亡霊。
たとえば、今、アクセア達の近くにてあてもなく浮遊する死神のような存在は意図的に生み出そうと思えば、様々な代償さえ払ったならば、生み出す事も不可能では無いのだ。
故の、発言。
「……厳然な実力差ってやつかね。レゼルネがいても、コイツの打倒はちょいと無理があるわな。それに、部外者共が横槍を必ずしも入れねえとは限らん」
奇策や運といったものでひっくり返せるような相手じゃねえのは確かだとサイナスは言う。
「————確実に倒し切るなら、お前レベルのヤツが二人……いや、三人はいる」
「妥当な意見だね」
「だが、んなヤツに心当たりは勿論ねぇ。武闘大会がちけぇんで探せばいるだろうが、素直に協力してくれるヤツがいるとは思えねえ」
何より、彼らにとってミスレナは殆どアウェーのようなもの。
加えて、多額の報酬があるわけでなし、これは彼らにとって通らずに済む道である。
……この条件で、協力してくれるような人間がいるとはサイナスもアクセアもとてもじゃないが思えなかった。
ただ。
「まぁでも、どちみち犬死は勘弁して欲しいし、見張りの人には悪いけど僕らは現状、来た道を戻る選択肢しか許されてない。……だけど、幸い、強そうな人には心当たりがある」
「あん?」
「……サイナスとレゼルネはコソッと帰ってやがったけど、あの後、結構ヤバイ人が酒場に来てたんだよ」
だからお前らは知らないだろうけどね。
と、あえて嫌味ったらしい言い草でアクセアは口を尖らせる。
「フローラを迎えに来てた人が二人いたんだけどね、そのうちの一人。フードを被ってた人が恐らく相当ヤバイ。リッキーの知り合いらしき人もヤバそうな感じだったけど、フードの人は本当にやばかった。……思わず酔いが覚めるくらいに」
だから、その者に協力を仰げたならば、何とかなる気がするんだとアクセアが口にしようとして、しかし、その言葉が紡がれる事はなかった。
「……あの野郎、どこに行く気だ」
唐突に、あてもなく浮遊を続けていた怪物が何処かへ向かって移動を開始したと言う事実を告げるサイナスの言葉が思考を上塗りする。
「どうするよアクセア」
あの怪物を見失わないように追い掛けるか。
それとも、引き返して戦力を整えるか。
どちらの選択肢を選び取るんだと、サイナスは言外に問い掛ける。
先程までは引き返そうとの事で満場一致であったにもかかわらず、そう言って尋ねた理由はアレを放っておくのは些か拙い気がしたから。
あてもなくグルグルと浮遊し続けてくれてるのならいざ知らず、好き勝手に動かれてはたまったものではない。故に、もう一度だけ問い掛けたのだ。
「逃げるんなら、恐らく今しかねえ。そして、追っかけるのも、恐らく今この機会を逃せばもう無理だろうよ」
「…………」
口を真一文字に引き結び、眉間に皺を寄せて黙考。
既にアクセア達がフォーゲルに足を踏み入れてから三十分は経過している。だとすれば、恐らくはレゼルネが〝ギルド〟に向かってくれているだろうが、生半可な人間では吹かれる灰の如く容易く蹴散らされるだけである。
これではただ、死人が増えるだけ。
「……引き返そう」
数秒程の沈黙を経て、アクセアは答えを出す。
フォーゲルの中に化け物が潜んでいる。今はこの情報を伝える事が何よりも先決。
突き進んでいったであろうBランクの人間と、見張りの人間には悪いが、あの亡霊はあまりに規格外過ぎる。だから放って置くわけにはいかない。
それがアクセアの出した結論であった。
「ああ。それが正しいと俺も思う。ありゃ、警戒してどうにかなるもんでもねえ。アクセアが言葉尽くして〝ギルド〟に厳戒態勢敷いてもらう方が先決だ」
何より、姿を隠しては時折襲い掛かる暗殺者らしき部外者。加えて、数多の亡霊。
それらを相手しながら奥へ奥へと進んでいた為、アクセアとサイナスの身体には疲労が確実に蓄積していた。
万全の状態であっても絶望的と思える相手を前に、今の状態で立ち向かうのは無謀に過ぎる。
そう自分自身を納得させた直後。
ざっ、と音が立った。
反射的に音のした方を向くと、そこには不自然に揺らめく炎の塊がひとつ。
あれは————狼だろうか。
「…………なんだ、なんだぁ?」
まるで鬼火のように、揺らめく炎。
己の中でソレを観察し、程なくはたと気付く。
その事実を前に、僅かに大きくアクセアは目を見開いていた。
……そのような技を好んで使うようなヤツが、確か何処かにいなかったか、と。
やがてたどり着く答え。
確か名をなんと言ったか。
トラフ帝国に属していた野蛮気質な将軍。
ああ、そうだ。
名は確か————
「————〝鬼火のガヴァリス〟」
「見つけた」
口を衝いて言葉が出ると同時。
時同じくして声が重なった。
それは、本来ここにいていい人間ではない者の声音。聞こえてきたのは野太い年を重ねた男の声ではなく、幼さが残った年若い女の声であった。
故に、その正体を看破するのに数秒ですら要さない。ただしかし、どうしてこの場でその声が聞こえて来たんだ。という疑問はいくら待てど解消されはしない。
そして炎狼を視界に捉えた方角の————ずっと奥よりやって来る二つの人影。
見知ったその姿に、アクセアは勿論、飄々とした態度を貫いていたサイナスですら、オイオイマジかと苦笑い。
刻々と失われる互いの距離。
それから十数秒後。
満を持して口を開いた少女の言葉があまりに可笑しくて。あり得なくて。理解が出来なくて。
二人して、度肝を抜かれてしまう。
「遅ればせながら、助力をしに来ました」