六十四話
————〝華凶〟。
……あぁ、そうだ。
忘れてた。
言われて、漸く思い出せた。
名前こそ私の記憶から消え掛かっていたが、その名を紡がれ、今、ハッキリと思い出せた。
私が唯一、二度と関わりたくないからといって頭の彼方へその記憶を追いやった程のロクでなし連中。
名を————、
「————〝華凶〟ですか」
思慮に耽る。
ほんの僅か程の殺気が私の身体から無自覚に立ち上っていた。しかし、それも刹那。
程なくあっけらかんとして私が笑うと同時に、その物騒な気配は霧散していた。
「間違っても、進んで関わりたいと思えるような連中ではありませんね」
そう言って私は隣を歩くレゼルネさんに向けて言葉を並べ立てる。
既に見張り役であった彼とは別れており、アクセアさんとサイナスさんと合流すべく奥へ進む最中に〝華凶〟とは何者なのかと。
見張りの男の言葉に反応していた私に対して、レゼルネさんが問い掛けてきていたのだ。
「一言で表すならば————ロクでなし。二言目が許されるのであれば、戦闘狂。私の記憶通りの連中であるならば、恐らくこんなところですね」
目的を達成する為ならば、己の肢体の損傷は二の次として考える連中ばかりであった。
しかも、あいつらは己の身体を傷付けられたとしても、むしろ殺しの熱が燃え盛るようなクソのような奴ばかり。
己の身体を傷付けて見せた。
それ程までに格が高い相手。
嗚呼、ああ、あぁ!!素晴らしい!!ならば、これは何としてでも殺さなければ。
おれの武功に、せねば!!!
……こんな事を素面で言ってくるような連中だ。私としては二度と会いたくはない。
ただ。
「ですが、連中の実力は本物でした。私如きの物差しでしか今は言葉を尽せませんが……それでも、ロクでなしでありながら、感嘆の声すら思わず漏れ出そうな程にあいつらは強かった」
こんな私でも、剣士の端くれ。
たとえどんなロクでなしだろうとも、剣を交えた相手に対しては如何なる虚飾だろうと、剥いで言葉を重ねる。
故に、私は彼らを強いと称す。
実力は、本物であると語るのだ。
「……ま、ぁ、相性が最悪だったって事も少なからず関係してるでしょうけども」
自重気味にあはは、と私はぎこちない笑いを漏らす。亡霊との相性は良い私であるけれど、暗殺者である〝華凶〟との相性は間違いなく最悪と呼べるものであったから。
だから、気を付けてと。
レゼルネさんに忠告する私であったのだけれども。
「フローラさんは……まるで、実際に戦った事があるような口振りで話すのね」
無意識のうちに掘ってしまっていた墓穴を指摘される。しかも、私の容姿は酒場の店主であるリッキーさんからオレンジジュースを出されてしまう程に幼い。
そんな私が、見張りの男ですら顔を顰めて厳かに口にしていた暗殺者集団の人間とさも、剣を合わせたかのように話す。
……どこからどう見てもワケ有りのヤバイ奴である。
「……昔、色々とありまして」
「……ま、下手な詮索はやめておくわ」
藪蛇にはなりたくはないもの。
と、レゼルネさんは言葉を付け加え、一度、二度とかぶりを振る。
「ただ、一つだけ答えて欲しいの」
「?」
「どうして、スェベリアの人間が、トラフ帝国の元将軍——〝鬼火のガヴァリス〟の技を使えるのかしら」
お前は、トラフ帝国のスパイなのかと。
言外に問われる。
しかし、レゼルネさん自身、心の何処かでそれは違うと答えが出かかっているのか。
向けられる眼差しは優しいものであった。
「……そんな馬鹿なと間違いなく笑われるでしょうが、私は人が使った技であれば、ひと目見れば八割がた模倣することが出来ます」
「……も、ほう?」
言ってる意味がわからない。
そう言わんばかりに、レゼルネさんが問い返す。それもそのはず、アメリアとして生きていた頃も、この特技だけは誰もに驚かれた。
ただ、使えるだけでは宝の持ち腐れに過ぎないと言われていたけれども。
「勿論、例外もあります。ですが、〝炎狼〟であれば造作もありません」
「……言うわねえ。一応、〝鬼火のガヴァリス〟はあのトラフ帝国の元とはいえ将軍職についていた人間なのよ?」
「あ、えっと、そう、ですね?」
「……何でそこで首を傾げるのよ」
何でと言われても、その将軍さんそこまで強くなかったし。としか言いようがないのだが、これ以上何か言うとまた墓穴を掘ってしまう気しかしなかったので一度口を真一文字に引き結ぶ事にした。
「……まぁ、いいわ。スェベリアの人間だからって事で納得させて貰うから」
ひどい風評被害である。
というより、私は前世と今生。両方ともスェベリアで暮らしていたのでよく分からないけれど、他国からスェベリアは一体どう思われてるのやらと少しだけレゼルネさんの言い草から心配になってしまう。
……とはいえ。
その偏見でしかない印象を作ったであろう原因の人間は大体予想出来てしまった。多分あの人達だろうな、みたいな感じで。
「それで、これからについて話しておきたいのだけれど————」
言葉の途中にもかかわらず、再度腰に下げられていた無銘の剣を私は隣で歩いていたレゼルネさんの眼前にて、何の脈絡もなく孤月を描くように勢いよく振り抜いた。
「————って、な、に!?」
何事なのかと。
目を剥き、言葉を紡ぐレゼルネさんよりも先にガキン、と高鳴る金属同士の衝突音が疑念といった思考を一瞬にして塗り潰す。
生まれる火花。
どこからともなくやってきた必殺とも呼べる不意の一撃であったが、それでも、
「……魔力使って隠形してる時点で対処して下さいって言ってるようなものだからね」
そう言って私は何処からか、陰に隠れて仕掛けてきたであろう何者かに向かって言い放つ。
……恐らくは、亡霊だろうが。
「にしても、ここの亡霊、見張りの方がいた時にも思ってましたが、人間に対する憎悪がかなり強いですね」
見つけたら誰構わず襲い掛かる。
まるでそんな様子だ。
亡霊は「死」がキッカケとなって生まれる存在。故に、元の生者だった頃の記憶が少なからず引き継がれるのが常である。
だからこそ、人を憎んで死んだ者が亡霊に変わった時、まず間違いなく人を恨む亡霊が出来上がる。
「よ、く、対処出来るわね。アクセアなら対処出来たでしょうが、それでも」
「慣れですよ慣れ。それに、魔力に特別聡いアイツとかなら、まず間違いなく攻撃を仕掛けられるより先に始末し終えてますし」
だから私なんて可愛い方だと言ってやると、やっぱりスェベリアはヤバイところだ。みたいな感じに引かれてしまった。
……まぁ、魔力に特別聡いヴァルターならば、隠形を試みた時点で察知して叩き潰してるだろうし、私は真実しか言ってない。
うん。私悪くない。
「……退治しなくていいの?」
不意の一撃が飛んできたにもかかわらず、気にした様子もなく無視して先を進もうとする私の態度を前に、レゼルネさんは不思議そうにそう尋ねていた。
「ええ。今はアクセアさん達と合流する事が最優先ですから。それに、一体一体倒しててもきっとキリがありませんし」
「……それも、そうね。ちょっと気が動転してたみたい」
ごめんなさいねと、隣から聞こえてきた謝罪が私の鼓膜を揺らした。
「先を急ぎましょうか。……ちょっと、亡霊の数があまりに多過ぎます」
一時期、亡霊処理係みたいな事をやらされていたからこそ、よく分かる。
こんなにも亡霊が一つの場所で発生する事なんて滅多にない、と。
人を憎む亡霊が大量発生。
……だからこそあまり、良い想像は働いてくれなかった。