五十九話
「特にこれといった用事もないし、何なら今からでも僕らは大丈夫だけど……——って」
入り口付近まで来ると言った私の予定は大丈夫かと。伺うような視線が向けられる、も。
それも一瞬。
次の瞬間にはうげっ、とアクセアさんの表情は疲労感に満ち満ちた苦々しいものへと変貌。
「この依頼、クラナッハのか……」
またしても私の鼓膜を揺らすクラナッハという人名。リッキーさんの時は軽く流しておいたけれど、どうにも、ミスレナの中では有名な名前なのだろう。
「フローラさんは知らないと思うけれど、ミスレナにおいてクラナッハの名はね、〝疫病神〟って意味なのよ」
レゼルネさんがそう言って答えてくれる。
リッキーさんもそいつの依頼だけは受けんなとか叫び散らしていたけれど、そんなにやばい奴なのかと。
「……大事に発展するような厄介事には決まってクラナッハが関わってるの。だから————〝疫病神〟」
勿論、全部が全部クラナッハのヤツが関わっている、というわけで無いけれど、その確率があまりにおかし過ぎる。だから、〝疫病神〟という渾名が付けられたのだと彼女は言う。
しかし、私の脳内では丁度疑問が一つ、浮かび上がっていた。では何故。
「……どちみち連れてはいけなかったけど、他の人にこの依頼が見つかる前で良かったと思うべきか」
アクセアさんは何処かほっとした表情を浮かべているのだろうか、と。
「そう、ね。〝疫病神〟からの依頼は上のランクの人間が率先して受注する暗黙の了解だから」
そんな私の疑問は、続けられた言葉のお陰で霧散する。〝疫病神〟とまで呼ばれているクラナッハさんの依頼は面倒事であると十中八九決まっているから力量のある人間が率先して受ける暗黙の了解があるらしい。
……前世の私が可愛く思える程のトラブルメーカーっぷりである。ほんのすこーしだけ周りから絡まれるだけの私をトラブルメーカー呼ばわりするユリウスにクラナッハさんとやらの話を聞かせてやりたいくらいだ。
これが真のトラブルメーカーである、と。
「ちなみに、そのクラナッハさんが関わってた依頼で、過去どんな厄介ごとがあったんですか?」
「……クラナッハからの荷運びの依頼を受けた道中、危険種と呼ばれる魔物に襲われた事があったんだ。……そこまでならただの偶然に思えるんだけど、なんと運んでた荷物の中身はその危険種の好物と知られるブツでね」
偶然にしては出来過ぎている。
割と鈍いとか言われる私でも話を聞く限りそう思ってしまうほど。
「依頼失敗だと莫大な違約金が発生する代わり、荷運びにしてはあまりに高額な報酬だった事を疑わなかった自分を呪ったよ。……で、失敗するわけにはいかないからその危険種を何とか倒したんだけど……〝ギルド〟に戻ってきた僕達にクラナッハのヤツ、なんて言ったと思う? 危険種の死骸があるなら高く買い取りたい、だ。……あいつの依頼はロクでもないってその時悟ったよ」
そういった感じで、クラナッハさんの依頼は厄介事を率先的に引き寄せる傾向にあるらしい。
彼の最悪なところは殆ど〝意図的〟に厄介事を引き寄せているその一点だろう。
……まだ話を一つしか聞いてないけれど、明らかに偶然とは思えない程の出来具合だ。
「それは、その……お疲れ様でした」
「あー、うん。同情ありがとう」
そう言ってアクセアさんは苦笑い。
「でも、なら入り口までだとしても同行はやめたほうが良いかもね。……恐らく超時間かかると思うし」
「いえ、それについてはお構いなく」
剣の手入れをする必要も今はなく。
リッキーさんの店は閉まっていて。
ヴァルターとユリウスには置いていかれた。
ぶっちゃけ、今の私にやる事なんてものは何もないのだ。だから、時間が長くなる、と言われてもあまり問題といった問題はなくて。
「折角なので〝ギルド〟についても色々聞いてみたくて」
「……そっか。まぁ、フローラが良いならいいんだけども」
繰り返し言うけれど、フォーゲルに立ち入らせる事だけは出来ないからね。
と、言うアクセアさんの言葉に私はもう一度頷いた。それを確認してから、彼は依頼受注の手続きを始めんと、〝ギルド〟内に位置するカウンターへと向かっていった。
* * * *
「————それで、あの話は本当なんですか。エドガー殿」
ところ変わって、『豪商』エドガーの屋敷にて。長机を挟み、ソファーに腰掛けながらヴァルターが問い掛ける。
エドガーの側には護衛役である傭兵——〝血塗れのバミューダ〟が。
ヴァルターの側にはユリウスの姿があった。
「〝華凶〟の連中の姿を見かけた、という話は。……作り話であれば冗談では済みませんよ」
その為に、あえてフローラを置いてきてまでこうしてエドガーの下へ会いにきたと言うのに。と、ヴァルターは心の中で言葉を付け加える。
先日、エドガーとヴァルターが話をしていた際に出た話題。
————〝華凶〟
それは今から十年前までは裏の世界で知らぬ者はいないとまで謳われていた暗殺者集団。
その、名称。
ただ————しかし、それはあくまでも過去の話。その暗殺者集団は十年も前に壊滅している。
……ある青年の恨みを買っていたが為に。
「ええ。勿論、十年前にヴァルター殿があの連中を殺し尽くした事は存じ上げていますとも。……ですが、一目でわかるような趣味の悪いトライバルタトゥーをするような連中を、わたしは〝華凶〟以外知らないのです」
全身に渡って鎖のような、蛇のような。
そんなタトゥーをびしりと刻み込む連中はエドガーの言う通り、ヴァルターも〝華凶〟以外、心当たりがある筈もなくて。
「ですが、その真偽を確かめようにも……あまりに場所が悪い」
「……というと」
「連中を見たと報告してきたのはわたしが雇っている傭兵の一人でした。……そして、見かけた場所というのが、今はほぼ立ち入り禁止区域と化している————フォーゲル」
その言葉に眉根が寄る。
次いで、抱かれた疑問は即座に言葉へと変わる。
「フォーゲルが立ち入り禁止区域……?」
それは、比較的他国に足を伸ばす事の多いユリウスの声であった。
「もう、一年前ですか。フォーゲルにて複数体の亡霊が現れまして。……〝ギルド〟の人間がもう何人も死んでるんですよ」
「討伐は」
「出来ません」
「どうして」
「…………」
エドガーは視線を下に落とし、口籠った。
まるで、それは話し辛いと言わんばかりに。
しかし、何を思ってか。
数秒程の沈黙を経て、エドガーは厳かに口を開く。そんな彼の口から出てきた言葉には——侮蔑と嫌悪。そして、不快感といった負の感情が詰め込めるだけ詰め込まれていた。
「……意見が割れているからです。ヴァルター殿とユリウス殿はミスレナの統治体制について、どの程度ご存知ですか」
そう問われ、ヴァルターとユリウスはお互いに顔を見合わせた。
それはお互いの意見でも確認するように。
「『豪商』と呼ばれる三人の人間によって統治されている商業の街。そしてミスレナにおいて、最終決定権を有するのはその三人という異色の政治体制を……」
己が知っている事実を言葉として並べ立てるヴァルターであったが、ふと、そこで口が止まる。
その理由は気づいたから。
エドガーがどうして、割れていると答えたのか。その理由に気付いたからであった。
「……まさか、亡霊が出現し、死者が出てるというのに討伐令を出すなと主張する馬鹿がいるのか?」
「……ええ。少なくとも、武闘大会が終わるまでは討伐令を出さないとロンキスの馬鹿は主張しているのです」
ミスレナ商国において、エドガーと肩を並べるもう一人の『豪商』——ロンキスの名が挙がる。
「最終決定権を有するもう一人の『豪商』は」
「静観です。この件について口出す気はないと。……お陰で討伐に踏み出そうにも踏み出せません」
エドガーとしては一刻も早く〝ギルド〟へ討伐及び、調査依頼を出し、亡霊やフォーゲルに潜んでいるやもしれない〝華凶〟らしき集団の尻尾を掴みたいのだが、それをすべきでないという意見に邪魔をされて思うように動けない、と。
「————なる、ほど。話は分かりました。……それで、エドガー殿はどうして俺にこの話を?」
「……注意喚起です。もし、フォーゲルに潜んでいるかもしれない連中が真に〝華凶〟であるならば、ヴァルター殿には細心の注意を払って貰う必要があるからです。……ご存知でしょうが、〝華凶〟は貴方の事を……相当に恨んでいます」
「でしょうね。ですが、〝華凶〟も恨まれる覚えはあった筈だ。アレは因果応報であっただけの話」
ゴクリと神妙な面持ちで嚥下するエドガーとは裏腹に、ヴァルターは俺の知った事かと事もなげに一蹴。
「護衛を。と、考えてるのでしたら結構です。俺の護衛嫌いの話は貴方の耳にも届いているでしょう?」
そして、次にエドガーが言うであろう言葉を予測したヴァルターの発言に、うっ、と彼は顔を引き攣らせた。
……何故ならば、今まさにエドガーはそう言おうとしていたから。
「何より、エドガー殿はどうにも勘違いをなさってる様子。……本当にそれが〝華凶〟であるならば、襲われる事は此方としても好都合だというのに」
「それはどういう……」
「簡単な話です。……〝華凶〟はかつて、俺の臣下であった人間に刃を向けた。恨む理由なんざ、それだけあれば十二分過ぎる。襲って来るなら殺すまで。たったそれだけの話です」
「は、は、は……!!!! くははっ!! 流石!! 流石はスェベリア王!!! 王とは思えねえ剛気な答えだ!!」
堪らずくくく、と〝血塗れのバミューダ〟が笑い出す。
「とはいえ、気をつけな。スェベリア王。連中、オレの想像が正しければ相当やべぇ事に手ぇ染めてやがんぞ。そもそも、亡霊が複数体生まれる時点で間違いなくロクな事は起こってねえ」
だから。と、前置きし。
「————面倒事に巻き込まれたくなけりゃ、武闘大会が終わるまではフォーゲルに近づかねえこった」
ヴァルターとユリウスに向けて、そう告げた。
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