五十七話
「…………」
私は、無言で立ち尽くす。
茫然と、それでいて「おかしいでしょ」と言わんばかりの怒りの感情を込め、ドアに貼られた一枚の貼り紙に視線を向けていた。
それはヴァルターが使っていた一室のドア。
それも、どんなに鈍感な人間でも分かるように、どでかく書き残してくれている。全く、素晴らしい気遣いとしか言いようがない。
……勿論これは皮肉だ。
『起こそうかと思ったが、熟睡っぽかったから置いてくわ』
張り紙には二行に分けてそんな言葉が。
読めば分かるが起こそうとする気は一切感じられない上、現時刻は朝の4時。
つまり、彼らはヴァルターの側仕えらしく早起きをと思った私のさらに上をいっていたというワケである。
外はまだ暗く、曙光は射し込んでいない。
明らかに私が起きる前を狙ってあいつら出掛けてやがる。そんな結論に至ってしまった私はきっと間違えていない。
加えて。
私は明かりを付けたまま寝る癖がある。
何をどう思って熟睡と判断したのだろうか。
……お前らそもそも、私を置いて出て行く気満々だっただろ。と、内心で毒づいた。
いや、当初はヴァルターとすら行動する気なく一人でミスレナに行く気だったけども。
寧ろこれが当初より望んでいた形なんだけれども。
これはちょっと違くて。
なんか、お前は今回はいらんだとか、足手纏いだとか言外に言われている様な気に陥って。
「……もー知るか」
置いてくなら置いてくで言い訳がましい言葉じゃなくてど直球に書けばいいじゃん。
貼り紙の字から察するに、ユリウスの案なのだろうと私は断定。取り敢えず私はあの四十路に対して、憂さ晴らしも兼ねて一生独身の呪いでも掛けてやることにした。
* * * *
「————と、いう事があったんですよ」
「そりゃ災難だったなぁ」
聞いて下さい。聞いて下さいと私が押しかけた場所は昨日もお世話になった場所——リッキーさんが経営する酒場であった。
貼り紙を見た後、不貞寝でもかましてやろうかと思ったけれど、うまく眠れなかったのでそのまま起床。
夕方から朝方まで開店しているリッキーさんの酒場が辛うじて開いていたので私は足を踏み入れたというわけであった。
ちなみに現在、閉店十五分前。
もちろんの如く客足はまばらである。
「まぁ? こうなったからにはもうあいつら抜きで〝千年草〟を取りに行くつもりですけどね」
なんと言っても他にやる事ないし。
そんな考えのもと吐き捨てた言葉であったのだが、それに対してリッキーさんはどうしてか首を傾げる。
意外なものでも見るかのように、「……〝千年草〟?」と。
「あれ? 言ってませんでしたっけ」
私がミスレナに来た理由は武闘大会と、そして〝千年草〟を取りにきたから。って言わなかったっけと黙考。
よくよく思い返してみればそれを話したのは確か鍛冶屋の店主であるニコラスさんだったかと己の勘違いに気付く。
「そりゃ初耳だな」
「……すみません、その話をしたのは別の方でした」
「あー、別に気にしちゃいねえよ。とはいえ、よりにもよって〝千年草〟か」
グラスを磨きながらリッキーさんはそう言って考え込む。ニコラスさんが言っていたギルドの一部の人間しか立ち入る事が出来ないという制約があるからだろうか。
「祭事なんかの際にたまーに使われてたんで知ってっが、あんなもんが何で必要なんだ?」
「え? それは知りませんけど……」
何せ私は頼まれただけ。
〝北の魔女システィア〟にヴァルターが頼まれていたから、代わりにやろうとしてるだけ。
用途なんてものはきっとヴァルターも知らない事だろう。
「……おいおい、何に使うのかすら知らねえもんの為にフォーゲルまで出向くのかよ」
随分と命知らずだなと、半眼で呆れられた。
「どうしてもってワケじゃねえなら、お嬢ちゃんは取りに行くんじゃなくて依頼に変えておきな。昨日来てたアクセアあたりなら多分引き受けてくれるだろうしよ」
……まぁ元々、依頼でしか手に入らないようなら依頼する他なかったからそれならそれで良いんだけれども、存外、時間が有り余ってそうだから取りに行けるならそうしたいなあって考えていた矢先。
「何もしらねぇみてえだから教えてやるが……フォーゲルはそんな気軽に行っていいような場所じゃあねえんだ」
神妙な面持ちでリッキーさんは私に向けてそう語る。
それはどうしてと尋ねようとする私であったが、それを口にするより先、リッキーさんが疑問に対する答えを言葉に変えて発してくれていた。
「あそこが〝ギルド〟によって半ば封鎖されてるって話は知ってっか」
「それは他の方から伺いました」
「なら話は早え。その封鎖されてる理由ってのがちょいと厄介でな」
危険と判断するだけの何かがそこに存在しているから。そんな予測は既に立てていた。
しかし、心構えは出来ていたにもかかわらず、続けられたリッキーさんの言葉は私の感情を大きく揺さぶった。
「————あそこはな、亡霊が出るんだ」
「……へ?」
荒唐無稽な言葉に、思わず素っ頓狂な声が口を衝いて出てしまう。
……いやいやいや。そんな馬鹿な。
と、言葉を否定しようと試みるも、リッキーさんは嘘をついて私をからかっているとは到底思えない至極真面目な顔を浮かべている。
信じる事は出来ないが、それでも頭ごなしに否定の言葉をすぐに紡ぐ事も出来なかった。
「信じられねえとは思うが、目撃者はもう何人もいる。荒唐無稽で済む段階にないからこそ、ああして規制を掛けられてんだ。〝ギルド〟ランクA以上の人間の同行がない場合、一切の進入を禁ず、ってな」
コトリ、と磨き終わったグラスを片付けるリッキーさん。
「とはいえ、聞く限り亡霊が出るのは深部らしいんだけどな。ま、〝千年草〟は深部でなくとも自生していただろうし、アクセアに頼めばちょちょーっと次の日くれぇには取ってきてくれるだろうよ」
————だから、と。
言葉が繋がる。
それはまるで、私に警告でもするかのように。
「間違っても、あの依頼を取ってくんじゃねえぞ。……たとえ取ったとしても、お嬢ちゃんは参加すんな。あーいうのはアクセアとかにぶん投げとけ」
びし、と私を指差しながら「なんでこのタイミングであんな依頼が都合よく出てきてんだよ」と、リッキーさんは小声で毒づき、苦々しい表情を浮かべながら言う。
どうせこの後〝ギルド〟に行くんだろうし、どうせバレちまう。だったら警告するまでだと彼の瞳は口ほどに主張を続けていた。
「しかも、依頼主はクラナッハの野郎だ。どう考えても裏がある。あの依頼にゃ、怪しさしかねぇよ」
と、善意からなのだろう。
忠告をしてくれているリッキーさんであったが、それを耳にした私の行動は迅速を極めていた。何より————既に私は彼に背を向け、酒場の扉に手を掛けていたところであったから。
「だから————って、おい!? 話聞けよっ!?」
依頼というからにはきっと、その依頼は他の人間に取られてしまえばそれでおしまいになってしまう。
加えて、今朝の出来事。
滅茶苦茶な横暴をしやがったあの二人の鼻を、私は明かしたいのだ。これまでの話を聞く限り、あの二人は〝北の魔女システィア〟さんの事をそれなりに評価している節がある。
だったら、彼女の依頼である〝千年草〟を私がいとも容易く集め終わったならば、きっと彼らの鼻を明かせる。
だからこそ、考えるより先に足は動いていた。
『あー、困ったなあ……困ったなあ……。システィアさんの依頼もすぐに終わっちゃったし、やる事がないなあ……ああっ、私の才能が恐ろしい!!』
ぐらいはユリウスの目の前で言ってやりたい。
トラブルメーカーではなく、仕事の出来る側仕えだったと訂正させてやりたくもあったから。
「おおおぉい!!! まじ、あれはダメなんだよ!! ダメだかんな!! 冗談抜きで!!!」
後ろでリッキーさんが何かを叫んでいた。
しかし、薬草を取る行為のどこに危険があるだろうか。きっと、かなり見つけ難い薬草であるに違いない。
それに、フォーゲルに立ち入る為には〝ギルド〟ランクA以上の人間が必要だ。
つまり私の場合はアクセアさんをどうにか巻き込まないと事はどうやっても始まらない。
だから、猪突猛進に前へ進めるわけでなし。
心配はいらないというのに、リッキーさんは何故か焦燥感に駆られていた。
「ニコラス・クラナッハの依頼だけはまじでやめとけよ!? そういうフリじゃねぇかんな!? あのクソ野郎の依頼だけはまじでロクでもねぇんだよ!!」
ニコラス・クラナッハ。
偶然にも私が昨日利用した鍛冶屋の店主と同じ名の人間が依頼者となっているのがフォーゲル関連の依頼らしい。
一瞬、私の知ってるニコラスさんかなと思ったけれど恐らく別人だろう。
まぁ、名前が同じなんて事はよくある事だ。
それに、私の知るニコラスさんはどこからどう見ても鍛冶師さん。貴族のように家名を持っているとは思えないし、何より、彼は私に名乗らなかった。つまり、それが答えである。
そう私は結論付け、〝ギルド〟へと向かう事にした。
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