四十九話 ヴァルターside
「————助かった。ユリウス」
「礼にゃ及ばねえよ」
フローラと別れてから数分後。
漸く持ち前である本来の冷静沈着さを取り戻していた俺は、ユリウスの言葉に救われていた事を自覚し、感謝の言葉を述べていた。
対して、返ってきたのは遅えんだよと言わんばかりの苦笑い。
「あいつに嫌な思いをさせるのは、俺としても本意じゃない」
フローラ・ウェイベイアは俺の側仕えだ。
その事実は何があろうと揺らがない。
ただ、それを周りが素直に受け入れるかどうかはまた別問題。
恐らく、ユリウスの言う通りに挑発されていた場合、まず間違いなく俺がキレていた。
そして、フローラを馬鹿にされたという事で怒り狂えば、きっと何も悪くない彼女が罪悪感を抱く。自分のせいで、と。
あいつは、そういうヤツだから。
「……もう少し、顕示欲があるヤツだったら良かったんだがな」
ぼやく。
フローラは些か謙虚過ぎる。
本当に、昔から何も変わっちゃいない。
何も変わってなさ過ぎて、懐かしさが無性にこみ上げ、側にいて欲しいという欲求が際限なく膨れ上がる。
アメリア・メセルディアとの出会いが、今の俺を形成したと言っても過言ではないから。
「全盛かつ、一切の油断が割り込まない尋常な立ち合いで無い限り、決して己の功として誇ろうとはしねえ。……本当に、そっくりだよなぁ?」
「だからあいつはアメリアだと言ってるだろ」
「そうは言ってもなぁ……俺があいつと近しい人間だったからこそ、受け入れ難ぇんだよ。何より、嬢ちゃん自身がソレを望んじゃいねえ」
あくまでユリウスはフローラ・ウェイベイアとして扱い続けるつもりであると、そう口にする。
しかし、その思考を俺にまで強要するつもりはないらしく。
「ただ、ヴァル坊はそれで良いと思うぜ? アメリアはそれだけの事をお前にしてる。命懸けで助けてくれた相手に執着すんのは間違っちゃいねえ。だから、これからも好きなだけ振り回してやってくれや。嬢ちゃんも、その方が楽しそうだ」
アメリア・メセルディアであった頃。
騎士としてどんな生活を送っていたのか。それに関する記憶は俺の中にはあまりない。
だから俺の口からは何とも言えない事であったのだが、兄であったユリウスの目から見て楽しそうに映っていたらしい。
「昔、アメリアにも教育係のような人が付いていてな。一応、建前じゃ上司って事になってたが、丁度ヴァル坊みてぇなヤツでよ、犬猿コンビなんてあだ名付けられて口を開けば悪態を吐くような仲だったんだが、俺にゃ凄え楽しそうに見えた」
恐らく、嬢ちゃんは振り回されたい側の人種なんだろうなぁ。とユリウスは付け加える。
「何より、そもそも興味がねぇ相手だとアメリアはとことん取り合っちゃくれねえ。ぎゃーぎゃー言いながらも付き合うって事はつまり、あいつ自身も楽しんでる節があるんだろうよ。自覚してるかどうかは兎も角、な」
俺はフローラ・ウェイベイアの事をアメリア・メセルディアとして認識し、ユリウス・メセルディアとして関わるつもりはないが、お前はそのままで良いと再三に渡ってユリウスが言ってくる。
そんな折。
「————おや?」
声が聞こえてきた。
それは若干の喜色が含まれた声音。
どうしてか、その声が己に向けられたものであると感じた俺は肩越しに振り返る。
映り込む小太りの男。
じゃらじゃらと音を立てる貴金属の類が首や手首といった場所に散見。
自分は金持ちである。
身に付ける装飾物でうざったらしいまでに自己主張をしてくるこの男に対し、誠に残念な事ながら俺には心当たりがあった。
「……エドガー殿」
「おぉ! やはり、ヴァルター殿ではないですか!」
目尻を曲げ、にこやかに人当たりの良い笑顔を浮かべて男——ミスレナ商国を取り仕切る『豪商』の一人、側に傭兵と思しき男を伴わせていたエドガーが此方へと歩み寄ってくる。
差し伸ばされる右手。
握手をしよう、という事なのだろう。
「お会いできて光栄です」
「此方こそ」
断る理由もなし。
差し伸ばされた手を握り返すとぶんぶん、と力強く上下に手を振られる。
俺自身、滅多にスェベリアの外へ足を運ぼうと行動を起こす事はなく、世間からすれば珍獣のような扱いを受ける心当たりはあったのでエドガーの喜び様をあえて指摘をするつもりはなかった。
「あぁ、そうだ。コレはエドガー殿に渡しても問題なかっただろうか」
俺は懐から招待状を取り出す。
欠席のところにぐるっと丸をしてしまっているが、まあ間違って丸をしたという事で問題はないだろう。フローラが何やら修正をしていたようだし、このまま渡して大丈夫な筈だ。
ただ、招待状に書き記されている招待者の欄に、ミスレナ商国一同。
と書かれており、国を取り仕切る三人の『豪商』のうち一人に渡せば問題ないだろうと考えていた俺はそんな疑問を投げかけていた。
「ええ、ええ! それでは、その招待状はわたしが受け取らせて頂きましょう」
エドガーは上機嫌に二、三、上下に首肯を繰り返す。
「それと、一つ頼みたい事があるんだが……」
「頼み事、ですか……? 一体、何でしょう?」
「宿屋を用意してくれていると聞いている。部屋を三つ用意して貰う事は可能だろうか」
「三つですか」
怪訝な視線が向けられる。
俺の側に護衛の姿は無言を貫くユリウス一人だけ。この場合、二部屋と言っていたならば不自然はなかっただろうが、現実、俺は三と口にしている。
「実はな、護衛をもう一人連れてきているんだが……初めてミスレナに来たというから今だけ護衛の任を解いているんだ」
「成る程。そういう事でしたらご希望通り部屋を三つ用意させて頂きましょう。もし宜しければ案内役をお付け致しますが……?」
「心遣い感謝する。だが、どうにも一人で散策をすると言って聞かなくてな。気持ちだけ受け取らせて頂こう」
案内役をつけられでもすれば、別行動にした意味が無くなってしまう。
故に俺はその場凌ぎの嘘を口にした。
「そう、でしたか。では、そのように心得ておきましょう」
柔和に笑む。
「こうして立ち話をするのも一興ではありますが、スェベリアの王に対してこれではあまりに無礼極まりない。ですので、ひとまずわたしの屋敷にご案内いたしましょう」
不特定多数の人間が聞いているかもしれない場所では話辛い事もありましょう。と言外に言うエドガーの発言に対し、それもそうだなと首肯。
では、ご案内致します。
と、先行して自身の屋敷へ向かって歩み進めようとするエドガーであったのだが、そのタイミングでふと、思い出す。
『豪商』と呼ばれるエドガー。その護衛役として付いてきていたであろう一人の傭兵の名前を。
「……〝血塗れのバミューダ〟、か」
「おっと。オレを知ってんのかい。スェベリア王——ヴァルター・ヴィア・スェベリア殿」
てっきり、知らねえのかと思ったよ。
別段怒った様子もなく、灰色の髪の男——バミューダは笑い混じりにそう宣った。
「強い人間は可能な限り覚えるようにしてるのでな」
性格に難がない事が前提で、可能であれば自国に引き込む。それが叶わないのであれば、警戒を向ける。
その為、自分自身で厄介そうだと感じた人間の名前は出来る限り覚えるようにしていた。
「あのスェベリア王にそこまで言われるたぁ、光栄だねえ。オレもまだまだ捨てたもんじゃねぇってわけだ」
嬉しそうにバミューダはくつくつと笑う。
「騎士は柄じゃねえが、コッチを弾んでくれるってんなら、あんたの護衛を務めるのも吝かじゃあねぇですぜ?」
親指と人差し指で丸を作り、〝金〟を指し示すハンドサインを向けてくる。
要するに金次第、と。
だがしかし。
「悪いな。護衛は間に合ってる」
護衛は既にいる。
それも、うんと強いヤツが。
それに俺はあいつ——フローラ以外を己の護衛として側に置くつもりは微塵もない。今回のような例外でも無い限り、それは不変だ。
「ちぇ、良い勤め先が見つかったと思ったんだが……そりゃ残念だ」
今現在の己の雇い主であるエドガーを前にしてようもまあ抜け抜けとそう宣えるなあと思ったが、傭兵とはそういう生き物であったかと納得。
金の切れ目は縁の切れ目。
拝金主義者の商人の側に傭兵ありとはよく言ったものである。
ただ、発言の割にその実、本気で無かったのだろう。あっさりとバミューダは引き下がっていた。
「ま、護衛が必要となったらいつでもお声がけして下さいや」
護衛嫌いの国王。
己の側仕えを執拗に拒絶してきたが故に付けられたその渾名。
恐らくバミューダは「護衛は間に合ってる」という発言を俺に護衛はいらないと、そう解釈したのだろう。
フローラ・ウェイベイアという唯一無二の護衛が既に存在しているとも知らずに。
「その時が来たら、考えさせて貰う」
「本当に来んのかよ」と言わんばかりに、無言を貫いていた筈のユリウスは視線を地面に落として身体を震わせ、笑っている。
とはいえ、ユリウスが思い浮かべているであろう考えの通りなので咎めはしない。
寧ろ、そうなんだがなと同調して笑ってやりたいくらいであった。
バミューダを雇う気が俺からこれっぽっちも感じられなかったからだろう。
ほんの少しばかり安堵の色を表情の端に浮かばせるエドガーに、申し訳なさを感じつつもひとまず彼の屋敷へと向かう事にした。
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