五話
「なんだ?」
「…………」
肩越しに振り向き、己の名を呼ばれた事で反応を見せるヴァルターとは異なり、ミシェル公爵閣下は何を言ったものかと悩ましげに顔を歪めていた。
そして挟む数秒の沈黙。
「どうして、彼女なんでしょうか」
悩み抜いた果てに出てきたであろう答えは、その言葉ひとつに綺麗に纏められていた。
「国王だなんて地位を手に入れてからというもの、一人たりとて側仕えという存在を許そうとしなかった俺が、今更どうしてなのか、か?」
「……はい」
「簡単な話だ。そもそもどうして、信の置けない人間を己の側に置かねばならんのだ?」
つまり、これまでヴァルターの側仕えにと推挙されていたであろう者達は例外なく、信頼出来ないからと切り捨てられたという事なのだろう。
その言葉を耳にした直後、ミシェル公爵閣下の相貌に刻まれていたシワがより一層深まっていた。
「……陛下は、その者が信頼に足る人間だと?」
「さぁな。そこまでは知らん」
……彼らの話を聞いていた当事者である私は思わずズッコケそうになった。じゃあ先程の前置きのような話はなんだったのだと。
故に、呆れ混じりの視線を思わず向けてしまう私であったが、
「だがな……、そいつは俺がその昔、唯一信頼を寄せてしまった奴に、良く似ているのだ」
————後にも先にもただ一人の、俺が心底信頼を寄せていた奴に、な。側に置きたいと思う理由なぞ、それだけで十分すぎる。
その言葉を聞き、ぱちくりと目を瞬かせる事となった。突然告げられた横暴でしかない一言はその実、ヴァルターなりの想いが詰め込まれていたらしい。
とはいえ、そこで彼が信頼を寄せていたのが私である。などという自惚れをする気は毛頭ない。
そもそも、確かに〝契約魔法〟で縛りこそしたものの、無理矢理に作った信頼がヴァルターの言う〝信頼〟に当て嵌まるとは思えなかった。
いわば、あれは仮初の信頼である。
それに、姿形もあの頃とは全く違う。
だから私は、己の知らない誰かと偶々、己が似通ってしまったのだと思う他なかった。
「信頼、ですか」
「なんだ、不満か?」
「……いえ。大変に、意外な発言であったので」
そう言ってミシェル公爵閣下はすんなりと引き下がる。
いやいやいや。
私は一言もその話を受けるとは言ってないからね! というか、もうちょっと頑張ってくださいよミシェル公爵閣下!!
という私の心のエールは無情なまでに届いてはくれなかった。
前世、王宮勤めで騎士をしていた私だからこそ知っている。王宮は人の醜い感情が蠢くだけの魔窟でしかない、と。
そういった事情を既に知悉してしまっている事もあり、私としては国王陛下付きの女官など願い下げであったのだ。
とはいえ、事この場に至って私の意見など路傍の石より存在は軽いものであるだろう。仮に私が当たり障りないように断ったとして————しかし、その努力虚しくヴァルター付きの女官ポジションにねじ込まれる未来しか想像が出来なかった。
「まあ正直なところ、俺自身も驚いている」
必死にこの場を乗り切る方法を考える私をよそに、ヴァルターは気楽そうな表情を浮かべて会話を続けている。
「陛下が、ですか?」
「ああ。こうしてこうもあっさりと女官にする、などと宣言してしまった自分がいるという事実に驚きを隠せん」
「それ、は……」
「だが————、……いや、これは今言うべき事ではないな。とはいえ、撤回をする気はない。フローラ・ウェイベイアは今日付けで俺の女官をして貰う。これは決定事項だ」
何かを言い掛けたものの、途中で言葉を切った彼は再度私へと視線を向けた。
「しかし、どうしても嫌というのであれば無理にとは言わないが……」
こんな状況で断れるわけがないと知っていながらの一言。見ない間に言葉遣いどころか性根までも腐ってしまったらしい。
本当に、時の流れというものは残酷である。
「……い、え、恐悦至極に存じます。謹んで、女官の任を受けさせて頂きたく」
「そうか! であるならば、よろしく頼む」
必死に作り笑いを浮かべる私の側で、明らかに無理をしていると見透かしたフィールが心配そうに此方を見つめてきていたが、こればかりはどうしようもないのだ。
どれほど面の皮が厚かろうが、誰がどう見ても断る事の出来る雰囲気でない事は火を見るより明らかなのだから。
「パーティーの後に使いの者を向かわせる。それまではパーティーを存分に堪能していてくれ」
それだけ告げて、嵐のようなヴァルターは再び奥へと姿を消した。
守ると誓ったにもかかわらず、最後まで守り切るどころか、目的地へたどり着く前に死んでしまった不忠義者。
それが、前世の私という人間であった。
そんな私が何がどうあってか、側仕えをする羽目になってしまった。
合わせる顔がないからと避けていたというのに、その努力虚しくどうしてか女官という役割を与えられる手筈を整えられてしまっている。
とはいえ、嫌だ嫌だといっても最早どうしようもないというのもまた事実。
きっとこれは私に与えられた贖罪なのだろう。
たった一人の少年すら守りきれなかった私の罪に対する贖罪。これはその機会なのだ。
そう思うと、不思議と気は楽になった。
だからせめて、彼の言う唯一信頼を置いていた人の代わりになれるように女官として務めを果たす。それが私に出来る最大限の罪滅ぼしであると思う事にした。