四十四話
「……対価はなんですか」
観念したように私は言う。
ヴァルターが無償の奉仕をするなぞ、天地がひっくり返っても恐らくはあり得ない。
無論、ギブアンドテイク。
故に私は自発的に助けて貰う代わりに私は一体何をすれば良いのかと問うていた。
「流石はフローラだ。話が早くて助かる」
「半年も側で過ごしていれば嫌でも分かります」
「それもそうか」
どうしてかヴァルターは私の返答に対し、どこか嬉しそうに笑んでいた。
普段より、私がヴァルターに何かをして貰った場合はその対価として彼は例外なく、私に何かを求めてくる。
けれどそれは菓子を作れだとか、何かを買ってこいだとか、そんなパシリみたいな頼み事ばかり。
てっきり、出会った当初に剣を扱えるかどうか聞いてきたくらいだから、そういった任務を主だって押し付けられるのかと思っていたけれど、荒事は〝鬼火のガヴァリス〟の一件以降、一度とて命じられる事はなかった。
一ヶ月ほど前だったか。
その日は、とある頼み事の対価として、私に買ってこいとヴァルターがパシリを命じておきながら、一欠片だけ食べ「……甘過ぎる」とかいって私に全部押し付けてきたデザートをむしゃむしゃと食していた時の出来事。
偶然、側を通りがかった〝財務卿〟であるハーメリアに、その事について尋ねた事があった。しかし、ハーメリアはといえば、私の手元に並ぶデザートと私の顔を交互に見合わせ、
————何言ってんだこいつ?
と言わんばかりの表情を私に向け、「僕の口からは何とも……」とか言ってそそくさと逃げられた記憶しかない。
ユリウスに至っては、「嬢ちゃんは気にしなくてもいいと思うぜ」である。
二人して役に立たないにも程がある。
「それで対価なんだが……一人、お前に会って欲しい人がいる」
「会って欲しい人、ですか」
私は懐疑に目を細め、首を傾げた。
……会って欲しい人間というのはシャムロック・メセルディアの事だろうか。
そんな回答が脳裏を掠める。
しかし。
「そう警戒しなくていい。なにせ、会って欲しい人物というのは女なのだから」
明言こそしなかったが、その発言は暗に私がシャムロック・メセルディアに会う事を出来る限り先延ばしにしたいという心境を既知していると表明しているようなものであった。
「————〝北の魔女システィア〟」
出てきた言葉は、私ですら知った名前。
「そいつに少し、借りがあってな。ミスレナに向かう際は声を掛けろと前々から言われてる」
「……前々から、ですか」
ふと、疑問に思う。
商魂逞しい奴らと言って赴く事を拒んでいたヴァルターにとっての前々。それは一体いつの話なんだろうか、と。
「ま、五年くらい前の話なんだがな。向こうも頼んだ事すら忘れてるとは思うが、俺にも通さないといけない筋ってもんがあるんだ。実に面倒臭い事この上ないがな」
先程、少しの借り、とヴァルターは言っていたが殆ど風化しているような言いつけを守りに向かうあたり、恐らく彼にとってそれなりに大きな恩が〝北の魔女システィア〟にあるのだろう。
〝北の魔女システィア〟
それは卓越した魔法使いであったが故に贈られた異名の一つ。十七年前の時点で既に百歳を超える老獪なんて噂があったが、はてさて実物はどんな化け物なのやら。
「だから、会って貰いたい。なに、無理難題に近い頼まれごとをされるだけだ。そう気負う必要はない」
……気負う要素しかないんだけど。
私はその発言を耳にし、急にどっ、と押し寄せた疲労感を顔に滲ませながら「はぁ、」と頷いた。
* * * *
そうと決まれば早速会いに行くと言って出かける支度を数分で整えたヴァルターに案内されたのは王宮を出てから徒歩十五分くらいの場所に位置するこじんまりとした一軒家。
ヴァルター曰く、————小さめの家が欲しいと言うからくれてやった。という事らしい。
そんな話を聞いた私は、ヴァルターとシスティアは一体どんな関係なのだろうかと、疑問に思わざるを得なかった。
「————いらっしゃい。待ってたよ。陛下と……混ざりもののお嬢さん」
躊躇う様子は微塵もなく、我が物顔で設えられたドアを引き開けるや否や、鼓膜を揺らす抑揚のない平坦な声音。
ドアの向こう——視線の先には、不健康そうなくまを目の下に拵えた白髪の女性が椅子に腰掛けていた。年齢は、30程だろうか。
「待ってた……?」
まるで私達が彼女の下を訪ねる事をさも、知っていたかのような言い草である。
誰に知らせるまでもなく、此処へ向かったというのに、一体どうやって知り得たのか。
そんな事を疑問に思っていると、
「……〝北の魔女〟は伊達じゃないという事だ」
呆れ混じりにヴァルターが言う。
……そうだった。
彼女は〝魔女〟という異名を付けられる程の魔法のスペシャリスト。
常人にとって理解の埒外である現象であったとしても、必ずしもシスティアにとってもそうとは限らない。何故ならば、彼女は〝北の魔女システィア〟であるから。
「人様をおかしな奴呼ばわりするの、やめて欲しいなあ」
「お前を尋常の人と思った事は一度としてない」
「だろうねぇ。じゃなきゃ、五年前、ワタシにあんな頼み事を持ち掛けてくる筈がない」
けらけらとシスティアは楽しそうに笑う。
しかし、その反面、ヴァルターは心底鬱陶しそうに眉間に深い皺を刻んでいた。
見る限り、ヴァルターとシスティアの性格の相性は最悪を極めている。
話の内容から察するに、五年前にヴァルターがシスティアに頼み事をしたのだろう。
流石にその内容までは分からない。
けれど、こうして筋を通そうとする行動を見る限り、彼にとって相当大きな借りだったのだろう。想像に難くない。
「本当、当時は驚いたよ。一国の王であろう者がこんな胡散臭い魔法使いにあんな頼み事を持ちかけるなんて」
「無駄話がしたいだけなら帰らせて貰うが」
「あぁっ、待って待って。ワタシが悪かったから」
もう知らんとばかりに踵を返すヴァルターを、慌ててシスティアが引き留める。
ヴァルターの場合は脅しでもなんでもなく、こう言った発言の際は冗談抜きで本当に帰る。それを知っていたからだろう。彼女の表情には焦燥が端々に散りばめられていた。
……そんなに焦るくらいなら、そもそも揶揄わなければいいのに。
思わずそんな感想を私は抱いた。
「五年前の約束の件を覚えてくれたんだよねぇ? 流石は陛下。義理堅い王様は嫌いじゃ無いよ」
「……チッ」
軽く舌を打ち鳴らす。
覚えてたのかクソ、みたいな。
「ま、とはいえ当時頼みたかった事はワタシが自分で済ませちゃってるから、今回は別の事をお願いさせて貰うかなぁ」
間延びした特徴的な口調でシスティアはほんの少し、悩むような素振りを見せ、
「ミスレナの近くにフォーゲルって山があるのはご存知?」
「名前だけはな」
「なら話は早いねぇ。ミスレナに行くついでに、そこに自生する『千年草』って薬草を取ってきて欲しいんだ。数は……うーんと、十束くらい」
そう口にした。
聞いた事もない薬草名である。
私が特別疎いだけかと思ってヴァルターの表情を窺ってみると、ヴァルターも私と同様に難しそうな顔をしていた。
記憶を探ってはいるが、思い当たる節はなかったのだろう。
「ま、現地の人なら『千年草』の事を知ってると思うし、聞けばいいと思うよ。多分、親切な人なら教えてくれるから」
あえて親切の部分を強調する理由は何なのだろうか。あまりに不自然な物言いに、不信感が湧いた。
「……分かった」
不満気ではあったが、ヴァルターはそう言ってほんの少しだけ首肯を見せる。
「帰るぞフローラ」
会って欲しい、と言っていたものだからてっきり私が彼女と話すのかと思えば、蓋を開けてみるとただの付き添い。しかも、会話は数分で終わるという驚異の速さ。
本当に、義理立てしに来ただけと言った具合である。
「それじゃあ宜しくねぇ。陛下と混ざりもののお嬢さん」
ヴァルターのその態度に対し、言い咎める気は無いのだろう。息つく暇なく背を向けたヴァルターに向けて、システィアはといえば軽く手を振っていた。
足早にその場を離れていくヴァルターの姿を見失わないようにと私は慌ててシスティアに一礼をしてから、視界に映る背中を追いかける。
そんな折、ふと、疑問に思った。
そういえば、彼女が私に向けて言っていた「混ざりもの」とは一体何なのだろうか、と。
ブックマーク、☆評価よろしくお願いします!!
↓↓の☆を!!是非!笑