幕間 アメリア・メセルディア 過去2
既に空は黄昏色。
斜陽と雲が交わり、独特のコントラストが頭上いっぱいに広がっている。
「……あ」
半ば無理矢理に追い出されて気が付いた。
書類に紐付けられた魔導具をハイザから受け取るの忘れてた、と。
不承不承ながら取りに戻るしかないのかなあと、溜め息を吐く私であったが。
「ん?」
上着のポケットがどうしてか不自然に膨らんでいた。それはどこか見覚えのあるシルエット。
そう、丁度——これはハイザが愛用していた魔導具ではなかっただろうか。
「……本当、あの人、無駄にスペック高いんだから」
恐らく、ぶーぶー言いながら私に角ばった何かを投げ付けてきた時だろう。
二、三、身体に当たったような感覚があったけれど、それに乗じてついでとばかりにポケットへ魔導具を投げ入れていたらしい。
ほんと、無駄に高いスペックである。
「さ。じゃあそろそろ向かおうかな。あんまり時間をかけたくもないしね」
書類を持って逃亡中。
であるならば、時間と共に距離が遠ざかっている為、出来る限り早く向かった方がいい。
私はそう結論付け、ポケットに入れられていた魔導具を取り出し——起動。
浮かび上がるホログラム。
距離は————今で約二十キロ先といったところだろうか。遠!
盗られた事に気づいた時点で早く言えよと胸中で毒づきながらも私は慌てて駆け出した。
この分だと帰る頃には夜を過ぎて朝方になっているかもしれない。そう思うと、何度目かもう分からない溜め息を吐き出さないわけにはいかなかった。
* * * *
「…………」
暗夜を駆ける人影が一つ。
口は真一文字に引き結び、気配を押し殺しながらその男はひたすら駆け走っていた。
男の名はバルバドス。
ユースティア神聖王国に籍を置く人間の一人であり、世間からはユースティアの将軍位に位置するとある男の懐刀とも呼ばれている男である。
「そろそろ、かもしれないな」
何を思ってか、彼はそう呟いた。
今しがたバルバドスが手にする書類。
それはスェベリア王家に関する調査書であり、騎士団に属する一部の人間によって厳重に管理されていたものであった。
曰く、今回、バルバドスに書類の奪取を命じた者が言うにはその書類がスェベリアに致命的な打撃を与える為に必要不可欠なものなのだとか。
「……あのハイザ・ボルセネリアの事だ。追手の一人や二人、差し向けられても何ら不思議な事じゃない」
東南戦役の英雄————ハイザ・ボルセネリア。
それはバルバドスが奪取した書類の管理を任されていた男の名。平民出でありながらその戦役での功績を以て貴族位を賜り、騎士になったものの、平民出だからと権力を持った貴族に嫌がらせを受けて窓際職に追いやられた可哀想な人間である。
ただ、実力はまごうことなき本物。
既に衰えたと宣う連中もいるが、少なくともバルバドスはそうは思っていなかった。
————あれは間違いなく目が合っていた。
東南戦役の英雄であろうと己の幻術であれば誰の目であれ欺けると彼は信じて疑っていなかった。しかし、書類を奪取するあの瞬間。
バルバドスは確かにハイザと目が合っていたのだ。なのに、ハイザはバルバドスを止めなかった。それどころか、おめおめと見逃したのだ。
ぞわりと背筋が泡立つ感覚に見舞われながらも、バルバドスは逃げるように逃走を開始したのだが……この状況下で何かがあると勘繰らない人間はまずいないだろう。
「……とはいえ、スェベリアからはもう随分と離れた」
既に日は暮れ、夜の帳が下りている。
逃走を始めてから随分と時間も経っており、バルバドス自身もひたすら全速力で駆け走り続けていた。
……これはもしや、逃げ切れたのではないだろうか。一瞬だけ、そう思ってしまった。
そんな願望を、脳裏に浮かべてしまったのだ。
それが、彼にとって致命的な落ち度。
「これなら————」
流石のあのハイザ・ボルセネリアとて、ここまで来ればどうする事も出来まいと。
バルバドスが声に出そうとしたその瞬間だった。
「————みぃーつけた」
あは、と。喜色に塗れた笑顔が月光に照らされる。いつの間に回り込んだのか、歓喜に声をあげ、彼の眼前に佇む少女は剣を携えていた。
「おん、」
女。
たった三文字。
しかし、バルバドスはそれすら中断し、噤んだ。その訳は、少女がスェベリアの騎士服に身を包んでいたから。何より、危険であるとバルバドス自身が肌で感じたから。
目に映るは、泰然とした佇まい。
月光を浴び、獰猛に輝く銀色の刃は間違いなくバルバドスに焦点を当てていた。
————幻術によって本来、姿が露見していない筈の己に対して。
何故、見える。
何故、分かる。
頭が混乱。
しかし、急転する事態はバルバドスを待ってくれる程優しいものではない。
警笛が鳴る。脳裏に赤いランプが灯る。
バルバドスの存在を知っているのは恐らくハイザ・ボルセネリアただ一人。
ならば、目の前の少女は彼が仕向けた人間である。そう考えるのが道理だろう。
だとすれば。
————間違っても女、子供だからと油断していい相手ではない。あのハイザ・ボルセネリアが己を止められると判断して寄越した人間なのだから。
真実とは異なっていたが、バルバドスはそう結論付けた。そして、未だ混線とした思考を落ち着かせようと呼気を整えようと試みて。
しかしその時、既に少女はバルバドスの目の前から姿を消していた。
宙に浮かぶ土塊。
ざり、と一際大きく響いた足音。
びゅぅ、と突として吹いた風はきっと、彼女の仕業であったのだ。目を見張る程の速度で肉薄をした彼女——アメリア・メセルディアによるもの。
「チィ————……っ!!」
心境をあらわに、舌を大きく打ち鳴らしてバルバドスは己に掛けていた幻術を解除。
これは、逃げ切れる相手じゃねぇ……!!
魔法を使っていては当然、マナを扱う事が出来なくなる。同時進行で扱う事が出来ない以上、本来の機能を失っている幻術をバルバドスが即座に捨てたのは当然ともいえる判断であった。
しかし、その決死の判断を嘲笑うような声が一つ。
「お。やっぱりそこにいたんだ」
まるで、バルバドスが幻術を解除するまで分かっていなかったような言い草である。
だが、決して彼女は彼をおちょくっているわけではない。本当に、そこにバルバドスがいるとは知らなかったのだ。アメリアはただ、多分そこにいるような気がする。
ただそれだけの理由で焦点を合わせ、見つけたなどとほざいたのだ。それがアメリア・メセルディアという人間なのだ。
己自身の勘に対し、最上級の信頼を置いているからこそ、そこにいる気がする。
つまり、きっとそこにいる。
みーつけた。に繋がる。
まともな人間が聞けば間違いなく馬鹿げていると言った事だろう。
「書類は返して貰うよ」
アメリアの声が鼓膜を揺らした直後、バルバドスは無言で腰に下げていた剣を抜いた。
背後に迫ってきていた存在と対峙せんと振り返り————マナを巡らせる。
剣身が青白く発光。
逃げ切れないと悟った。
ならば、全力で以てして初撃で決める。
バルバドスの方針はそれで決まった。
しかし、それが甘い考えでしかないと思い知らされたのはその、直後。
「へぇ」
バルバドスの全身から放たれる鋭利な殺意であったが、尋常な者であれば震え上がるようなその圧を受けて尚、アメリアはこれっぽっちも臆さない。それどころか、楽しげな色を乗せて彼女は宣った。
「貴方もマナ使えるんだ」
————お揃いだね。と。
その言葉につられ、視線を向けるとどうした事か。言葉通り、彼女の得物にもマナが巡らされているではないか。
見る限り、自身よりひと回り以上幼い少女が我が物顔でマナを扱っている。
……なんなんだコイツは。
バルバドスは戦慄していた。
同時に思う。
コイツは……あまりに危険過ぎる。
みしり、と音が立った。
それはバルバドスが手にする剣——力強く握られた事により生まれた壊音。
「……悪く思うなよ」
それはユースティア神聖王国において、武人といえばこの人ありとまで称えられた男による一撃。〝神速〟とまで謳われたバルバドスの一撃はアメリアの脳天目掛け、一直線に駆け走る。
夜闇を斬り裂きながら、それは銀色の円弧を描いて————。
しかし。
散ったのは血ではなく火花。
何かを斬り裂いた感触ではなく、硬質な手応えが剣を伝ってバルバドスへ届いた。
「……女だからって貴方も私を侮る人なんだね」
返ってきたのは落胆であり、侮蔑。
————悪く思うなよ。
その言葉はアメリアが少女でなく、バルバドスのような年頃の男性であったならば決して放たれる事はなかった言葉。
始末をすると決心しておきながら、少女であるからと彼は無意識に手心を加えてしまっていたのだ。だからこそ、いくぞと言わんばかりに声を出していた。そしてその行為を心底アメリアは嫌悪した。またこれか、と。
「侮るのは貴方の勝手だけど……それで死んでも私は知らないよ」
怒りゲージは最高潮。
眉間に皺を寄せながら、アメリアは剣を握る手へと更に力を込めた。
直後。
どちらともなく弾かれる互いの得物。
しかし、すぐさま両者は剣を走らせ——二撃、三撃と続け様に剣戟の音が容赦なく周囲に響き渡った。
幕間は次でラストとなります。
少し期間あけて二章になると思いますっ!