幕間 アメリア・メセルディア 過去1
二章に入るまでの繋ぎです。
アメリア・メセルディアとしての過去編となります。
その為、ヴァルターは一切出てきません。
その日は骨が軋む音が聞こえる程、閑かな夜————だった。
婀娜として満ちた月光を背景に立つ彼女が、言葉を発するまでは。
燃えるような赤髪を風に靡かせ、手に携える干戈——獰猛に光り輝く剣の刃を覗かせながら女は口を開き、
「みぃーつけた」
刹那の逡巡すら皆無。
一切の躊躇いなく、彼女——アメリア・メセルディアこと、私は踏み込んだ。
程なく、瞳の奥にぼろぼろの布切れを着込んだ男を捉え、私は酷薄に笑む。
それが、始動の合図だった。
* * * *
「大事な書類が盗まれた。だから、取り返してこい……あの、ふざけてるんですか?」
「ふざけてねーよ」
「いや、ふざけてますって」
騎士の中でも頭10個くらい抜けて爪弾きものにされていた私の上司を務めていた男——ハイザは腕組みをしたままそう宣う。
いや、貴方の失態なんだし、もう少しくらい申し訳なさそうにしてよ。
「それで、盗まれた書類というのは……」
「それはな……内緒」
「ぶん殴りますね」
バキッ、と。
「いぎゃああああああ!? 痛!! 痛ったい!! 骨!! 骨折れた!!!」
硬い感触が拳に伝うと同時、中々良い感じの音が鳴った。ざまぁみろ。
「それで、一体なんの書類が盗まれたんですか?」
「て、テメッ、上司様に手ぇ出してただで済むと思うなよ!!」
「ただで済まないんですか?」
「応よ!! おれの分まで仕事押し付けっからな!!! 精々過労死しやがれ!!!」
「それ、いつもの事じゃないですか」
「…………」
ハイザは黙り込む。
つまり、図星であったのだ。というか、いつも上司の特権だとか言って押し付けてきてる癖に、瞬間的に記憶喪失でもしていたのだろうか。
「……ま、まぁ、今回だけは大目に見てやろう。次はないからな。まじで。次はねーから」
罰らしい罰が思い浮かばなかったのだろう。
この分だともう一発くらいぶん殴っても大丈夫そうだなと、そんな感想を私は抱いた。
「それで、だな。盗まれた書類についてなんだが、実際問題、おれはその中身を本当に知らねえんだ。なんか団長から預かっててくれ。って言われてただけで中身すら見てねえんだよ。興味も無かったしな」
「……団長もよくこんなロクでなしに書類を預ける気になりましたね」
「お前のとこなら万が一にも盗られる心配はねーだろって言ってたんだよ。要するに穴場ってヤツ」
「流石は団長」
「死ね」
私は重心を落とし、しゃがみ込む。
直後、ぶぉんっ、と突発的に繰り出されたハイザの拳は空を切る。見事なまでに回避をされたという事でピキリとハイザのこめかみに血管が浮き上がった。
「避けんじゃねえよ!!!」
次いで、しゃがみ込んだ私に向かって繰り出される脚撃。
しかし、その行動を予想していた私は迫り来る足を両手でぎゅっと掴む。
「あ、っ、ちょ、まっ——!!」
そしてハイザの足を掴んだまま、私は立ち上がり。
直後、片足では支えきれなくなったのか。ずるっ、と足を滑らせ、転倒。どしーん。と重々しい音が響き渡った。
涙目になっていたがこれも因果応報である。
「…………」
頭から転けたハイザはといえば、無言で頭を抱え、のたうち回っていた。
これが十数年前まではなんちゃら戦役にて〝英雄〟と呼ばれる程の武功を挙げた男なのだから、事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。
「中身を知らないとはいえ、どうせ貴方の事ですから魔導具と紐付けていたんでしょう?」
腐っても元〝英雄〟。
杜撰そうに見えてその実、この男、案外しっかりとしている人間なのである。
ただ、盗まれた時用に場所探知を出来る魔導具を仕掛ける暇があるのなら、しっかりと保管しておけよとも思う。毎度の事ながらこの男、優先順位がイマイチ私の理解の埒外にある。
「……よく知ってんじゃねえか。ほらよ」
いだいいいいい!と、のたうち回るハイザであったが、私がそう言うとピタリと身体を硬直。
横たわったまま、したり顔で懐からハイザは何かを取り出す。
もしや、先程までの一連の行動は演技だったのか、と一瞬ばかり思うも、どこか潤んだ瞳を見て、ただの強がりかと私は結論付けた。
「いや、いいです。要らないです」
あんたの失態なんだから、あんたが責任を持って事にあたれよ。と拒絶の姿勢を見せる事で私は主張。
「上司命令だ」
「私にこんなクソな上司はいません」
「じゃあ一生のお願い」
「それは昨日も聞きました」
「…………」
どうやらハイザは何者かに盗まれてしまったであろう書類の奪還を私に任せたいらしい。
勿論、彼が他のやる事に追われているというのであればやぶさかでも無いのだが、普段のハイザを知る私はそうでない事を誰よりも知っている。
故に、選択肢は一つだけ。
拒絶の一択だけである。そこに妥協はあり得ない。ちゃんと働けダメ男。
「……はぁ。しゃあねえ。おれじゃ相性がわりぃからアメリアに頼んでたんだが、アメリアにも手に負えねえんじゃ仕方ねぇわなあ。あーあー、うちの優秀な部下にならと思って話を持ってきたんだが、倒せねえってんなら仕方ねえよなぁ」
ちらっ。ちらっ。
と、私の様子を窺うような視線が一定間隔おきにやってくる。
正直、うざい事この上なかったんだけれど、一応。本当に一応、どんな相手なのかだけ私は聞く事にする。
「……盗んだ相手というのは?」
「恐らく、ユースティア神聖王国に籍を置くばかちんだ。隠密に長けてる人物なんだが、そいつの魔法が厄介でなぁ。多分、幻覚系を使うんだよ」
なんでそこまで相手の分析が出来ておきながら、おめおめと盗まれてしまったんだよと言ってやりたかった。が、いつもそんな指摘をしてものらりくらりと言い逃れられている。
……徒労にしかならないと割り切っていたからこそ、あえて声に出して問い質す気にはなれなかった。
「別におれが行ってもいいんだが、その場合、書類が丸焦げになる可能性が実に9割強。というか、何もかも面倒臭くなって魔力凝縮砲撃ち込む未来しか見えん」
その点、だ。と言ってハイザは言葉を続ける。
「だが、お前は違う! 女だからきっと相手も初手は舐めてかかってくる! そこを狙い撃ちにしてくれ!! なぁに、相手は末端のぺーぺーよ。能力がちょっと鬱陶しいくらいでガルドリのヤツより雑魚だ! お前ならいける!!」
ガルドリは騎士団に所属する中年程度の男で、かつてはこのダメ男——ハイザの部下であった事が災いし、何かにつけ引き合いに出される実に可哀想な人物なのだ。
とはいえ、めちゃくちゃな風評被害を受けるガルドリさんであるが、正直、かなりの実力者であった。残念ながら手合わせをした事はないが、仕事を一緒にした時にその実力の片鱗を目にしている。恐らくだけど、ハイザの数倍は強い。
「ガルドリさん、普通に強いと思うんですけど」
「お? ビビってんのか? お? お?」
……もう一度顔面ぶん殴ってやろうか。
「……子供じゃないんですから、そんな初歩的な煽りに反応はしません」
あとちょっとで手が出てたけどそれはご愛嬌。
「ただ、団長には恩がありますので、今回は団長の為に引き受けさせていただきます」
「けっ」
盛大にハイザは顔を歪める。
……子供かよ。
「団長、団長って普段からよぉ。お前は一体、誰の部下なんだ! 言ってみろよ! えぇ!?」
「団長の部下です」
「死ね」
問われたので即座に返答してやると何か変な角ばった物体を投げつけられた。地味に痛い。
「出てけ!! さっさと出て行って下手人とっ捕まえてこい! この裏切り者が!!」
しっ、しっ、とどっか行けとゼスチャーをハイザが始める。
……本当に、今年で15を迎える私よりもよっぽど子供である。今年で47と聞いてるけれどこんな大人にだけはなりたくない世界代表だ。
良い反面教師である。
そして私はテメェの居場所なんてここにゃねえよ! と不貞腐れるハイザに半ば強制的に部屋から追い出され、今日も今日とて押し付けられた仕事をこなす事となった。
* * * *
「ふ、ふはっ。ふははははははは!!! アメリアの馬鹿ちんめ!! 書類を盗んでくれたヤツは末端のぺーぺーじゃねえよ!! 末端のぺーぺー程度がおれの管理してた書類を盗めるわけねーだろ! 本当はユースティアの将軍の懐刀とか言われてる馬鹿強いヤツだっつーの! 馬鹿め!!」
アメリアが居なくなった部屋にて、じんじんと未だ痛みの残る頰をさすりながら哄笑を轟かせるハイザが一人。
「上司様を殴った罰だ! 精々痛い目にあいやがれ!!」
本来であれば、己か。騎士団長か。
もしくは騎士団の人間数人単位で事にあたらなければならないような人物なのだが……、最近、アメリアがどうにも自分を舐め腐っている。
ここらで灸を据えてやらねば。
というハイザの嫌がらせ心故の行動であった。
しかし、である。
「とはいえ、おれも鬼じゃねえ。ピンチになったら助けてやろうじゃねえの。よくあるあれだ。狙ったかのようなタイミングで助けに入るあれ。あれすりゃアメリアもおれを見直すだろ。うん。間違いねえ」
ハイザにとってアメリアは大事な部下である。
周囲からは犬猿コンビとか言われているが、これがその実、そこそこ仲が良いのだ。
だからこそ、見殺しにする、という選択肢はあり得ない。あるのはちょこっとだけ懲らしめてやろうという気持ちだけ。
幾ら〝鬼才〟などと呼ばれようとも、アメリア・メセルディアはまだ15歳の少女。
流石に荷が重いだろう。上司様の威光を見せ付ける良い機会だと胸を躍らせるハイザであったが————まさか15の少女が将軍の懐刀と呼ばれる男を一方的にフルボッコにするとはこの時のハイザは知る由もなかった。
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