四十一話 エピローグ② 新たな日常
「う、ぐっ」
顔を顰めながら、私は呻き声をあげた。
ぷるぷると血管の浮かぶ細腕が震える。
「半分、お持ち致しましょう」
「……ありがとうございます」
横着をした結果がコレ。
流石に、手に抱え、視界を遮る資料の山を執務室へ一人で運ぶ事は不可能と悟り、私のその姿を見兼ねてか、偶然にも出会った彼——〝財務卿〟ルイス・ハーメリアの手を借りる事にした。
サテリカから帰国をして早、一月。
すっかり私も王宮勤めの人間として随分と馴染んでしまっていた。
「どうですか? 最近は」
「ぼちぼち、といったところでしょうか」
サテリカにて、ヴァルターの挑発にまんまと乗った私は彼と剣を合わせ——何故か完敗してしまっていた。
そのせいで、あの時の真相は聞けないわ。少なくとも今年一年は俺の側仕えを務めてくれと言われるわ、本当に散々な目にあったものである。
ただ、〝鬼火〟との一件のおかげか、帰国間際の時にはどこかぎこちなさはあったものの、サテリカの人達や、スェベリアの騎士達の大半から無闇矢鱈に敵視される事はなくなっていた。それどころか、限りなく好意的になっていると言っても過言ではない。
唯一の例外はといえば、私に対して一番初めに絡んできたサテリカに籍をおく貴族————トリ……、トリ……。
……トリなんとかさんだけはめちゃくちゃ私を敵視していたけれども、まぁ気にする必要はないだろう。
「そうですか。にしても、本当に驚きましたよ。まさか貴女があの〝鬼火〟を倒す程の武をお持ちだったとは」
「……そのセリフ、もう耳にタコが出来る程聞きました。もうやめません?」
帰国する際。
恩人だからと、サテリカからスェベリアへ帰る道中の護衛として、スェベリアまでついてきた人物がいたのだ。
名を、〝剣聖〟クライグ・レイガード。
クライグさんの武はサテリカどころか、スェベリアにまで知れ渡っており、その彼がわざとらしく大仰に騎士達の前で私を褒め称え、頭を下げたのだ。
————我が祖国に害をなす〝鬼火〟を倒せたのも、フローラ・ウェイベイア殿の御力添えがあったからこそ。
そんな前口上を述べてくれたおかげで、周りから嘲られる事はなくなったのだが、ハーメリアやユリウスといった首脳陣を除いた者達には「触れるな危険」と言わんばかりの扱いを受ける事になっていた。
以前よりマシである事には変わりないのだが、個人的にはどっちもどっちな気がする。というのが本音である。
「人の噂も七十五日。あと一ヶ月と少しの辛抱じゃありませんか」
「……それは流石に長過ぎます。勘弁して下さい……」
けらけらと面白おかしそうに笑むハーメリアに対し、私は大きなため息を吐いた。
「あぁ、そうそう。そういえば、メセルディア卿が貴女をお探しになられてましたよ」
「メセルディア卿が?」
「ええ。何やら、どこぞの御仁から手紙を預かっていると言っていたような……」
御仁……?
と、ハーメリアの口から出てきた言葉に私は首を傾げた。
私の知り合いは生家——ウェイベイア伯爵家関係者。そして親友であるフィールとその御両親。あとはサテリカの一部の人達とヴァルター達くらいなのだが、私に手紙をくれるような知り合いはフィーただ一人。
しかし、彼女を御仁呼ばわりするには些か違和感が付き纏う。きっと、フィーからではないのだろう。
「お、ちょうど良いところに」
そんな折。
聞き覚えのある声が私の鼓膜を揺らした。
偶然にもそれは、ハーメリアがつい先ほど話題に挙げた人間——ユリウスの声である。
その隣にはライバードさんが追従していた。
……この二人、仲良いんだなあ。
「嬢ちゃん宛に手紙預かってんぜ」
ほれ、と懐からユリウスは一通の手紙を取り出す。しかし、資料を運ぶ最中の私はハーメリアに半分ほど持ってもらって尚、両手が塞がっている。
今は受け取れないので後にしてくれと、私が言うより先に、ユリウスが顎で使い、ライバードさんに私が運んでいた資料の山を代わりに持つようにと指示していた。
「代わりましょう」
つまり、ここで読め。という事なのだろう。
「ありがとうございます」
私はそう言って資料の山をライバードさんに渡し、差し出された手紙を手に取った。
「親父からの手紙だ。中身は知らねえが、大事なもんだって聞いてんぜ」
ここでいう親父はフローラ・ウェイベイアとしての親父なのか。
ユリウス・メセルディアの親父なのか。
前世の記憶があるせいで超絶ややこしい。
後者の場合であったとしても、一応私の父親である事に変わりはないので返答には細心の注意を払うべきだろう。
……ヴァルターには何故かもうバレてるっぽいけど。
「えっ、と……」
封から中身を取り出し、四つ折りで収められていた手紙を開いていく。
値が張ってそうな紙の割に、随分と白紙が多いな。そんな感想を抱きながら中身を確認する私の視界に飛び込んできたのはたった一言。
『鍛錬不足』
たかが一言。されど一言。
どうしてか、見覚えのある筆跡で書き記されたその言葉を目にした途端、私の中の何かがぶちりと千切れ落ちた。
「あ、の、ねぇ……そんな事は言われなくても知ってるよ!!」
ばちんっ、と思い切り手紙を地面に叩きつけながら私はそう叫ぶ。
ヴァルターに剣で負けてからまだあまり日が経っていない事が間違いなく災いした。
「こちとらそもそも剣士として生きる気は無かったんだよ! 鍛錬不足!? そりゃそうでしょ!? 剣は嫌いじゃないし、寧ろ好きだったよ!? でもね、周りからの視線が痛すぎるんだよ!! 鍛錬出来るもんならとっくの昔にしてるわ!! ていうか、長生きし過ぎでしょ!! クソ親父!!」
記憶が確かなら、もう60過ぎの死にかけジジイな筈である。
当主をユリウスに譲ったんなら大人しく隠居してろよ。陰から私を観察すんなクソ親父。
と、ぶわりと湧き上がった感情を思い切り吐き出し、ぜぇ、ぜぇ、と肩で息をしながら我に返る。
……完全にやらかした。
「……ヴァル坊から聞いちゃいたが、まーじでアメリアそっくりの反応すんのな」
「……何の事でしょうか」
「流石にそれは無理があんだろ、嬢ちゃん」
「知りません。私は何も知りません」
ライバードさんに持って貰っていた資料を強引に貰い受け、床に叩き付けた手紙はそのままに、私はその場を後にしようと試みる。
「ったく、相変わらず世話の焼けるやつだ」
声にこそしなかったけれど、「悪うござんしたね!」と投げやりに胸中で言葉を叫び散らしながら私は背後から聞こえてきた声に対し、人知れず返事をしていた。
* * * *
「随分と時間がかかったんだな」
「……メセルディア卿に絡まれていたもので」
ところ変わり、執務室。
どさりと音を立てて資料を置く私に対し、ヴァルターがそう言った。
元々、先の勝負に負けた事で少なくとも一年はヴァルターの側仕えからは逃げられなくなってしまった為に私はこうして諸外国の知識を己に一から叩き込まんと、資料集めに奔走していたのだ。
国王陛下の側仕えが諸外国の知識皆無。
それでは、流石に拙い。
持ち出した資料全て頭の中に叩き込める程頭の出来が良いと自惚れるつもりはないけれど、私としてもそれなりに頭に入れておきたいのだ。
……私だって恥をかきたくないし。
「そうか。にしても、随分と資料を運んできたようだが……些か多過ぎやしないか? どうせ、アレもなんだろう?」
ユリウスならばやりかね無い。
とでも思っていたのか、それ以上の追及はなく、あっさりと彼は引き下がっていた。
そしてそんなヴァルターが次に視線を向け、指差したのはもう一つの資料の山。
数秒前の私のように、ぷるぷると細腕を震わせながら資料の山を運んできてくれていたハーメリアである。
そもそも、彼は〝財務卿〟と呼ばれる文官。
体つきも痩躯で、私とそこまで変わら無いのになあと思っていたが、まさにその通りだったらしい。
も、ぅ、無理……!!
という言葉が今のハーメリアの様子から幻聴されたのはきっと気のせいではないのだろう。
「ええ。まぁ……」
「別に資料を持ち出すのは一向に構わん。そこらへんはお前の好きにしたら良い」
国王陛下の側仕え。
そう聞くとひどく堅苦しい先入観に見舞われるが、これが案外、かなり自由であったりする。
「ただ————」
ヴァルターは含みのある言葉と共に視線を移動。今度はハーメリアから、部屋に設えられた掛け時計へ。
資料を探しに行くといって私が部屋を出てから、既に約三時間程、経過していた。
「ずっと本と向き合ってては気が滅入るだろう? 少し付き合え」
がらり、と音を立てて椅子を引き、机に向かっていたヴァルターが立ち上がる。
それはよくある光景。
この一ヶ月で慣れ親しんだやり取りであった。
「ハーメリア。お前も来るか?」
「ご遠慮致します」
即答だった。
余程嫌なのだろう。
まぁ、文官であるハーメリアが嫌というのも、これから私が付き合う事を考えれば当然と言えば当然なんだけれど。
「そうか。なら、いくぞフローラ」
机に立て掛けられていた剣を鞘ごと手にし、ヴァルターが先導する。
向かう先は、教練場。
護衛が、守るべき対象である主人より弱くては拙いだろう?
そんなヴァルターの挑発から始まり、今や一日一回ほどのペースで行われるこのやり取り。
「陛下。頼んでいた政務の方は……」
「とうの昔に終わらせた」
そう言って、ハーメリアの言葉に対し、返答をしたヴァルターは足早に部屋を後にする。
執務室には未だ本を抱えるハーメリアと私の二人が残される事となった。
「……早く向かわないと陛下が不貞腐れますよ。そうなってしまうと実に、面倒臭い事になる。資料の方は僕が片付けておきますから」
「……すみません」
「いえいえ」
不貞腐れでもすれば、その影響は私だけに留まらない。だからこそ、早く行ってあげてくれとハーメリアは促したのだろう。
私はその言葉に対して首肯し、背を向ける。
————年甲斐もなくはしゃいじゃって。
部屋を後にする際、ため息混じりで言い放たれたハーメリアの声が私の鼓膜を揺らした。
……全くである。
今年で24歳だというのに、あれではただのやんちゃながきんちょだ。
少しは年相応の落ち着きを持って欲しいものである。とは、いえ。
「……ま、これはこれで悪くない、っか」
ただ何となく生きていた17年。
これまでも。そしてこれからも、そんな日々が続くと思っていたのに、何故かまた剣を腰に下げ、私は剣士として堂々と生きてしまっている。
「……ほん、と。何があるかなんて、分かったもんじゃないね」
忙しなくもあるが、これが存外悪くなかった。
私という人間は、誰かに振り回されたいタチだったのかもしれない。
そんな事を期せずして気付かされ——。
小さく笑いつつ、すたこらと私を置いてきぼりにして先を歩くヴァルターの背中を追いながら待ってくれと言わんばかりに「陛下」と、名を呼んだ。
これにて一章終了とさせて頂きます。
約一ヶ月間、お付き合い下さりありがとうございました!!
ブックマークや☆評価して下さった方々、本当にありがとうございました。すごく励みになりました…!!
また、二章も書く予定ではありますが少しばかりプロットを練る期間やら諸々を挟んでから再開させて頂くと思います。(恐らく1週間か2週間…?)もし宜しければまた、お時間許す限りお付き合い頂けたらなと!
それでは!!
遥月