三話
後の私は言う。
きっと、私が転生をして尚ヴァルター・ヴィア・スェベリアという人間を知ろうとしていたならば、この先の未来は変わっていただろうと。
そして、どうして己は知ろうとしなかったのだと。遠くない未来、盛大に悔いる事になってしまう事をこの時の私が知る由もなかった。
前世にて、****・メセルディアと呼ばれていた私という存在が、残酷なほど鮮やかな思い出をヴァルターの中に刻んでいた事を。
私の死に対し、恥も外聞も投げ捨てて泣き腫らしていた一人の少年がいたという事実を、私は知らなかった。恐らく、それこそが私——フローラ・ウェイベイアの罪。
己にとっては衝動的な行為でしかなかったのかもしれないが、あの時の私の行為がどれほどあの少年の心を救っていたのか。
きっと、それを知ろうとしなかった私の自業自得なのだろう。
ヴァルターという男の気持ちを、私に対して怒っている、などと受け取っていた私の自業自得なのだ————。
* * * * *
目にしたのは、17年ぶり。
背丈も、顔付きも、何もかもが変わり果てているというのに、奥の方から豪奢な服装を身に纏ってやって来る男性が現国王陛下——ヴァルター・ヴィア・スェベリアであると私は一瞬で理解をした。
少しばかり目付きは悪人染みていたが、銀糸のような髪に、独特な雰囲気。
長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳など。
記憶の中に残るあの幼い少年が見事なまでに思い起こされ、私は思わず微笑んでいた。
————本当に、見ない間にご立派になられて。
共に過ごした期間はたった数日。
けれど、私の中でヴァルターという少年はどこまでも脆く、頼りない人間という印象が深く根付いていたのだが、今しがた私の瞳に映った彼の悠然とした足取り。怯えなど一切ないと言わんばかりの相貌。
抱いていた印象を払拭させるには十分過ぎた。
「ふぅーん? やけに嬉しそうねえ? ローラ」
そんな私の側で、フィールがどうしてか訝しげな視線を向けて来る。
にまにまと訳知り顔で笑んでいた。
「そう、かなあ」
「ええ。すごく嬉しそうに笑ってたわよ貴女」
言葉を耳にし、思わず手を頰へ伸ばすとフィールの言った通り、口角はつり上がっていた。
「なになに? ローラってばあーいう男性が好みなの?」
「流石にそれは違うってば」
やんわりと否定をする。
私がヴァルターに対して抱く感情は、精々が放っておけない人止まりである。
決して軽んじているわけではないが、そもそも私が王族であるヴァルターに恋愛感情を抱くはずがなかった。何故なら、それはあまりに烏滸がましいと知っているから。
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに。誰しも高嶺の花には一度くらい憧れるものよ?」
「まぁ、そうなんだけどさ」
その発言の直後、どうしてか、ちくりと胸の奥が痛んだ。
——私が殿下を見詰めてしまった理由は、惹かれたからでも、想いを募らせていたからでもなく。ただ単に懐かしかったから。
しかし、殿下にこれまで一度としてフローラ・ウェイベイアが会ったという事実はない。
嘘偽りなくフィールに伝えてしまえば間違いなく齟齬が生じる。
転生した、という事実を未だ打ち明けていない以上、この場に限り嘘をつかざるを得なかった。
「ふぅん。様子を見る限り、私の早とちり、だったみたいね。けれど、まぁ良かったわ」
「良かった?」
「ええ。だって、陛下は婚約者どころか女官の一人ですら未だ一度として側に置いたことは無いの。だから、ね」
あまりにひどい身分違いでしかないが、陛下の婚約者であったり。
女官として働く。
そんな道も用意されていないから、という事をフィールは言いたいのだろう。
「女性が苦手なのかな」
前世の頃は別に何も気にせずに殿下の手を取って逃亡劇を繰り広げていたけれど、あれはもしかして相当に無理をしていたのではないか。
そんな疑問が浮かび上がり、うわぁ、申し訳ない事をしちゃったな、という罪悪感で埋め尽くされる。
「んー。男性の使用人ですら側に置いたって話を聞かないし、単純に不要と決めつけてるだけかもしれないわね」
「そっ、か。うん。そうだね。……そういう事にしとこう」
最後のぼやきに彼女は疑問符を浮かべていたが、私はつい口にしてしまった言葉に対し、知らんぷりを決め込んだ。
そんなこんなでフィールと私が話している間に陛下は多くの令嬢達に囲まれていたミシェル公爵閣下のすぐ側まで歩み寄っており、声を掛けていた。
少しばかり距離があるせいで小さくはあったが、その会話は私の耳にまで届いていた。
「花嫁は見つかったか」
「はい。こうして陛下のご厚意あり、パーティーを開催出来た事で良き縁と巡り会う事が出来ました」
「そうか。なら、良い」
淡白な会話。
今ここで花嫁を指名しないのは恐らく、ミシェル公爵閣下の地位が関係しているのだろう。
高い地位であるからこそ、迂闊な事はせず、ゆっくりと婚儀の話を進めていく。
そう考えるとすとんと胸に落ちた。
「ところで、どういったご用件で陛下は……」
「懐かしい魔力を感じた。ただそれだけだ」
そう言われ、ふと思い出す。
前世、騎士であった私は決して一騎当千と言えるような武を持った人間ではなかった。
だというのに向けられる追手から生家にたどり着く寸前までヴァルターを守り切れていた理由。
それこそが、彼の驚異的なまでの魔力に対する聡さであった。
人という生き物、誰しもに魔力が備わっている。膨大であったり、微々たる量であったり。
個人差はあれど例外なく魔力というものは持ち得るものとして知られている。
そんな中で、ヴァルターという人間は魔力を感じ取る事を得意としていたのだ。
故に、私達は差し向けられた追手から何とか逃げることが出来ていた。
「懐かしい魔力、ですか」
「ああ。俺にとって忘れたくとも忘れられない。そんな魔力だ」
そう言って、ヴァルターはキョロキョロと忙しなく視線を周囲に巡らせる。
きっと、彼の幼なじみか古い知己がこの場にやってきているのだろう。幸い、私は転生を果たした為、魔力も前世とは異なったものとなってしまっている。
間違っても彼のいう懐かしい魔力は私の事ではないだろう。そんな楽観的思考を抱いていた私の幻想は、存外儚いものであった。
「あぁ、お前か」
どうにも、ヴァルターは目的の人を見つけたらしい。
俺だとか、お前だとか。
昔は一人称は僕で、私の事も貴女呼ばわりだったというのに見ない間に随分と口が悪くなったものだ。
そんな事を思いながら私は興味本位でヴァルターの探し人がいるであろう彼の視線の先を見つけようと試みて。
「…………ん?」
何故かヴァルターと目があった。
相変わらず綺麗な瞳をしてるなぁ。
……そうじゃない、そうじゃないと頭を振り、現実へと己を引き戻す。
「え?」
目があった。
どうしてか、ヴァルターの視線の先には私がいる。
という事はつまり、彼の探し人は私という事なのだろうか。いやいやいや、あり得ない。それは、あり得ないと必死に胸中で否定する私であったけれど、現実は残酷なまでに私の心境に同意をしてくれない。
そして、私の頭の中は真っ白になった。
……え? これ、どういう事?