二十九話
「ぁ、はは、ハハハハハ……」
虚な瞳で空を仰ぎ、感情が抜け落ちた笑い声を響かせる男が一人。
膝から崩れ落ち、剣身半ばでぽっきりと折れてしまっていた剣を手にする彼の名はボルドー・トリクラウドさん。
そこに、数十分前までの威勢は欠片も存在していなかった。
しかし、それもその筈。
原因は言わずもがな、トリクラウドさんの精神をボコボコにしようと試みた私による明らかな手抜きが理由であった。
『いくら力試しとはいえ、マナを使うことはやはり、尋常な勝負をする上では卑怯であったかもしれません』
心にもない事を私は口にし、今度はマナを使わないと宣言するや否や、「そっ、そうだ!! マナを使うから悪いのだ!!」と許可した筈の当人が何故か激情し、マナさえなければ問題ないと豪語しながら取り巻き連中の一人から剣をぶんどって再び相対。
だが、結果はマナを扱った時と同様、得物を折った上での瞬殺。
次に、
『そ、その剣だ!! その剣に何か小細工をしてるのだろう!!! この卑怯者めが!!!』
と、トリクラウドさんが喚くので私も取り巻き連中の方から剣を一振り拝借し、仕切り直しの第三戦。
今度は一撃で折れる事こそ無かったものの、二度三度と打ち合う中でトリクラウドさんが手にしていた剣の方だけがひび割れ、使い物にならなくなっていた。
そりゃ、乱雑に扱えばそうなるだろうと傍から見れば折れた事は自明の理でしかなかったのだが、私はあえて口ごもる。
残りの剣の本数は五本。
使い切る前に戦意を喪失されてはつまらないので私はすかさず彼を煽てておいた。たったそれだけで戦意をある程度回復出来るのだから驚きも一入である。
『こ、これは尋常な勝負でもあるからな。女であるからと花を持たせてやるのもこれまでにしておこうか』
などとトリクラウドさんが言ったものの、顔は笑っていたが膝も笑っていた。武者震いだろうかと思いながらも剣を合わせると相も変わらずの瞬殺。そこからは虚勢に次ぐ虚勢を聞くだけの作業であった。
合わせて計、八本の剣と共にトリクラウドさんの戦意もバキボキに折ったところで
『きっと、トリクラウド卿は文官が向いてらっしゃると思いますよ』
と、満面の笑みで言ってあげるとトリクラウドさんが壊れちゃった、という具合である。
因果応報だもんね。仕方ないね。
「ところで、トリクラウド卿」
「ひぃっ!? あ、ああ、なんだろうか」
「この惨状についてですが……如何致しましょうか」
戦意をバキボキに折って尚、容赦なく追い討ちをかけていく。それが女騎士として生きていく際の、周りに舐められないようにする為の処世術である。
「如何、とはどういう事だろうか……?」
「トリクラウド卿が高名な騎士であるとお見受けし、ならばと私も全力を尽くさせて頂いたものの、あまりに呆気なく、その余波だけが————」
「いや!! いい!! そんなものは気にしなくても良い!! 気にしないでくれ!! 後始末については僕がキチンと抜かり無く行っておこう!」
「ですが、ご迷惑を……」
「おい! お前ら!! ウェイベイア殿をお送りしてさしあげろ!!」
食い下がる私の言葉をトリクラウドさんが無理やりに遮った。
それもその筈。
私の申し出はつまり、この惨状を生み出した事に対し、サテリカ王に申し出ておくべきでは無いのか、という事である。
しかし、それをしてしまうともれなく、トリクラウドさんが女騎士である私にボコボコにされたという情報が伝わってしまうわけだ。
しかも、キラキラした自慢の剣と取り巻き連中が持っていた八本の剣を折られたというオマケつきで。
正しく生き恥。
女騎士という存在が見下される中で、その女騎士に完膚なきまでに叩きのめされた男。
考えるまでも無く、それを知られてしまえば今後、彼は悲惨な末路を歩む事しかできなくなるだろう。少なくとも、貴族としては死んだも同然の扱いとなる筈だ。
だからこそ。
ヴァルターの下へとお送りさせて頂きますと言って駆け寄ってくる取り巻き連中の声を無視し、「やはり、そうは言っても……」と、意地悪をする。やめてくれというトリクラウドさんの悲鳴が面白いくらい伝わってきてたけど散々馬鹿にしてくれた報いだし……。
と、思いながらその後、「やっぱり……」「いや、でもでも……」「そうは言っても……」と言って足を止めては進めを繰り返し、彼の精神をガリガリ削ってやった。
正直、超楽しかった。
* * * * *
「それ、で。わたしにこのお嬢さんの相手をしろと。陛下はそう仰られるのですかな」
ところ変わり、ヴァルターの下へ戻るや否や、部屋の外で待機をしていたメイドに案内をされたのはライバードさんと剣を合わせた教練場によく似た場所であった。
既にその場には王であるディランさんともう一人。白髪の愛想の良さげな初老の男性が待機しており、私は一瞬で理解をした。
この者が、私の対戦相手となるのだろうと。
そして、この人は強いな、と。
もし彼がトリクラウドさんがやけに持ち上げていたクライグさんというのであれば、確かに彼があそこまで尊奉するのも分からないでもない。
ただそこに居る。
たったそれだけの佇まいだけでも歴戦の騎士のような雰囲気が彼からは感じられたから。
「不満であるか?」
「不満、というわけではありませんが……正直なところを申し上げると、このお嬢さんと戦いたくはありませんなぁ」
いやに懐かしい言葉だなと。
部屋に足を踏み入れるが早いか、私の事をじっくりと注視を始めていた男の言葉に対し、そう思った。
理由は単純だ。
アメリア・メセルディアとして生きていた頃の私に対し、接してくれる者には三パターンの人間がいたから。そしてその中の一つに先の言葉が見事合致してしまったから。
一パターン目が、先ほどのトリクラウドさんのような人間。
女であるからと頭ごなしに否定をするような輩。つまり、一番腹立つパターンである。
二パターン目に、フェミニストを気取る人間。
勿論、彼らは私に喧嘩を売る事も、剣を合わせる事もしてくれないが割りかし愛想は良い。
騎士として生きている事も何か訳ありなのだろうと勝手に納得してくれていた人達がここにあたる。
そして三パターン目が、丁度目の前にいる初老の男性のような人のパターン。
女であるにもかかわらず、他と区別する事無く、一人の騎士として見てくれる人だ。
ただ、彼らはどうしてか私と絶対に剣を合わそうとはしてくれない。
そして決まって皆が言うのだ。
私とは、戦いたくないと。
「何より、陛下のお望み通り、このお嬢さんの力を見るともなれば……恐らく、仕合の範疇では済まなくなる。そもそも、この老いぼれでは勝てませんでしょうしなあ」
理由を問えば、これもまた皆が似たり寄ったりの意見を言ってくるのだ。
『私では、勝てないから』『女相手に本気で剣を振るうわけにもいくまい』『私から学べる事は何一つないでしょう』などと、本当か嘘かわからない、というより、私を気遣うような言葉ばかりが並び立てられていた記憶しかない。
そして案の定、聞き覚えのある言葉がやってきた。
とはいえである。
別に私は己の意思で目の前の男と戦いたいと望んでいたわけではない。
むしろ、戦わなくて済むのならばそれで穏便に事を済ませたい側の人間だ。
だから、今回ばかりは好都合であると思った。
しかし、そうは問屋が卸さないのが現実である。
「……それは、本気で言っておるのか?」
「ええ。陛下にこのわたしが嘘を吐く理由がどこにありましょう? とはいえ、です。この老いぼれの言葉一つで納得してくれ、というには些か無理がありましょう。そこで提案なのですが……」
あ、これなんか嫌な予感がする。
力試しをしないのなら私、帰っても良いかな? などと現実逃避を始める私をよそに
「最近、サテリカにて商人を狙った襲撃が多発しておりまして。まぁ、その首謀者についてはもう目星が付いているのですが、丁度よかった。その討伐にこのお嬢さんにも参加して頂き、そこで力を示して貰う、というのは如何でしょうか?」
血腥そうな話が勝手に進み始めていた。
……勘弁してよ。