二十話
「嗜み程度、では無かったのか」
ユリウスが「もう一回」と納得がいかないのか、声を上げるライバードの首根っこを掴み、引き摺るようにして無理矢理に教練場を後にした直後。
静観を貫いていたヴァルターが私の下へとやって来る。懐疑の混ざった言葉だと言うのに彼はどうしてか、どこか嬉しそうで。
その理由が私には良くわからなかった。
存外戦えるという事に対しての喜びなのだろうか。
「嗜み程度ですよ。ええ、間違いなく。今回はライバードさんが私を舐め腐ってくれていただけです。再戦、ともなれば私が真っ向から負けてしまうでしょうね」
それは決して謙遜ではなく、まごう事なき本音であった。強いと口にしたあの言葉に嘘偽りは一切入り込んでいない。
「今回はただ、運が良かっただけですよ」
負けであってその実、負けではない。
そんな奇妙な結果に落ち着いたのは、単純に私の運が良かったというだけである。
「そういうものか」
「はい。そういうものです」
少しだけまだ納得がいっていないのだろうか。
物言いたげな視線を私に向けていたが、述べた意見を私が覆す気はないと悟ったのだろう。
不満げではあったが、ヴァルターもそれで納得をしてくれていた。
「ほら」
そんな掛け声と共に差し出されるひと振りの剣。それは、先の腕試しのような事をする際に邪魔だろう? と言ってヴァルターが預かってくれていた剣であった。
「腰に下げておけ」
彼の言葉に従うよう、差し出された剣を私は受け取ろうと試みる。
けれど、受け取る寸前、ぴたりと私の手は硬直した。
————王宮では、剣を下げるべきでは無いんじゃないか。
そんな意見が過ったからこそ、私は素直に受け取る事を躊躇ってしまう。
「……ん?」
今生は、不本意ながらこうしてヴァルターの女官に任命されてしまった。
前世の時ならばまだいい。
あの時は、最後を除いて一人ぼっちだったから。女だからと絡まれる事もあったけれど、一人だったから誰にも迷惑は掛けていなかった。
だから、何かを気にかける必要性も皆無であったけれど、今生は違う。
隣にはヴァルターがいる。
言わずと知れた国王陛下だ。
女が。それも、17の小娘が我が物顔で剣を腰に下げる。
そんなの、イチャモンをつけてくれとこちらから言っているようなものだ。
別に王宮内ならば、危険性は皆無だろう。
ならば、今回のような厄介ごとを避ける上でも剣は側に極力置いておくべきではないだろう。
そう考えた私は————
「心配無用だ」
己の考えを口にしようとしたところで、声が割り込んだ。
まるで、私の心境でも見透かしていたかと思わず勘違いしてしまう程にピッタリと合致した言葉であった。
「お前の考えている事は何となくだが分かった。だからその上で言ってやる。心配無用だと」
ぐぃ、と受け取る事を躊躇っていた私に対し、鞘に収められた剣を無理矢理に押し付けられる。
「確かに、実力も何もない人間が騎士として扱われていたならば、誰もが不満を漏らした事だろう。だが、お前はあのライバードと二合であれ、切り結んだ。お前の実力はあの時点で証明された。俺とユリウスがそれを見たんだ。ならば、文句は誰にも言わせんさ」
「…………」
物言わせぬ圧が込められた言葉に思わず、目を剥いてしまう。
「実力があるならば、相応の地位を以て取り立てる。俺の政とはそういうものだ。そうあれかしと願い、そして作り変えた。だから、変な気を回してくれるな」
……ちゃんと、王様をやってるんだ。
不敬にもそんな感想を抱いてしまう。
そして、目の前にいる人物が幼かった少年ではなく、国のトップである国王陛下なのだとまた、分からされてしまった。
だから、なのかもしれない。
どうしてか、小さな寂寥感に襲われた。
私の知ってるヴァルターはどこまでも、過去のヴァルターでしかないのだと、思い知らされる。
転生したとはいえ、結局のところ、過去の亡霊でしかない私がこうして俯くわけでもなく、前を向き続けている彼の下に本当にいて良いのか。
そんな疑問すら湧いた。
「……失礼いたしました」
けれど、おくびにも出さず、私は謝罪する。
そして押し付けられた剣を握り締め、私はそれを腰に下げた。
「ん。やはり、俺の護衛を務める者には剣がなければな」
剣を腰に下げた私の姿を見るや否や、小さく首肯し、ヴァルターは満足気に呟く。
「そうでなければ、俺の護衛とは言えん」
一度として護衛どころか側仕えすら許容していなかったヴァルターであるが、己の護衛は剣士でなければならないという取り決めでもしていたのだろうか。
全くもって意味の分からない基準だ……と、どこか呆れる私の頭上に伸びる影。
それは手であった。
ヴァルターの、手。
「ご苦労だった。それと、疲れているところ悪いが、明日からサテリカに赴く故、可能な限り政務を片しておかなければならなくてな。手伝ってくれるか」
お疲れ様、と。
労うように私の頭を軽く撫でるヴァルター。
てめえそれ、私がちっさい頃のヴァルターによくしてやってた行為じゃねえか。と、すっかり逆転してしまっている身長差を割と本気で恨みながら、そんな事は知る由もない彼に向けて口元を不満気に歪めた。