十七話 三人称
「よう。隣、いいか? ヴァル坊」
ところ変わり——騎士団専用の教練場にて。
普段であれば十数名もの騎士達が励んでいたであろう光景がある筈であったのだが、今日ばかりはまるで無人と勘違いを起こしてしまいそうな程に静まり返っていた。
がらんとした教練場。
邪魔にならないようにと考えた配慮故なのか。
腕を組み、端の方でじっ、と佇んでいたヴァルターに声が掛かる。
「……いい加減、坊はやめてくれユリウス」
ヴァル坊とヴァルターの事を呼ぶ人物は後にも先にもただ一人だけ。故に、視線を向けるまでもなく正体を看破していた彼は、ため息混じりに呟いた。
男の正体は、ユリウス・メセルディア。
今はメセルディア侯爵家の現当主であり、騎士団長をも務める傑物。
どこか粗雑な口調とは裏腹に、容姿は大人しめであり、どこか寡黙な印象を与えてくる。
「良いじゃねえか。公の場でもあるまいし。俺にとってお前はどこまでも坊なんだよ。諦めてくれや」
「……はぁ」
ユリウスの様子を見る限り、何を言ってもこればかりは耳を貸してくれないと今回もまた悟ったのだろう。
何度目か分からないやり取りに辟易しながら、ヴァルターはこれ以上、この件に関して咎める事は諦めた。
「ま、ぁ。にしても、だ。あのヴァル坊が随分と珍しく、執着してるんだな。あの小娘に」
そう言うユリウスの視線はヴァルターから別の方向へ。瞳に映る二人の人影。
ライバード・ツヴァイスとフローラ・ウェイベイアの姿を捉えていた。
「で、ヴァル坊お気に入りのあの子は一体何秒耐えられると思ってんだ?」
「……20秒だな」
「おいおい、過度な期待の割に控えめな回答じゃねえか」
だが、女の身でライバードの剣を20秒耐えられるってんなら御の字か。と、勝手に自己解釈を終えるユリウスに向けて、今度は笑い混じりにヴァルターが言う。
「違うぞユリウス。俺は、20秒以内にライバードが負けると言ってるんだ」
「あん?」
耳を疑ったと言わんばかりにユリウスは呆けた顔を向けていた。
「……一応、騎士団長の身であるからこそ言ってやるが……ライバードはここ数年の中じゃ天才って言われても可笑しくねえ技量を持ってる。聞けば、今回の仕合は、ヴァル坊があえて感情を燻らせていたライバードに、挑発を認めたと、そう聞いてるぜ? 一体どういう事なんだ?」
その通りであった。
言い合いをしているところに偶々、フローラが通りかかったと彼女は思っていただろうが、それは勘違いである。
あえて、仕合をせざるを得ない状況下に持っていく事を許可したヴァルター発案の茶番であったのだ。
「……もし。あくまでこれは仮の話であるが、ライバードの前に立っている剣士が、メセルディアの鬼才であれば、どうだ?」
メセルディアの鬼才こと——アメリア・メセルディア。それはヴァルターの隣で会話を続けるユリウスの実の妹であった人物でもある。
「……身内贔屓は入り込んでいるとは思うが、恐らく十中八九アメリアが勝つだろうよ。だがそれがなんだってんだ。アメリアは死んだ。それはヴァル坊が一番分かってんだろ。何、無為でしかない質問を————」
そこで、言葉を止める。
否、思わず止まってしまったのだ。
ユリウスが知る限り、ヴァルターという人間が目に見えて心を許していた者は後にも先にもただひとり。
アメリア・メセルディア、ただひとり。
命日にはたとえどれだけ政務が忙しかろうと花を捧げに行き、形見であるペンダントは欠かさず首に下げている。これだけでも、どれだけ懐いていたかなぞ一目瞭然だろう。
そしてもうそれは後にも先にも彼女一人でしかないのだろうとユリウスは思っていた。
側仕えの一人も決して許そうとはしない者であったからこそ。
そんな彼が何故か突如として、側仕えにすると言い、己の女官として働かせていると言う。
あの固執具合がちょっとやそっとで無くなるとは到底思えなかったユリウスだからこそ、ある結論に至ってしまう。
「ヴァル坊、お前……」
「ユリウスは、転生というものを信じるか」
……見事に予感があたりやがった。
そう言わんばかりにユリウスはヴァルターのその言葉を聞くが早いか、下唇を軽く噛み締める。
「……あの子をアメリアと重ねてんのか」
責めるような視線を向けるユリウスであったが、それにあてられるヴァルターはといえば、機嫌よさそうに微笑むのみ。
「仮にヴァル坊の言う転生があったとしよう。だが、あの子がアメリアである根拠は何処にあるよ?」
「俺がそう思った。根拠なぞ、それだけで十分だ。もし仮にアメリアとしての記憶があろうとなかろうと俺がフローラをアメリアの生まれ変わりであると判断した。そばに置く理由なぞ、それだけで十分過ぎる」
「……相変わらずアメリアが絡むと病的になるのな」
ユリウスは深いため息を吐く。
「とはいえ。まぁ、アメリアが絡むとヴァル坊はもう何言っても無駄と知ってるからこれ以上を言うつもりないが……、疑問が一つだけある」
「なんだ?」
「どうして貴族令嬢でしかないあの子を巻き込んだ? お前はどのみち王を退くつもりだっただろうが。なら、その後あの子を迎えに行ってやれば良かったんじゃねえか? ……アメリアの騎士時代の境遇を知らんお前じゃねえだろうに」
彼がそう言うと、ヴァルターは少しだけバツが悪そうに俯き、視線を落とした。
そして、消え入りそうな声で一言。
「……悠長に放っておけば、俺の知らない何処かへ行ってしまうと思った」
「あん?」
「元々は、放って置くつもりだった。けれど、あろう事かあいつはミシェルの花嫁選びのパーティーにやって来た。……このまま放っておいてはどこの馬の骨とも分からない奴のところに行ってしまうような気がしたんだ。……気付いたら、俺は女官を頼み込んでいた」
「……お、ぃ。ヴァル坊、待て。それだとまるで以前から知ってたような口振りじゃねえか」
「そうだが?」
「……いつから目ぇつけてたんだ」
「5年前」
「はあぁぁぁぁ……」
それはもう執着心が凄いだとか、そんな域を突き抜けちまってんぞ。
流石にそれを言う気力すら無いのか、あからさまなため息を吐くだけに留められていたが、ユリウスは己の主の病的さに頭を抱えざるを得なかった。
「……分かった。ヴァル坊に常識ってもんが通じねえ事はよぉく分かった。そんなお前が言うんだ。もしかすると、本当にあの子はアメリアの生まれ変わりなのかもしれねえ。だが、メセルディアの鬼才と謳われたあの頃の実力があるとは限らねえだろ?」
「剣を振れると。あいつはそう言った」
ヴァルターは元より、フローラがアメリアとして生きた頃の記憶を持っていようが持っていまいが些細な事であると考えていた。
欠片でも覚えていたならばラッキー。
本当に、その程度。
しかし、実際に顔を突き合わせ、言葉を交わすと手に取るように理解してしまったのだ。
彼女は。
フローラ・ウェイベイアは紛れもなくアメリア・メセルディアの生まれ変わりである、と。
だからあえて剣が振れるかと尋ねた。
そしてその問いに彼女は振れると答えた。
普通、ただの貴族令嬢が剣を振れるかと尋ねられて振れると答えるだろうか。
答えは、否。
故に、アメリアであった頃の技量の一つや二つ、受け継いでいるのでは無いかと思ったのだ。
そして、騎士服を身に纏った際のあの悠然とした佇まいで確信に至った。その懐かしさに、ヴァルターは己の色褪せない記憶の中に存在するアメリアを見たのだ。
「このご時世、女であるにもかかわらず、剣を扱える事を隠そうともしない奴を俺はひとりしか知らん」
心底、楽しそうに。嬉しそうに。
ライバードとの仕合に備え、準備を整えていたフローラを見つめながらヴァルターはそう口にした。