十五話
「————よしっ、と」
動きやすいようにぎゅっと髪を束ねた私は準備が出来たとばかりに声をあげながら、用意された部屋に設えられた鏡の前で己の身嗜みを確認。
そこには、騎士服に身を包んだ己の姿があった。前世とは異なる容姿。けれどどうしてか、まず初めに私が抱いた感情は懐かしさであった。
ヴァルターに半ば強制的に外へ連れ出され、ハーメリアとであったあの日より既に4日。
隣国への護衛任務を明日に控える私は、既に王宮での生活にすっかり馴染んでいた。
……とはいえ、ずっと昔に王宮勤めをしていたのだからそれは至極当然ともいえるものなのだが。
「今日も一日、頑張りますか」
鏡によって反射される窓越しに射し込んだ曙光の光に、私は目を僅かに細めながらもそう言って、あてがわれた自室を後にした。
* * * * *
「ですから陛下ッ!! サテリカにあの女官を連れて行く事はおやめ下さいッ!! ただでさえスェベリアはまだあの大粛清の事もあり、地盤が整っていないのです!! こんな時期に他国からナメられるような真似を何故……っ」
ヴァルターの下へと向かう途中。
そんな喧騒が私の耳朶を掠めた。
「俺がアイツを使える人間であると判断した。だから側に置く事にした。ただそれだけだが?」
「でしたら尚更、お考え直しください……!! 護衛を嫌う陛下が側に人を置く。それは良き事であります。我々も常々、側に人を置いてくれと諫言致しておりましたから。ですがどうして、女に騎士の真似事をさせているのですか……ッ!!」
悲鳴じみた叫び声は次第に勢いを増して行く。
それなりに距離が離れている私にまで聞こえる声量となっていたが為に、その内容も私の耳へ確かに届いていた。
私の目に映る二人のシルエット。
ひとりはヴァルターと分かるのだが、もうひとりは私に見覚えがなく、誰なのかは分からない。
しかし、こうしてヴァルターに直訴出来る程度には位の高い人間なのだろう。
ヴァルターの下に向かおうとしていた私であったけれど、話の内容が己自身の事であると悟るや否や、その足を止めた。
今私が行っても事態は悪化するだけ。
そう分かっていたから。
「……確かに歴史上、女騎士として務めていた人間はこのスェベリアにもいます。ですが、陛下も知っているでしょう…!? その者達は例外でしかない、と。この国にかかわらず、どの国でもまだ女騎士という存在を軽んじる固定観念は浸透したままです。その中で一国の王が女騎士を側に置くなど……」
言語道断です、と。
流石に言葉にこそされなかったが、本来続いたであろう言葉は容易に想像がついた。
「……まぁ、その気持ちは分かるんだけどね」
必死に叫び散らす男は私を貶しているというのに、その気持ちは私自身が一番よく分かってしまう。
女騎士という存在は歓迎される存在ではない。
なまじ王宮で過ごした過去があるからこそ、その事実は誰よりも理解出来てしまう。
「とは言っても、私に拒否権なんてものはないしなぁ……」
王宮勤めをしろとヴァルターに願われた2日後。その事を知った実家から、物凄い長文で激励の言葉をかけられ、実家の事はいいから可能な限りそこで働けと言われた私に逃げ場などありはしないのだ。
それこそ、ヴァルターからもう来なくていいと言われでもしない限り、この生活が続くのだろう。
最早私は諦めの境地に突入していた。
「私だってなりたくてなったわけじゃないし、こればっかりは人任せにするしか無いんだよねぇ」
そもそも、私も面倒ごとには極力関わりたくない人間である。
明日に控えた護衛の任務だって、私的には行かなくていいのならぶっちゃけ行きたくない。
嘲られる事に慣れてこそいるものの、だからといって嫌悪の感情をぶつけられても問題ないというわけではないからだ。
という事情もあり、私はヴァルターに諫言をしている方を応援してる境地ですらある。
「————そんなものは知らん」
ぴしゃりと。
捲し立てていた男に対し、ヴァルターは毅然とした態度で言い放つ。
億劫といった感情が、その言葉には込められていた。
「そもそも、お前はアイツの全てを知っているのか? ろくに知らん癖にぐちぐちと囀るな。実に不愉快だ」
「……これは、陛下の問題ではなく、スェベリア王国の問題です」
故に、こうしてしつこく指摘を続けているのだと彼は言う。
「国のトップは俺だ。これに関しては誰の指図も受けるつもりはない」
一切の意見も挟み込むつもりがないのだろう。
取りつく島もないとはまさにこの事であった。
そして、ひたすら諫言を続けていた男はそんなヴァルターを前に、ため息をつく。
「……そうですか。実に、残念でなりません」
それだけ告げて、男はヴァルターに背を向けた。
寵愛をするあまり、盲になってしまわれたか。
哀れみの感情を込め、そうひとりごちる彼はその場を後にしようとして。
「待て。ライバード」
ヴァルターが去ろうとする男をどうしてか、引き留めていた。
ライバード・ツヴァイス。
成る程、彼はツヴァイス侯爵家の人間だったのかと私がひとり得心する中。
「お前はどうやら勘違いをしているようだ。俺は、一番強く信頼出来る人間を側に置いているつもりなのだが?」
その言葉によって、ぴたりと去ろうとしていたライバードの足が止まる。
「……一番、強く信頼出来る……?」
耳を疑うような言葉だったのだろう。
これ以上ない不信感をあらわに、彼は問い返していた。
「少なくとも、アイツは俺よりもずっと強いぞ。とはいえ、俺がいくら言おうとも誰も信じはしないだろう。だから元より、いつかこうしてアイツに向けられる不信感を払拭する為の機会を設けるつもりだった」
そんな話は一切聞いてないんですが。
心の中で冷静に突っ込む私の言葉は無情なまでに届かない。
「なんなら己が身で言葉の真偽を確かめるか? ライバード」
「……後悔しますよ」
「すると良いな」
……いやいやいや、まって。
ねえ待って。私、ヴァルターに剣が振れるか聞かれただけじゃん?
確かに実家ではする事ないし、貴族の令嬢らしくお茶会に参加する事を拒んで庭で剣振ったりしてましたとも。
百歩譲ってその事実を何故かヴァルターが知っていたとしましょう。でもなんで本職の騎士と私が戦う流れに持っていくわけ? というか、その自信はどこから湧いてくるんだ! くそが!
「という事だ。問題ないか? フローラ」
三十六計逃げるに如かず。
ここは戦略的撤退をし、部屋に戻って風邪のフリでもしよう。そう考えていた私に向かって、言葉が投げかけられる。
……どうやらヴァルターは私の存在に気が付いていたらしい。
「……問題だらけです」
名前を呼ばれてしまったともなれば逃げるわけにはいかないと。私は観念し、返事をすると二人の視線が此方に向いた。
形だけは一応、拒絶してみたのだが、ライバードさんは「陛下を誑し込んだ悪女め」みたいな視線で殺る気満々に私を睨め付けていた。
……なんでよ。
私はこの残酷すぎる現実を前に、無性に泣きたくなった。