十四話
「……国王の座を退く、ですか」
憚られる様子もなく口にされた言葉。
しかし、ヴァルターは言わずもがな、ハーメリアはその衝撃発言の事を既に知っていたのか。
驚きといった感情は見受けられない。
ポツリとそう言葉をこぼした私ただひとりだけがこの場でその理由を知り得ていない人間であった。
「意外か?」
「……いえ」
正直に言うと、意外であった。
ヴァルターが国王という地位に拘っていそうだとか、そういった理由ではなく、ただ単純に今の王国は私の知る限り平和であるから。
それはつまり、良き統治が成されているという事実に他ならない。
だから、こうして財務卿であるハーメリアから問題児であるとばかりに後をつけられていたとしても、ヴァルターは間違いなく良き王である。
そんな彼がどうして10年もしないうちに今現在の地位を退こうとしているのか。
何故退くのか。
そんな疑問が私の脳裏に渦巻いていた。
「そう取り繕わなくてもいい。簡単な話だ。俺が退く理由はな、俺自身が己の子を儲けるつもりがないからだ」
「子、ですか」
「ああ。もし仮に、この想いを覆す時が来ようとも、まず間違いなく王家由縁や大貴族の娘と添い遂げるつもりはない。……縛り続けられる人生など、ロクでもないと俺自身が知ってしまったからな」
————王族だなんて大層な地位なんて欲しくなかった。僕は……もっと自由に生きたかった。
いつだったか。
遠い昔。私に向かって心の慟哭を漏らしていた少年と、寂しげにそう語るヴァルターが重なった。
「国王という地位は決まって世襲だ。子を儲けるつもりのない王がいつまでもその地位にしがみ付いては後の世代が困り果ててしまう。だからこそ、俺は先10年以内にこの地位を退くつもりだ」
幸い、俺以外にも王族の血を継いでいる者は何人かいる。
ヴァルターのその発言を耳にし、まず初めに思い浮かんだ人物は私が王都へ来るきっかけとなった人物——ミシェル公爵閣下であった。
若くして公爵閣下となった彼は、ヴァルターが斬刑に処した異母兄の血を継いでいるのだ。
他にも数人。
先の血塗れとなった王位継承権という名の政争にてヴァルターの兄や親類は処罰されたものの、それでも王家の血は絶えていない。
当時10未満であった子供は処罰されなかったというヴァルターの温情的措置はもしかすればこの為であったのかもしれない。
「とはいえ、この決定はハーメリアを含めて3人しか知らん。いや、お前を含めれば4人か」
恐らくその3人というのが先程彼が言っていた辺境に飛ばそうにも飛ばせなかった者達に当て嵌まるのだろう。
「勿論、王家由縁の者にも誰一人として伝えていない。……政争はもう懲り懲りだからな」
そう口にするヴァルターには筆舌に尽くし難い疲労感が滲んでいた。
「だからこそ、公言出来ないのだ。俺が10年以内に王位を退くと聞けば向こうも二つ返事で破談の旨を承知してくれるだろうに……全く、やり辛い」
彼が巻き込まれたあの血塗れの政争さえなければ、彼は何に憚られる事なく王位を退くと公言していたのだろう。
しかし、現実としてその選択肢だけは選べない。選んでしまったが最後。
じゃあ、次の王は誰に。
と、またあの悲劇の繰り返しにならない、とは言い切れなかった。
「まぁ、という事情あり、隣国へ赴く羽目になったのだが、なに、案ずるな。多少、嫌悪といった感情をぶつけられるやもしれんが、破談の旨を伝えに行くだけだ」
だから何も問題ないとヴァルターは私に向かって抜け抜けと宣っていた。
そんな彼に対し、私はゆっくりと瞑目をし、己の置かれた状況を整理する。
つまり私は女官としてヴァルターの護衛の為に隣国へ赴くと。
そしてその向かう理由は彼が持ちかけられていた縁談を断る為であり。
その為についてきてくれ。
なに、心配はいらない。多少の嫌悪感はぶつけられるかもしれないけど大丈夫。大丈夫。
といったところだろうか。
……全然大丈夫じゃないからそれ。
ハーメリアがどうしてヴァルターに対してあんな反応を見せていたのか。
その理由がよーくわかった。
成る程、ハーメリアが常識人でヴァルターがちょっと頭のネジが外れていると。
これからはその認識でいこう。
私は人知れず、その考えを頭に深く刻み込む。
既にもう逃れられない未来となってしまっているであろう面倒事に辟易しつつ、憐憫の視線を向けてくるハーメリアに対して「同情するならお前がついていけよ」と無言で必死に訴えかけ続ける事しか出来なかった。