一話
救いようがない程に愚直過ぎる忠義者。
きっと、前世の私という人間の最期を知る者であれば恐らく、私という人間をそんな言葉で言い表した事だろう。
側室の子であるが為に王位継承権は無いに等しく、貴族諸侯から真っ先に見限られた第三王子。
そんな彼に最期まで付き従おうとした人間を他にどう言い表せようか。
しかも、「放ってはおけなかったから」という理由だけで命まで賭けた馬鹿を表せる言葉はそれ以外、見当たる筈がなかった。
『……どうして、貴女は僕を守ってくれるんだ』
それは、いつだったか過去の私に向けられた言葉。護衛対象である第三王子——ヴァルターはどこか怯えながらもそう問い掛けていた。
その理由は、単純に怖かったからなのだろう。
真に己を守ってくれる存在であるのか、どうかが。それ程までに彼には味方がいなかったのだ。
『殿下は、おかしな事をお尋ねになられるのですね』
私は面白おかしそうに笑っていた。
ヴァルターは不満げに口元を歪めていたが、それを見ても尚、私は目尻を曲げる事を止める事なく、続け様に言葉を紡ぐ。
『そもそも、貴賎はないのですよ。私達が仕えるべき相手は王家です。たとえ側腹の子であれ、殿下には立派な王家の血が流れていらっしゃるのです。これ以上ない、殿下をお守りする理由とは思えませんか?』
『……レスターの叔父上や、ボルネリアの爺は僕を殺そうとしてきたぞ』
『それは目先の利益に囚われた醜い貴族であったからです。あんな下賤な者どもと私を一緒にしないで頂きたく』
レスター卿に、ボルネリア卿。
どちらも公爵位を賜った貴族家の人間である。
しかし、位がなまじ高いが為に己が支持する王位継承権以外の者——つまり、不穏分子を野放しにするわけにはいかないと考えたのだろう。
故に、殺しに向かった。
その事実を知る私だからこそ、己より爵位の高い人物であったがそれに構う事なく、彼らを「下賤」と言い表し、一蹴した。
だが、勿論その程度でヴァルターの猜疑心は晴れるはずもなく、疑惑の視線は未だ向けられたまま。
『……貴女が最後までレスターの叔父上達のように僕を裏切らない保証が何処にある』
『…………』
その言葉に、私は口を真一文字に引き結んだ。
私には、彼を納得させられるだけのナニカを持ち得ていなかったから。
そしてヴァルターは私のその反応に対し、「やはりな」という表情を見せる。
結局、お前も同じでいつか僕を裏切り、殺す腹積りだったのだろう?
そう言わんばかりの濁り切った瞳が私を容赦なく射抜いていた。
私の目の前にいるヴァルターはいくら王子殿下とはいえ、未だ7歳という少年の身である。
7歳の子供にこんな瞳を向けさせるに留まらず、あまつさえそれを許容するのかと。
己の中で罪悪感がぶわりと噴き上がり、広がった。
そして、それはダメだと胸中で言い放つ。
仕え、尊奉すべき王家の人間。それを差し置いても物心ついて間も無い子供に、大人である私がその事実を容認させてはいけないと思った。
だから、なのだろう。
私は躊躇なく右手の親指を口元に持って行き、がり、と音を立てながらも皮膚を食い破る。
滴る鮮血。
それをヴァルターの右の手の甲にあてて
『————刻む。我が真意を』
それは魔法であった。
〝契約魔法〟と呼ばれる一風変わった魔法。
己が望むように相手との契約をする魔法。
そして、それを相手側も受け入れた時、その契約は成立し、身体の何処かにその証拠として紋様が浮かび上がる仕組みとなっている。
『…………っ!?』
ヴァルターは思い切り目を見開き、驚いていた。それもそのはず。
私が行った契約。その内容とは
——ヴァルター・ヴィア・スェベリアに一生涯の忠誠を誓う。
というものであったから。
そして、数秒を経て、チクリと私の首元に痛みが走った。契約が完了されたのだろう。
これまで行った契約の際に感じていた痛みとそれは同じものであった。
『これで、私は殿下を正真正銘裏切る事は出来なくなった。ですが、殿下も私を疑う事は出来なくなった』
したり顔で私はそう言う。
けれど、その反面、ヴァルターはどうしてか不快そうに眉根を寄せていた。
『なん、で、こんな契約を』
『ですから、申し上げていたはずです。私が仕えるべき相手は王家であると。王家の人間である殿下に忠誠を誓う。何がおかしいのですか?』
『……奴隷となんら変わりないではないか……っ!! こんな契約……っ』
『ですが、お陰でこうして信頼を勝ち取れた。得たものに比べれば安いものですよ。私の一生涯くらい』
実際に誰が味方か分からず気が気でなかったのだろう。事実、彼が奴隷と言い表した契約であれ彼は受け入れた。その気持ちは分かっていたからこそ、私は優しげに笑んでみせる。
『さて、こうして信頼も得られた事ですし、早いところ王宮を出ましょう。また殿下の命を狙われないとは限りませんし』
偶々、私という人間が王宮勤めをしており。
偶々、邪魔者であるとして下手人がヴァルターの排除を試みていた場面に居合わせ。
偶々、こうして救う事が出来ていた。
『……逃げるあてはあるのか』
『私の生家に向かいましょう。少しばかり遠くはありますが、逃げ込むならそこしか選択肢は用意されていません』
そして、始まりを告げた逃亡劇。
結局、ヴァルターを連れて逃げた事で追手が付き、彼を守り抜きながら必死に迫りくる凶刃から抗ってはいたものの結局、生家にたどり着く寸前で私は命を落としてしまった。
————死ぬ事だけは何があろうと許さん……ッ!!!
鬼のような形相で死にかけの私に向かって叫ぶヴァルターの姿は転生をした今でも忘れられない。
「きっと、怒ってるんだろうなあ」
馬車の中。
過去を懐かしみ、そんな事を宣いながら、私は窓越しの景色を見つめ続ける。
「ま、私の正体なんてバラシはしないけど」
王家に忠誠を誓う。
その感情は未だ変わっていない。
けれど、あそこまでの事をした理由は忠誠より私自身がヴァルターという少年に同情をしてしまったからだ。
結局、最後まで守り切る事すら出来なかった不忠義者がおめおめと顔を出しに行く事はきっと間違っている。
だから、名乗り出るつもりは無かった。
どうやってあの状況から国王陛下にまで上り詰めたのだと問い詰めたい気もあったが、それを出来る立場にはないので思うだけに留めている。
「とはいえ、私が王宮にまた向かう日が来るとは」
約17年振り。
意図的に避けていた事もあり、転生後のフローラ・ウェイベイアとしては人生初。
家長である父の命にて、強制的に王宮で開催されるある公爵殿の花嫁選びの為のパーティーに参加する羽目になってしまった私は物憂げにため息を吐いた。