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自叙伝  作者: ぺぺろん
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高校生期(受験と漫才編①)

この自叙伝は、陽キャになろうとしてもなれない、エリートになろうとしてもなれない、スポーツをしようにも才能がない、モテモテになろうとしてもなりきれない挫折ばかりのごく普通の20歳大学生、おれが書く中途半端なストーリーである。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


恋愛、部活と、高校の二年間を青春に費やしてきたおれだが、ここで学生の本業とは何かを考えていただきたい。


そう、勉強である。


おれはこの時点で勉強など全くもってしてこなかったのだ。


定期テストではつねに下から10位以内。


高校受験の時点ですでに完全燃焼してしまった、というのもある。


三年生になってから頑張ればいいや、と思っていたのもある。


しかし、部活の件で完全に人として燃え尽きてしまったおれは、三年生になっても、これ以上ストレスのかかり得る勉強などの全て一切に手をつけず、まさに暴れまくっていた。


ストレスから解放されたおれはふっきれたように仲の良かったバスケ部や野球部のやつらと遊びまくっていたのだ。


周りはぐんぐん成績を伸ばすなか、おれは果たしてどうなってしまうのか。。。




〜高校生期(受験と漫才編①)〜



部活が終わり、おれは周りの圧により少しふざけることさえも許されなかった副キャプテンというストレスから解放された気持ちよさより、爆発したかのように遊び暴れ散らかした。


サッカー部のやつらをひたすらに避け、クラスや他クラスの主にバスケ部や野球部の仲の良い友達と一緒にいた。


話や笑いのノリがとても合い、サッカー部とは違ってとても居心地がよかった。


最初から違う部活に入っておけば、と何回思ったことだろうか。


彼らの芸人を意識したなんちゃってバラエティーのようなノリが、昔漫才をしたり、中学時代笑いを研究していたおれにとっては格好のお笑い披露場であった。


勉強などせず、毎日笑いを取るために学校に行っていた。


中学時代に逆戻りしたようだった。


気づけば6月。


おれはまだ受験勉強をスタートできずにいた。


勉強に対してやる気が微塵もなかった。


というより、これから先、生きていく気力も、将来を考える余裕もなかった。


サッカーのせいで彼女も心もプライドもなにもかも失っていたおれは、極端にストレス要因となり得るものから逃げ続けていた。


その時の実力テストは学年ワースト2位だった。





ある日うちに、母の友達のおけいさんという北海道に住んでいる方がきた。


このおけいさんは、デザイナーの仕事を持ち、年齢も80を超えているのに、未だに日本中を飛び回って仕事を続けている。


いわゆる超人おばあちゃんだ。


母方の家の宗教の繋がりで知り合ったという。


おれも昔何度か面識はあった。


母と話し終えたおけいさんは、ふとこちらに話を振った。


今の様子はどうかと。

勉強はうまくいっているかと。


その時絶賛病み期だったおれは、現状について考えたくもなかったので、適当にあしらうような対応をした。


しかしおけいさんはそんなおれにも優しく寄り添い、


「○○(おれ)ちゃんなら大丈夫よ〜。だって賢いんだもの。賢すぎるからいっぱいいっぱい考えちゃうのよね。考えすぎてストレスが溜まっちゃうのよね。ゆーっくり考えたらいいんだよ。まだまだ人生長いんだから。大丈夫よ〜、大丈夫。」


そう言ってくれた。泣きそうになった。


まるで、おれがなにで苦しんでいるかを全て理解しているようだった。


思わず、本音が出る。


現実から逃げてしまっていること。


部活が死ぬほど辛かったこと。


また、おれの現状の話、過去の話、将来の話。


気づけばおれはおけいさんと話し込んでいた。


とても温かい人だった。


その時面と向かって話し、初めて気づく。


この人と話すだけで、自ずと気力が湧いてくる。


活力が溢れる。


生きたい、と思えた。


それはこの人自身が老いてもなお変わらず元気に仕事を続けているからというのもあるかもしれない。


まだ若いおれがこんなところでへこたれるべきではないと思った。


その日からおれはすぐさま勉強を始めた。


だが勉強の仕方もわからなかったおれは、まずは阪大に進学した当時塾のチューターをしていたサッカー部の先輩に、自分の現状と、ここからまずはどのような勉強をすべきかという話を事細かく聞いた。


なんとかおれは受験の波に乗った。


国公立に行きたかったおれは、時期的にはギリギリだが、頑張り次第ではまだ間に合うと言われた。


必死で努力する決意をした。





それとは別に、両立しなければならないことがおれにはあった。


漫才である。


その年の文化祭では、漫才大会が開かれるということになっていた。


おれはこれはもう出るしかないだろうと、クラスの仲の良いネタ系の女子と5月時点で登録してしまっていたのだ。


コンビ名はノーチャンス。


彼女と別れたおれと、三年間なにも恋愛がなかった女子Aとの男女漫才である。


これが勉強をする決意をした瞬間重荷となってのしかかってくる。


しかしこの一度きりの高校生活、部活でみじめな思いをしたままで終わらせてしまっても良いのか。


サッカー部では面白くないやつ扱いされていたが、そんなままでいいのか。


いや、だめだろう。


漫才はおれを変え得る存在。


おれにとって他の人間とは違う、深い意味を持っていた。


やるしかない。


そう思った。


毎日何度も何度も練習を繰り返す。


ツッコミフレーズのキレを磨いてゆく。


声量、言い回し、見せ方、コントの流れ。。。


まさに一世一代の大勝負。


この漫才に全てを掲げる意気込みで臨んだ。


もちろん勉強も欠かさない。


苦しい両立生活が続いた。





夏休みも、朝から晩まで勉強、時々集まって漫才練習。


遊んでいる暇はなかった。


花火大会も祭りも海も全て断った。


毎日が勉強だった。


だがセンター模試は60%ちょっと。


ひどい結果だ。


おれはもともと駿○に通っていたが、親に頼み込んで、代○ミと塾の掛け持ちをさせてもらった。



新しく入った代○ミの方での面談が始まった。


面談中、まずはじめに塾長に今から国公立は無理だとはっきり言われた。


三教科に絞って私立一本に絞るべきと。


信じたくはないが、その言葉はサッカー部の先輩よりもはるかに多くの生徒を見てきた上で培った塾長の経験をもとに放たれた、説得力のある重い言葉だった。


でもおれは曲げなかった。


国公立に行くことは決定事項だ。


そんな塾長の固定概念など変えてやると思った。


そんな静かな反発が、おれをよりやる気にさせていった。


目標は神戸大学。


できるだけ高い目標を持った。


今から5ヶ月で20%センターの得点を上げる。


ほぼ不可能に近い計算だった。


でもそんなことは気にせず勉強した。





そして9月。


文化祭が近づいてくる。


本格的に漫才を仕上げにかかる。


他の漫才師たちも完成の一歩手前まできた。


お互いにネタの見せ合いや、アドバイスの交換をして、とても仲良くなった。


みんな漫才をするだけあって、話していておもしろかったし、すごく気が合った。


リハーサルもみな意気揚々としていた。


まさにおれが求めていた空間、笑いのみで評価される場。


念入りにネタ合わせしていたおれたちは、他の漫才師たちを前にきっちりと笑いを取った。


手応えしかなかった。


他の漫才師たちも、さすがと言いたくなるほどの完成度でネタを仕上げてきた。


本番が楽しみでしかたなかった。






そしていよいよ本番当日がやってきた。


これまでにないほどの緊張。


体が火照っている。


吐き気もする。


すこぶる体調が悪い。


別に風邪をひいたわけではなかった。


あまりの緊張に、押しつぶされそうになっていたのだ。


そりゃあ体育館を貸し切っての大舞台での漫才、念入りに数ヶ月間も練習してきたネタ。


緊張しないわけがない。


朝からずっと精神統一をしていた。






プログラムが漫才大会に移ることを知らせる館内放送が鳴る。


いよいよだ。


早く終わりたい気持ちでいっぱいだった。


同時に、その状況を楽しんでいる自分もいた。


幕裏で出番を待つ。


はじめに司会が場を盛り上げる。


多くの歓声が聞こえた。


なかなかに人が集まっているのだろう。


より緊張を高めさせる。


司会の言葉が終わり、1組目のコンビの出囃子が鳴る。


コンビが幕から、覚悟を決めて、出ていく。


ウケは上々、客のノリもいい。


漫才が終わると、1組目は満足と安堵が入り混じった顔をして帰ってきた。


その後も同士であり、ライバルたちが次々と出囃子と共に出ていく。


そして次はおれたちの番。


興奮がおさまらない。


出囃子が鳴る。


低姿勢で手を叩きながら、小走りで出ていく。


客席を見ると手前から奥まで体育館いっぱいに設置された椅子が、パンパンに埋まっていた。


立ち見している人もいる。


こんなにも大勢の人間が、今、自分に注目しているのだ。


人生で初めて見る光景だった。


だが最前列で仲の良い友達が騒いでいるのが目に入ると、自然と少し落ち着いた。


「どうも〜ノーチャンスで〜す。」


この言葉から、ネタが始まる。


あとは練習通り。


最高の時間だった。


おれたちのボケとツッコミに呼応して、客が笑う。


笑いの数も、小学校時代やリハーサルの比ではない。


おれたちの声がかき消えそうになる。


負けじと声を張ってツッコミを入れる。


その時間は、あっという間だった。


拍手喝采のもと、おれたちは退場する。




残りの組も全て終了し、漫才大会はお開きとなった。


漫才大会は大成功。


みんな肩を組んではしゃいだ。


言葉にできない感動があった。


楽しかったなぁ。


今になっても、思い出すとふとそんな風に思う。







その後、文化祭を回っていると、ノーチャンスのネタが一番面白かった。と友達からも知らない人からもたくさん言われた。


○○くんて、実は面白かったんですね、とも言われた。(どれだけ面白くない印象だったんだ。)


とても嬉しい限りだを


サッカー部の、「お前おもんない」とばっかり言ってきたやつにも「○○の漫才、むっちゃ面白かったな!」と言われた。


なんちゅう手のひら返しだとも思ったが、素直に嬉しかったのでよしとした。


漫才は良い。


漫才と笑いはやはりおれの人生だった。


こうして高校生最後の文化祭は幕を閉じる。



体育祭もすでに終わり、最後の行事を終えた三年生は、あとの数ヶ月をすべて受験に費やす。


おれもまた再び、茨の道へと突き進んでいくのであった。




〜続く〜

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