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ドロシーとチェスターがホテルへ向かって全力疾走してる頃、ベティーはエリックのカフェバーで、怪我をした足の経過を看てもらっていた。ベティーの足元で立て膝をついているエリックは、傷口が化膿もせずに綺麗に塞がっているのを確認すると、スッと立ち上がり、カウンターに置いている救急箱の蓋を閉めながら言う。
「赤黒くなったハンカチを見た時はギョッとしたが、無事に治って良かった。もう、包帯を巻く必要は無い」
「ありがとう、エリック」
「どういたしまして。でも、ホントは、ちゃんとした医者に診せた方が良いんだぞ。わかってるか?」
ベティーが礼を言うと、エリックは、もう自分が医者ではないことを分からせようとした。ベティーは、それを知ってか知らずか、すぐに話題を切り替える。
「でも、あたしが怪我をしたのは、あんたが行かせたからじゃない。しかも、すべて知った上で、ドロシーを切り込み担当にするなんて」
作戦の杜撰さを指摘されたエリックは、申し訳なさそうに眉を寄せつつも、謝る一方ではなく、弁解を試みる。
「悪かったよ。こうでもしなきゃ、解決しないと思ったのさ。さすがに腹を痛めて産んだ実の娘が乗り込んで来たら、罪を認める気になるだろう? これで改心しなかったら、そいつはヒトの皮を被った悪魔だよ」
「でも、それを事前に言わなかったのは、アンフェアよ。ドロシーだけでも、ホントのことを話しておくべきだったんじゃない?」
納得できないベティーに対し、エリックは仮定法を持ち出して釈明をはかる。
「もしも前もって教えていたら、ボスを捕まえるのをためらったに決まってる。悪を悪と憎んで懲らしめようとした場合、そこに情状酌量の余地が無い方が、より対立構造が際立って迷いが無くなるんだ」
「筋は通ってそうだけど、変な論理ね。――あっ、ドロシーだ」
ハンドバッグから携帯端末のバイブ音がしたので、ベティーは中からスマホを取り出し、発信者名を確かめて呟いた。エリックは、カウンターの内側へ戻りつつ、ベティーに電話に出ることを勧める。
「出なよ。一人で寂しがってるのかもしれない」
「そうする。――どうしたの、ドロシー。誰か事務所に来たの? ……えっ? 今、ホテルに居る?」
「おいおい。事務所で留守番してたんじゃなかったのかよ」
カウンターの上に置いた救急箱をカウンターの下へしまいつつも、エリックは思わずツッコミを入れる。
「……あぁ、そうなの。ビュッフェで、食べ放題ね。まぁ、楽しんでらっしゃい。じゃあ、また明日ね」
ベティーが通話を切ると、エリックは自分のスマホをカウンターに置きながら言う。画面には、無料通話アプリのホームが表示されている。
「その様子だと、すっかり食欲も戻って元気そうだけど?」
「おかしいわね。ここへ来る前は、気だるげにソファーで横になってたのに。――あら? スマホ持ってたのね、エリック」
「誰とでも繋がってしまうのはゴメンだけど、いつでも、どこでも、好きな人と話せたら便利だと思ってさ。あの一件のとき、間に立ってるドロシーにめんどくさいって言われたのもあって、過去から逃げてばかりもいられないと思ったんだ」
そこまで言って、エリックは急に口ごもると、ベティーの手元を見つめる。ベティーは、エリックが言外に伝えんとする本音を察すると、スマホ画面を数回タップし、同じ無料通話アプリを開いた。
「教えるのは結構だけど、それ相応の覚悟で、ちゃんと向き合ってよね」
「わかってるよ。とりあえず、先に僕の方から送信するから」
「はーい。受信すればいいのね」
焼け木杭には、火が点きやすい。それから、ひと月ほど経った頃、エリックとベティーは三年ぶりのデートを楽しむのだが、その話は、また別の機会に。
関係というものは、些細なキッカケで壊れやすく、余程のアクションが起きない限り、元には戻らないもの。それでも、時間と労力をかけても修復できない関係というものは、どんな世界であっても、唯の一つも存在しない。




