015
夜間の犯罪発生件数は、昼間のそれと比べると桁違いである。所長の命もあってか、チェスターはいつも以上に気合いを入れてパトロールに当たっている。飲みすぎて起き上がれなくなっている酔っ払いを立たせて水を飲ませたり、暗がりから帰宅途中の異性をつけ回している様子のストーカーまがいに声を掛けて職務質問を試みたりと、昼間には必要ない手数をかけさせられながらも、不審な人影を見逃さず、犯罪を抑止しようとしているのである。
そこへ、陽気に調子はずれの鼻歌を歌っているドロシーが通りかかると、どうなるかといえば。
「おい、そこの歌唱力三十点の女。近隣住民の安眠妨害だから、やめたまえ」
無視するはずはなく、チェスターはドロシーを呼び止める。ドロシーは、面倒な奴と鉢合わせしたとでも言いたげな苦々しい表情になり、腹立ちまぎれに軽口を叩く。
「げっ、チェスターじゃん。こんな夜中に、何してんの? とうとう鬼嫁に追い出されたのか?」
「縁起でも無いことを言うな。俺は、夜間パトロール中だ。そういうお前は、こんな時間に、どこへ行くつもりだ?」
「どこにも行かねぇよ。家に帰るだけだ」
「なら、家の前まで送って行こう」
チェスターがドロシーの横を歩こうとすると、ドロシーは露骨に嫌がり、歩を早めながらチェスターをからかう。
「そんなこと言って、あーしを物陰に引っ張り込んで乱暴する気じゃないだろうな? この変態ムッツリ助平」
「誰が変態だ。侮辱罪で逮捕するぞ」
「出来るものなら、やってみろよ。ベーッ!」
「言ったな、この×××!」
片目の下瞼を引っ張りながら舌を出し、ドロシーが走り出すと、チェスターは眉を吊り上げ、書くに堪えない下品な用語でドロシーを罵り、目を三角にして追いかける。ネコとネズミならぬオオカミとトラの愉快な競争は、角を曲がる時にドロシーが唐突に猫騙しを繰り出したのが決め手となり、チェスターは追跡を諦めた。
「ハァー。……今度会ったら、覚えておけよ」
街灯の照らす下で上がった息を整えつつ、チェスターは雑魚キャラが口にしそうな捨て台詞を吐いた。それから、街灯に刻まれている番地から現在地を確かめ、踵を返して来た道を戻り始める。
「どうも、モンタージュの奴に似てるんだよなぁ」
走り去ったドロシーの顔を頭に浮かべながら、チェスターは、それが偶然の一致なのかどうかを再度考察し始めようとした。ところが、それを遮るように、スラックスから携帯端末のバイブ音が鳴り出す。そのリズムは、ブッブブブーンという不規則な四拍子である。
この刹那、チェスターは、パトロールで帰りが遅くなることを家に連絡し忘れたことに気付き、何か良い言い訳は無いものかと脳をフル回転させて理由を考えつつ、ポケットからスマホを取り出し、タップして通話を始めた。