014
「ごちそうさま。また明日な」
「えぇ。また明日ね、ドロシー」
「もう暗いから、気を付けて帰りなさいよ」
「わかってるって。じゃあ」
アロハシャツを羽織ったドロシーは、つやつやとした表情でアパートの玄関を出た。アパートの外は、すっかり夜の帳が下りている。
首元のゆったりしたチュニックを着たベティーは、ドロシーが忘れ物を取りに戻ってくる様子が無いのを確認してから、ドアを閉め、鍵を掛ける。それから、どこか心配そうな表情のアリーの背中にそっと手を当て、優しく囁く。
「大丈夫よ。明日には、お兄さんに会えるわ」
「そうかしら。エリックは、そんな風なことを言ってましたけど……」
「まぁ、三年前ならいざしらず。今のエリックを信用しろといっても、難しいかもね」
「そうでしょう」
アリーがウルウルと瞳を輝かせてベティーの方を見つめると、ベティーはそっと目を伏せ、在りし日を思い出しながら語る。
「そうね。でも、他人を揶揄する悪い癖がついたのは、軍医を辞めて戻って来てからで、それまでは真面目な医学生で、難病に苦しむ患者を一人でも減らしたいっていう意欲に燃える好青年だったのよ。髪も短くて、いつも石鹸の香りがしてたわ」
「えっ。エリックは、お医者さんだったんですか?」
思わぬ過去を知ったアリーが驚くと、ベティーは視線を移し、背中に置いた手を押して寝室へ誘導しながら言う。
「そのへんの話は、ベッドに入ってから話してあげるわ。これを入れた理由も含めてね。気になってたでしょ?」
「テヘッ。キレイな蝶々さんだと思って、つい、見惚れてました」
寝室へ向かいつつ、悪戯がバレたかのような表情でアリーが白状すると、ベティーは、その可愛さにフフッと笑い声をこぼしつつ、ドアを開け、部屋の四隅に置いてある間接照明のスイッチを入れて回る。すると、部屋の中央を占拠しているクイーンサイズのベッドのシルエットが浮かび上がる。
「言わなくてもそうするだろうけど、靴を脱いでベッドに上がってね」
「はい」
アリーが遠慮がちにベッドの端に座り、真新しいスニーカーを脱いでベッドに上がる。その間に、ベティーはカラーボックスの上に伏せて置いてある写真立てを手に取り、一旦、それをサイドテーブルに置いて読書灯を点け、ローファーを脱ぎ、ベッドに上がってから再び手に取ってアリーに見せる。
「これが、三年前のあたしとエリックよ」
「わぁ。カッコイイですね。それに、仲良さそう」
写真には、キツネ耳の端整な青年と、ネコ耳の幸せそうな少女が、肩を寄せ合って写っている。
「そうでしょう? ゴールイン寸前だったんだけど、このあとすぐに、エリックがカレッジの教授から軍医にならないかと打診されてね。そのことで意見が食い違って揉めに揉めて、結局、喧嘩別れになっちゃったの。それから半年くらいは親元に居たんだけど、ふと探偵事務所を開こうと思い立って、一年半ほど開業資金集めにパブで働いたの。背中のタトゥーは、その時に目立ちたくて入れたの」
「そうだったんですね。痛くなかったんですか?」
「失恋の痛みに比べれば、ずっとマシよ。――さて。疑問もスッキリしたところで、明日に備えて寝ましょう。電気、消すわよ」
ベティーは、写真立てをサイドテーブルに伏せて置くと、読書灯を消した。
夜の闇は、不安と感傷を呼び起こすもの。されど、いつまでもそこに浸ったままではいられない。この世に、明けない夜は存在しない。