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サハラ砂漠に沈む夕日

 それから、さらに旅を続けた。


 とにかくサハラ砂漠が見たいという理由だけでここに来たのだが、チュニジアという国は意外と観光資源が豊富だった。地中海に面したビーチリゾートもあるし、カルタゴなど古代遺跡も充実している。南に行けば、ベルベル人たちが暮らす穴居住居を見学することもできる。


 旅を続けるうちに、普段抱えている仕事の悩みと少し距離を置けるようになってきた。今、仕事ではどうしようもない壁にぶち当たっていた。自分自身が本当にやりたい仕事を、現在の職場はさせてくれない。こんな状態では、自分の能力を存分に発揮することもできないし、仕事にやりがいも感じない。しかし、そんな風に思い悩んでいる自分を、チュニジアの長距離バスに乗って移動している自分は、客観的な視点で冷静に眺めている。


 車窓の風景は、小一時間、ひたすら乾いた大地が続いていた。

 いよいよ、最終目的地のサハラ砂漠に向かう。


 バスと乗合タクシーを乗り継いで、やっとドゥーズに到着した。サハラ砂漠への玄関口となっている小さな街だ。もともとはオアシスに作られた交易の中継都市で、現在は砂漠観光の拠点となっている。同じタクシーに乗っていた他の乗客たちはみんな地元の人のようで、車を降りるとすぐに方々へ去って行ってしまった。僕だけが、殺風景な街中に取り残された。それにしても暑い。暑すぎる。汗がどっと溢れ出てきた。砂漠のすぐ近くだから仕方ないのだが、視界全体が波打つくらいに暑い。太陽光が強烈すぎて、光のくせに顔や腕の皮膚に突き刺さり、それらの痛覚を刺激する。街の中心部のはずなのに、ここは廃墟かと思えるくらいに人もいない。こんなに暑いのだから当然だ。外にいるだけで体力を消耗するだろうから、むやみに出かけるような輩はこの街には存在しない。

 街の中にも、砂漠の砂が積もったところがいくつもあり、何よりも、すぐ目の前に見渡す限り、砂の世界が広がっている。これが世界最大の砂漠、サハラだ。一般的には砂漠と言ってもゴツゴツした岩山が連なっていることが多いが、ここの砂漠は本当に砂だけで構成されている。ますます胸が高ぶってくる。


 街の中心部からは少し離れたホテルにチェックインした。ホテルの前にはナツメヤシの林が広がっていた。この辺のホテルはすべて、この林を取り囲むように建てられている。ヨーロッパからやってくる上客目当ての高級ホテル群だ。街の中心部には安宿も点在していたが、この暑さの中でエアコンのない部屋は耐えられそうにない。まあ、一応社会人なのだから、一晩くらいは贅沢しても許されるであろう。部屋にはダブルサイズのベッドがあり、さらに壁の窪んだニッチのような空間にもう一つ、小さな寝床があった。召使い用の寝床なのかもしれない。さすがは高級ホテルだ。このニッチの寝床を利用すれば、この部屋には三人で泊まることができる。ただ、三人旅の場合、誰がニッチで寝るのかでちょっとしたバトルが勃発する可能性が高い。

 部屋の窓を開けると、目の前に塀があり、その向こうには砂漠が広がっていた。今回の旅で一番見たかった景色だ。気分が高揚してきたから、少しホテルの外を散策してみることにした。相変わらず、外には人がいない。そう言えば、ホテルの中でも受付以外で人を見かけることはなかった。チュニスの賑わいとは大違いである。

 人がいないのは、この常軌を逸した気温の所為である。少し歩くだけでも、真上から太陽が攻撃してくる。やっぱり暑すぎる。日本でも最近は異常気象とやらで記録的な猛暑と大騒ぎしているが、こちらの気温は五十度に達することもあるらしく、四十度越えは日常茶飯事である。少し歩くだけで、頭がくらくらしてきた。


 ホテルのすぐ近くに、サハラ砂漠に続く道があった。塀と塀に囲まれた小道を進むと、目の前に、見渡す限り砂に覆われた世界が出現した。広大な砂漠、そこには、たくさんのラクダたちが休憩していた。ざっと百頭はいる。圧巻だ。背中のコブには椅子が取り付けられて、観光客が来るのを待っていた。ラクダたちの多くは膝を曲げて座っており、みんな滅多に動かない。たまに口をモゴモゴさせているくらいだ。ここに生きる者たちは、人間だけでなく、動物もまた、無駄な体力の消費が身を危険にさらすことに気づいているのであろう。ラクダたちは、ロープで繋がれているわけでもないのに、逃亡を企てる者はいない。この場を離れて何もない砂漠で自由に生きる方が格好良いと考えるのは、温室で平和ボケしてきた甘い人間だけである。自由に生きるということはいつも危険と隣り合わせに生きることなので、不自由な道を選ぶ方が安全で幸せな場合もあるのだ。

 早速、ラクダの背中に乗ってサハラ砂漠に繰り出したかったが、ラクダたちを管理しているはずの人間の姿はどこにもなかった。ここでは、すべての商売はもう少し日が陰ってきてから始まるらしい。せっかく旅行に来ているのに、何もすることがない。しかし、これだけ暑いと、それも仕方がない。


 何もすることがないので、仕方なくホテルの部屋に戻った。さっきエアコンの電源をつけておいたので、部屋はギンギンに冷えていた。シャワーを浴びて、ベッドで少し横になった。夕方になるまで昼寝して待つことにした。


 エアコンの涼しげな風、あまりの心地よさにすぐに熟睡した。


 普段はなかなか寝付けないのに、旅の間は目を瞑るとすぐに眠ることができる。ラクダが一頭、ラクダが二頭、なんて数える間もなく、いつの間にか夢の中にいた。夢の中では、旅の続きを楽しんでいることもあるし、普段の仕事に舞い戻って苦しんでいることもある。旅が進むに連れて、夢の中でもテーマが旅であることが多くなってくる。


 深い眠りに入っていたから、何の夢を見ていたのか、はっきりとは覚えていない。しかし、何となく楽しい気分で、「まだまだ時間があるからゆっくりできる」とどこかの街を散策していたような気がする。まだまだ時間がある、そう思いながら、ハッと我に返った。本当に時間があるのか、冷静にそう疑ったところで目が覚めた。夕方になるまでの間、ちょっと昼寝をしただけなのに、本当に熟睡してしまっていた。せっかくここまで来たのに、お昼寝で寝坊してサハラ砂漠に沈む夕日を見損なったら、一生後悔の念に苛まれるであろう。

 慌てて飛び起きて窓の外を見てみると、すでに日が陰り始めていた。塀の向こうの砂漠には、観光客を乗せた大勢のラクダたちが一列になって前進している。僕もカメラをリュックに詰め込んで、急いで外に出てみた。真昼と比べると、気温も下がってきている。

 さっきラクダたちが待機していたところに行ってみると、すでにラクダはみんな出払っていた。さっきまであんなにたくさんのラクダがいたのに、さっきまで観光客は本当に誰もいなかったのに、サハラ砂漠の入口で僕だけが一人取り残されてしまった。絶望的である。地平線の手前には、ラクダの列の最後尾がかすかに見える。ラクダの背中で揺られながら砂漠を進む、日本やヨーロッパでは普段できない貴重な体験だ。他の観光客たちが羨ましかった。彼らはこれから、あの地平線の向こうで、雄大な景色を楽しむのだ。友人、恋人、家族、それぞれ大切な人たちとその景色を共有するのだ。そう思うと、一人旅で、しかもラクダにも乗ることができない自分が急に哀れになった。孤独だ。こんな孤独を再確認するために、旅をしているわけではないのに。

 辺りを見渡してみると、僕と同じように絶望的な馬が一頭、悲しそうに佇んでいた。せっかく観光客を乗せるための馬車に繋がれて準備万端なのに、今日は残念ながら売れ残ってしまったようだ。今日は観光客もすべて出払ったと判断されたのだろうか、近くに馬の飼い主の姿もなかった。繋がれたまま取り残された馬。遠くで働くラクダたちを眺めながら、ただそこで呆然と立ち尽くしていた。絶望人間と絶望馬、何となく親近感が湧いてきたが、どうすることもできない。

 しばらくその馬を見つめていると、遠くから少年が走ってきてくれた。まだ十代前半くらいの少年だ。彼が、売れ残っていたこの馬の飼い主らしい。


「この馬車に乗れるかい?」

 僕は英語で尋ねてみた。すると少年は無言で、しかし口角を上げて首を横に傾げた。

 値段交渉をしてみると、肩透かしを食らったように安かった。ラクダに乗るつもりで相場を調べてきたのだけれど、それと比べると安すぎる。僕はこの馬車を逃すと砂漠に繰り出すことができないし、彼も僕を逃すともう観光客は来ないだろうから今日の売り上げがなくなってしまうだろう。お互いがお互いの足元を見放題なのに、最初から低い料金設定だったので、商談はあっさりと成立した。

 僕は馬車の座席に座り、少年は馬の背中に跨がった。いよいよ、夕日を見る旅に出発である。ラクダに乗ることができなかったのは少し心残りだが、それでも、僕のために働いてくれる少年と馬のおかげで、僕の孤独感は少し薄らいできた。


 少年は無口だった。どうも英語が話せないみたいだ。しかし、後ろにいる僕のことはしっかりと気にかけてくれていた。僕がカメラのファインダーを覗いていると、彼はすぐに馬車を停めてくれた。写真を撮り終えて、「OK」と言うと、彼は首を横に傾げて、また馬車を前進させた。


 四方八方、どこを見ても絵になる。砂漠とラクダだけなのに、目に入る風景すべてが魅力的で、いっぱい写真を撮りたくなる。僕は、つい何度もカメラを構えた。この広大な景色を見た感動の一部だけでも日本に持って帰りたくて、写真を撮りまくった。僕が写真を撮る度に少年は、申し訳ないくらい小刻みに、馬車を停止させてくれた。

 値段交渉をしていた時の少年は一応商売相手なのでこちらも身構えていたが、しばらく一緒にいると、彼が観光客を騙してやろうとする輩とは全く違うことが分かってくる。それどころか、僕が旅に満足できるように、最高の写真を撮れるように、精一杯頑張ってくれている。

 ふと見渡してみると、ラクダに乗っている観光客たちは、大きく揺れるラクダの背中にしがみついているだけで、なかなか写真を撮る余裕はなさそうだった。あの揺れの中でピントの合った写真を撮影することは至難の技だ。ラクダにはラクダの良さがあると思うが、写真撮影という目的では馬車を選んで正解だった。

 とは言っても、砂漠ツアーでは馬車よりラクダの方が、当然人気がある。ラクダ使いは、言わば花形職業だ。そんな世界では、馬車しか操れない少年は周囲から低く見られているのかもしれない。本心を言えば、砂漠でラクダを引っ張ったり馬に鞭打ったりしているだけの彼らよりも、日本の企業で働く自分の方が立派だと思っていた。しかし、彼の仕事に対する真摯な態度を見ると、彼の方がよっぽど崇高であると感じてきた。


 徐々に涼しくなってきた。まだ空は青いが、太陽の位置も大分低くなってきた。馬車の歩みはゆっくりだが、いつの間にか出発地点は遥か向こうに遠ざかっていた。ラクダで先行していた他の観光客たちも、思い思いの場所でラクダを降りて、それぞれの時間を過ごしている。

 そんな中、地平線の向こうを目指して、ひたすら突き進んでいる者もいる。ただ、地平線を越えたと思っても、そこは単なる砂丘の頂上で、その向こうにはさらなる砂漠が広がっている。地平線もその奥に移動してしまう。

 みんな、夕日が沈むのを待っているのだが、ここではある特定の一点のみが夕日の絶景スポットというわけではない。どこにいても、同じ景色を堪能できる。みんな平等だ。さっきまで、ラクダに乗れなかったことで一人出遅れた感があったが、追いついた。いや、綺麗な写真をいっぱい撮ることができたのだから、追い越せた。


 旅は五感で感じ取ることができる。確かに写真を見れば、その土地の風景というものはある程度知ることができる。しかし、実際に訪れると、視覚以外の感覚もフルに活用できる。触覚、砂はサラサラだ。聴覚、砂を運ぶ風の音だけが聞こえる。嗅覚、何も臭わない。どうしてあの香水はヘアトニックの匂いがしたのだろうか。サハラの香りなんてものはサハラには存在しない。味覚、風で飛んできた砂が口に入るとジャリジャリする、不快なだけで特に味はしない。こういうことは、実際に旅した者にしか分からないことである。


 夕日まではもう少し時間があったので、僕は持ってきていた空のペットボトルをリュックから取り出した。そして、その中に、サハラ砂漠の砂を詰め始めた。砂粒はとても細かく、砂の中には空気も多く含まれていた。満タンになっても、ペットボトルの底をトントンと地面で叩いてみると、空気が抜けて容積が減り、さらに砂を入れることができた。この砂を、僕は日本に持って帰る。その姿を見ていた他の観光客たちも、ペットボトルなどを取り出してきて、同じように砂を詰め始めた。世界各国からやってきた観光客たちが、それぞれの国にこの砂を持って帰るのである。なんか、砂を通じて世界が繋がっているような感じがした。


 太陽はさらに低くなり、天空を赤く染める。地平線を這うように連なるラクダたちのシルエット。自分を中心に全方向に広がる広大な砂漠。雲ひとつない大空。砂漠と空、それにラクダ少々、たったそれだけの構成物。巨石と白砂利だけの枯山水よりもさらにシンプルだ。目に映るものが騒々しいと心の中も騒々しくなるが、こんな景色を眺めていると、心の中まで静寂に包まれてくる。仕事とかストレスとか、そういうくだらない些細なことから解放された世界だ。


 太陽が地平線の下に沈むと、空は徐々に赤みを失い、濃紺、そして漆黒へと色調を変化させていく。暗くなると、周りにいた観光客たちも引き上げ始めた。僕が辺りを見渡していると、少し離れたところで待機していた少年がこちらに来てくれた。


「OK?」少年が尋ねた。

「OK」僕が答えた。壮大な景色が心を浄化してくれた。十分に満足できた。


 すると、少年はズボンのポケットから、手のひらに収まるような小さな結晶を取り出した。褐色の結晶で、平たい結晶が幾重にも重なって花びらのような形をしている。「砂漠の薔薇」と呼ばれる鉱物で、石膏などの化学成分が砂の中で結晶化して出来上がったものだ。サハラ砂漠はその世界的な産地なので、街の土産屋でもよく見かけていた。

 少年はその砂漠の薔薇を僕に手渡してくれた。「この辺りで採れるものだよ」と、彼は説明した。もちろんフランス語だが、ジェスチャーも交えてくれたので、何となく意味が分かった。花びらとなる結晶の一枚一枚が少し大きめで、本当の薔薇の花のようだ。土産屋で売られていたものより美しい形をしている。とても気に入った。彼の砂漠の薔薇が欲しくなった。元々お土産として一つ買いたいと考えていたので、僕はその値段を聞いてみた。すると、彼は「プレゼントだ」と然り気なく言った。素直に、僕はとても嬉しかった。

 もらった砂漠の薔薇をリュックに仕舞い込み、再び馬車に乗った。少年は馬に軽く合図して、馬車を進めた。


 辺りはすっかり暗くなった。街が近づいてくると、枯れ果てたナツメヤシが数十数百という単位で地面から無造作に突き出ている。現代の芸術家が何かの意図を持って作り上げたオブジェのようで、まるでアート作品の中に自分自身が入ってしまったような感覚だ。昔はこの辺りまでオアシスだったのだろう。大地が干上がると、こんなに悲しげな世界に変わり果てるのだ。


 馬車を操る少年の後ろ姿を見ながら、リュックに仕舞った砂漠の薔薇のことを思い出した。ちっぽけな僕は、自分がしたくない仕事をする羽目になったから、仕事に対する意欲もなくなっていた。サハラ砂漠で夕日を見て気分をリフレッシュしようとは思ったが、それでも多分、やる気なし人間のまま職場に戻ることになるだろうと危惧していた。僕がもし少年の立場だったら、ラクダ使いになりたかったのに馬車しか与えられず、もう人生やる気がなくなったと愚痴を溢すだけの退屈な一生を送っていただろう。それなのに彼は、まだ若いのに、自分に与えられた立場をチャンスと捉え、エキサイティングな仕事をしているのである。馬車なら、満足できるまでとことん砂漠の写真を撮ることができるし、自分のペースで止まったり進んだりすることができる、砂漠の薔薇というお土産もプレゼントしてもらえて、ラクダに乗るよりずっと良かった。そんな風に出会った観光客に感じさせる仕事を、この少年はしているのだ。僕の方が大人なのに、仕事に対する姿勢というものを勉強させていただいた。


 少年と別れて、ホテルに戻った。昼間は観光客が全くいなかったのに、ロビーもレストランも大勢の白人たちで賑わっていた。夜なので寒くなってきているのに、何故か中庭のプールに入っている人も大勢いた。彼らはラクダに乗って砂漠に繰り出し、一足早く帰ってきていたのだろう。しかしもう、彼らがラクダに乗っていたことを羨ましく思うことはなかった。僕の方が有意義な時間を過ごしてきたと、今なら胸を張って言える。


 しばらくしてチュニスに戻り、あっという間に旅の全日程が終了した。


 旅の終わり、帰りの飛行機ではいつも爽快だ。旅を振り返ると、思わず顔が綻びる。メディナを彷徨い、サハラ砂漠に沈む夕日を見て、仕事に真摯な少年とも出会った。貴重な体験をいっぱいさせていただいた。飛行機の座席も、行きと同じはずなのに、何故だか心地よい。ノートパソコンを開いて、旅行中に撮影した写真を整理したり、ガイドブックを読み直したり。リュックの中に仕舞い込んだ砂漠の薔薇をそっと取り出して眺めたりもする。行って本当に良かった。


 そうして再び、日常生活に戻っていく。同じ仕事でも、旅する前より断然楽しく感じる。仕事には当然しんどいこと、嫌なこともあるけれど、工夫して頑張ってみようと思えるようになった。やる気が漲っている。早速、サハラ砂漠の効能が現れてきたようだ。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

チュニジアやそれ以外の外国を旅する前に読んでほしい物語にしました。

ご感想などを聞かせていただければ、とても嬉しいです。

今後の励みとさせていただきます。

評価などもいただければ幸いです。

今後もよろしくお願いいたします。

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