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チュニスの旧市街を彷徨う

 旅の始まり、行きの飛行機の中ではいつも憂鬱だ。初めて訪れる国に対する不安、一人旅の孤独、座席は窓側でも通路側でも感じる何らかの後悔、前日までの仕事の疲れ。


 とにかく、サハラ砂漠に沈む夕日が見てみたかった。


 それだけが目的で、チュニジアに行くことにした。地中海に面した北アフリカの国で、南にはサハラ砂漠が広がっている。アフリカ大陸で、国民の多くがイスラム教を信仰している。日本とはあらゆる点で異なった国だ。しかし、日頃の生活から解放されるためには、地理的にも文化的にも、このくらい離れた国の方がいい。いつも旅の目的地を思案するとき、そんな風にして決めていたので、次第に辺境の国ばかりを目指すようになっていた。友人たちからは「それ、どこの国?」と毎回尋ねられてしまう。


 パリを経由して、チュニジアの首都チュニスに向かう。まず、日本からパリまで十二時間もかかる。半日ずっと狭い座席で拘束されることになる。何度も出てくる機内食、次第にビーフでもチキンでもどちらでも良くなってくる。旅している間は、せっかく仕事を離れてリラックスできる時間なのに、機内ではまだまだ頭の中には仕事の残像が残り、精一杯旅を楽しもうという気持ちになれていない。もったいないけれど、そんな状態で今回も旅が始まった。


 パリを出発して二時間半、やっとチュニスに到着した。


 ホテルの部屋に荷物を置いて、まだ外が明るかったので、早速街を散策することにした。

 街の雰囲気は、意外に西洋的である。確かに地中海を挟んですぐ向かいがイタリアなのだが、ここもまるでヨーロッパの一部みたいで、アフリカだということを忘れてしまいそうになる。

 街の中央を横切るハビブ・ブルギバ通りはフランス統治時代の面影を色濃く残し、両脇にはお洒落なオープンカフェが並んでいる。テラス席を占拠しているのが髭面の男ばかりというのはイスラム世界独特の光景だが、店の中に入ってみると、コーヒーを飲みながらおしゃべりに夢中な女性たちの姿もあった。店内の装飾はアール・デコ様式でとても洗練されている。


 店の一番奥まった席に座り、しばらく店内を観察していると、ウエーターがこちらに気付いてくれた。

「ボンジュール、ムッシュー」

 チュニジアでは、外国人だと分かるとフランス語で話しかけてきてくれる。もちろん彼らの親切心からだ。言葉の意味を理解できない僕には耳を優しく撫でる単なる旋律にしか聞こえないが、彼らは別にパリジャンっぽく気取っているわけではない。彼らの母国語はアラビア語、第一外国語はフランスの植民地だったこともありフランス語、英語は第二外国語以下の扱いだ。日本でも第二外国語を自在に操る人は少数派だし、チュニジアで英語が通じないのは仕方のないことである。フランス語ならけっこう通じるというのは、僕にとっては無意味だが、本当は有難いことなのだ。

 ウエーターはメニューを見せてくれた。メニューはすべてアラビア語で書かれているが、その下に丁寧にフランス語訳も書かれていた。もちろんどちらも全く読めない。しかし、メニューから選んだような顔をしながら、とりあえず、

「ミントティー、シルブプレ」と注文した。

 英語半分、フランス語半分。アラビア語が母国語の彼らには申し訳ないが、僕の語学力ではこれで精一杯だった。

「ウイ、ムッシュー」

 ウエーターは首を軽く横に傾げた。これはこちらでは「了解」という意味のジェスチャーだ。何とか通じてくれた。


 チュニジアは、アルジェリア、モロッコと共にマグレブ諸国と呼ばれている。日が没する地域という意味だそうだ。日出ずる国と呼ばれる日本とはちょうど真反対である。このことは、今回の旅先を決める際にはあまり気にしていなかったが、日が没する国で日が没するところを見たいと思ったのは、単なる偶然ではないのかもしれない。仕事に行き詰まった僕がこの国にやってきたのは、実はとても大切な意味があり、きっと僕の人生を大きく変えてくれるはずなのだ。そう期待した。


 しばらくして、ウエーターがミントティーを運んできてくれた。


 マグレブ諸国のミントティーは、紅茶の中にミントの葉が葉っぱのままでたっぷりと入っている。ついでに砂糖も溶解度ギリギリまで入っている。一口飲むと、口の中でミントの爽やかさと砂糖の甘ったるさが見事に調和する。これは、砂漠という過酷な環境の中で生き抜いてきた彼らの知恵の結集なのだ。灼熱の砂漠では、ミントが暑さを忘れさせて、砂糖が体力を回復させる。ノンシュガーなどという選択肢はここにはない。そんなリクエストをすると、きっと「砂漠で死ぬぞ」と笑われるであろう。


 日本でも、生活圏内にカフェはいくつかあるし、たまに入ることもある。しかし、カフェにいてもノートパソコンを開けて仕事の続きをしたり、スマホを意味なくいじったりしてしまう。そういうことをしているから、せっかくカフェに入ってもリフレッシュできないのだ。それはよく分かっているのだが、それなのにやめられない。


 だから、たまに外国に来るとほっとする。


 人生いろいろあった。大学受験に失敗したり、失恋したり、仕事でミスをしたり、しかし、そういういろいろな局面で、とりあえず外国に旅に出て気分転換をしてきた。僕にとって、旅とはそういうものなのだ。そして今まで、結果的には、まあまあ卒なくやってきた。


 外国では、何気ないカフェに入るだけでもほっとする。不思議だが、明らかに日本のカフェとは違う。


 ミントの葉っぱは食べてしまわないように避けながら、甘い紅茶を啜る。それでも口いっぱいに広がるミントの香り。


 なんかチュニジア人になった気分だなぁ。そう思いながらミントティーを飲んでいたが、周りをよく見渡してみると、地元の客たちは誰もミントティーなど注文していない。みんな、普通にカフェオレやカプチーノを飲んでいた。確かに、彼らにとってはこれが日常なのだから仕方がない。彼らも現代の日本人と同様に、ヨーロピアンスタイルで生きる人々なのだ。日本人も普段、喫茶店で抹茶を注文しないのだから、彼らに対してとやかく言う筋合いはない。


 カフェを出て、さらにハビブ・ブルギバ通りを散策した。ハビブ・ブルギバ通りは途中、フランス通りと名前を替え、さらに西に続く。


 通りの西の果てに、フランス門と呼ばれる凱旋門のような門がある。ここから先がメディナ、つまり旧市街だ。かつてはメディナ全体が城壁に覆われていて、フランス門も城壁の一つの門だったそうだが、今では城壁は取り壊され、門だけがポツンと残っている。


 フランス門をくぐってメディナに入る。道は急に狭くなり、曲りくねっている。道の両脇には様々な商店が並んでいて、店から溢れ出た商品がさらに道を狭くしている。すべての道が複雑に入り組んでいる、まさに迷路だ。ただ、この迷路には明確なゴールはなく、道に迷うのも恥ずかしいことではない。むしろ、道に迷うことは楽しいことなのだ。

 メディナの中央には、グランド・モスクがある。チュニス随一の巨大なモスクで、立派なミナレットもそびえ立っているが、地上の迷路からは全く姿が見えない。とりあえずグランド・モスクに行こうとしても、道が真っ直ぐでないから正しいルートがどれなのかはよく分からない。地図を開いても解決できる問題ではなさそうだ。それなのに、メディナの曲がりくねった道々は、どこを彷徨い歩いても何故か、結局はグランド・モスクにたどり着く。摩訶不思議な空間だ。

 初めての街を歩くことには、もちろん不安も付き纏う。こんな迷路のような街では尚更だ。しかし、歩いているうちに、不安は快感へと変化していく。どこに向かうのかが全く分からない道を恐る恐る歩いていたから不安だったのだ。しかし、「とりあえず進めばグランド・モスクにたどり着く」という、ちょっとしたルールを発見すると、知らない小径にも安心して侵入することができる。新しい道を適当に進む、いつの間にかグランド・モスクに戻ってくる。モスクの前にある階段で腰掛けて、ミネラルウォーターを飲みながら少し休憩をする。再び、違う道を歩いてみる。しばらくすると、またグランド・モスクに戻ってくる。そんなことを繰り返しているうちに、脳内は快楽物質で満たされ、旅の楽しさを再認識する。こういう快感が心地いいから、旅に出るときはいつも、行ったことのない新しい国を選んできた。周りの人からは、行った国の数を増やしたいだけと思われることもあるが、それだけが理由ではない。


 メディナを彷徨う。次第に、日常の行き詰まりから解放されていく。


 人生で歩む道も、メディナのような迷路だ。どの道を選ぶのが正解なのかは分からない。先が見えないから不安だ。間違えた道を進み、後悔することもある。正しい道を進み、それでも他の道の方がより正しかったのではないかと疑念を抱くこともある。しかし、一つの道を選択すると、そこでしか見ることのできない風景と出会える。その道が正しくても間違えていても、その道を通らなければ見ることのできない風景だ。その風景は、その時の自分にとっては何の役にも立たない風景かもしれないが、もしかしたら、後の人生で大きな意味をもたらすかもしれない。そういう経験の積み重ねが人生の財産となっていくのだ。そして、どんな道を選択しても、それで曲がりくねった道をうねうね歩いても、結局はグランド・モスクのような一つの場所にたどり着くのだ。さっき選んだ道が間違えていると思ったり、物足りないと感じたりしたら、もう一度、違う道を歩いてみたら良いだけの話だ。不安を背負って歩いたから成功に近づくという保証はない。快感を伴って歩いたから失敗するということでもない。逆もまた然りである。


 メディナには、もう一つルールがある。

 メディナには様々な商店が軒を連ねて渾渾沌沌としているが、実は同じ業種の店は同じエリアに集中している。香辛料の店、衣料品の店、革製品の店、貴金属の店、云々。


 中でも香水を扱う店は、グランド・モスク周辺に集まっている。かつて、香水は神に通じる神聖なものであったからだ。香料の歴史を紐解くと、お香を焚いて出てきた煙から始まる。宗教儀式で用いられた神聖なものであったし、煙が天に舞い上がる様が神を連想させたということも容易に想像できる。

 店先に並べられた小瓶には色とりどりの香水が入れられている。

 香水屋の店主は、観光客を見つけると、香水にライターの火を近づけてみせる。火はつかない。

「うちの香水は、化学薬品ではなく天然物だから火がつかないんだよ。どうだい、すごいだろう。ベリーグッドだよ」

 火がついたら迫力があるのに、火がつかないことを誇らしげにされても、僕は「ふーん」程度の反応しか見せることができない。それに、もともと香水にも興味がなかった。しかし、反応の薄い僕に対して、彼が怯むことはない。商人魂だ。今度は、次々と香水瓶の蓋を開けて、僕に匂いを嗅がせてくれた。ジャスミンの香り、レモンの香り、バラの香り。いろんな香りがある。シャネルの五番なんて香りもあった。絶対シャネルの許可は取ってなさそうだが、何となく上品な女性の香りがする、ような気もする。矢継ぎ早にいろいろな匂いを嗅がせてくれるので、次第に嗅覚は麻痺してきた。何が何だか分からなくなってくる。最後に、茶褐色の香水を嗅がせてくれた。ヘアトニックのような強烈な匂いがする。麻痺した鼻にもしっかりと入ってくる匂いだ。刺激が強すぎて、匂いはいつまでも鼻の中で留まっている。

「これは何の匂い?」興味はないのだが、一応尋ねてみた。

「これは、『サハラの香り』だ」店主はさらりと答えた。

 砂漠に匂いなんてあるのか。そう思ったが、「サハラの香り」という言葉の響きは格好良かった。匂いも好きな匂いではなかったが、言葉に惹かれて一瓶購入してしまった。


 メディナの散策は面白い。地元の人たちとのちょっとしたやりとりも面白い。

 さらに散策を続けた。


 現在貴金属の店が立ち並ぶエリアは、十八世紀までは奴隷を売買するための市場だったらしい。今となっては、そのことを伝えるものは何も残っていない。立ち並んでいる店舗のショーケースには、眩いばかりの貴金属が陳列されており、何事もなかったかのように、現在も平然と商売が続けられている。「ここのラーメン屋、昔はコンビニだったらしいよ」くらいの感覚なのだろうか。そう思うと身震いする。ここで、何人もの奴隷たちが鎖に繋がれ、値段をつけられ、お買い上げされていったのだ。売れ残って衰弱し、そのまま死んでいった者もいただろう。彼らの怨霊が今でもこの辺を浮遊しているように思える。それなのに、不気味なほどに誰も何も気にしていない。観光客たちは通り過ぎ、店の人たちは商売を続けている。僕だけがここに立ち止まり、かつての悲惨な光景に思いを馳せていた。店をぼんやり眺めていると、僕のことを宝石に興味がある客だと勘違いした店主が、ショーケースから様々な宝石を取り出してきて、僕に説明を始めた。僕はとっさに「ノーサンキュー」と英語で伝えてその場を後にした。


 メディナの中は、小径の多くが屋根に覆われているので、昼でも少し薄暗い。午前なのか午後なのか、晴れなのか雨なのか、どうでもいい。ここは、時間も天候も関係のない世界だ。一応ここにもカフェがある。ただ、新市街のヨーロピアンスタイルのカフェとは雰囲気が異なる。客のほとんどは地元の男性で、みんな水煙草のパイプを咥えている。一口吸ってしばらく肺で煙を循環させて、恍惚とした表情で鼻から煙を排出している。通りの方をぼんやり眺めているようにも見えるが、珍しい東洋人の旅行者が前を横切っても、誰も気には留めていない。彼らにとって煙の外は管轄外だ。空間ですら関係のない世界に存在しているのだ。


 十分にメディナを満喫した後、フランス門をくぐって新市街に戻ってきた。少し日は陰ってきたが、それでもメディナの中よりは明るい。同じ街なのに、フランス門のこちら側と向こう側では全く様相が異なる。


 アッラーフ・アクバル。


 夕方になり、辺りにアザーンが響き渡った。これからモスクでは礼拝が始まる。人々は神に祈りを捧げ、一日が終わりを告げる。地元の人々にとっては何気ない日常の一日、僕にとっては新鮮で充実した一日。


 一日メディナを彷徨っただけでも、僕の心は、少しは軽やかになってきた。

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