2150年 7月15日-6
「──で、どうですか? 作動不良や違和感などはありませんか?」
そう聞かれたので、柊人は「特にありません」と反射的に答えた。
防衛連合国即応起動連隊の、前線基地、その兵舎前。柊人とアリサが立っているのは、その場所だった。
アリサが何か質問をかけ、柊人がそれに応える。そんなやりとりは、かれこれ十分ほど続いていた。何をそこまで質問することがあるのか、という感じではあるが、それは仕方のないことなのだろう。
柊人が身につけているのは、最新鋭の、まだまだ研究の進んでいる兵器なのだから。
フルフェイスの、バイザー付きヘルメットに、全身をすっぽりと包む金属装甲。見ようによっては特撮ヒーローにも、中世の騎士のようにも見えるそれは、戦争のための道具である。
シリウム合金。それは、そう呼ばれている合金の装甲だった。尤も、本来金属の生成には使わないような素材を多数含んでいるために、その性質は金属とは少し異なるのだが。
シリウム合金は、耐久性が高く、また、いくつもの層が折り重なって構成されている。その層構造は、最深の層まで熱が行き届かないようにするためのものだ。
しかしこれは、あくまでも周辺環境に適合するための設計でしかなく、火炎放射器などの攻撃を装甲で防ぐことはできない。防弾性能はクラスIIIで、小銃弾への対応は万全だし、虫型の放つ酸性毒を無効化できるが、そのような絡め手には対応していないのだ。
「ええと、では、ちょっと起動してみてもらえますか?」
起動。その言葉の意味を、柊人はあらかじめ聞いて知っていた。
無言でそれを承諾すると、彼は首筋、脊髄の辺りに取り付けられたスイッチを押し込んだ。
──と、次の瞬間。柊人の視界に映るすべてのものの動きがスローになり、やがて、元の状態に戻った。
そしてその時。彼はただの人間であることをやめた。
「はい、それじゃ、しばらく私を見つめててください」
そう言われ、柊人はアリサへと視線を向けた。
「見てます」
バイザー越しでは視線の方向など分かるまい。それを察し、彼は合図を出した。
すると、アリサはそれに応えるように、右腕を空へと掲げる。
──その刹那。彼女が腕を動かす直前。彼の目には確かに映っていた。
腕の動く方向を示す、緑色のラインが。
その後、彼女は腕を下ろし(この時にも緑色のラインは見えた)、彼の方向へと突進してきた。
瞬間、柊人の視界に、アリサから自身の胴体へと伸びるラインが表示された。それは、このまま突進が敢行されれば、真っ先に攻撃が命中するであろう箇所だった。
「おっとっと」
声をもらしつつ勢いを殺すと、アリサは再び、柊人と距離をとった。
「問題なく起動しています。違和感もありません」
そこで、彼はそう発言した。
確かに問題はない。柊人は、自分の身の上に鎧を着込んでいるというのに、まるで生身のような感覚で体を動かせているのだ。
しかし。彼の言う「違和感がない」は、欺瞞であった。
違和感。彼が感じていたのは、そんな漠然とした形容詞では表しきれない、具体的な異常だった。
それでもそれを糾弾しなかったのは、その異常がBAPではなく、自分の脳に発生しているからだ。
『水無月さんの適合指数は平均値を遥かに上回っていた。──違和感がない、ってどういうこと?』
──聞こえるのだ。僅かにノイズを伴った、そんな声が。
それは、間違いなく、彼の眼前に居るアリサ技術少尉の声、言葉だ。しかし、彼女の口は動いていない。その声を作り出しているのは、柊人自身の脳に他ならない。
「これ」は何なのだろう? 妄想だろうか。しかし、彼は「適合指数」なる単語を知らない筈だ。知らないものを、完全に、妄想で作り出すことはできない。
(まるで──)
考えかけ、彼は慌てて思考を中断した。
生まれかけた思考は、あまりにも突飛で、その上、現実味がないものだった。考えることすら、戦場というこの場では憚られるような。
彼は、こう考えかけていた。「まるで、心を呼んでいるようだ」と。
「違和感、ホントに無いんですか? どんな些細なことでもいいんです」
そう言われ、柊人はハッとして現実に引き戻された。今度のそれは、間違いなく現実の声だった。
「違和感、ですか。──それって、BAPじゃなく……」
──と、次の瞬間。柊人の言葉に被せるようにして、一つの言葉が響いた。
『あれは……背丈が小さいな。日本人の青年か? 階級は一等兵──いや、上等兵だろう。あれを仕留めるのは……骨が折れそうだな』
柊人はびくりとしたが、直ぐに平静になる。今のは誰かの「声」だ。声には必ず発信者が存在する。
彼は、彼女に気取られない程度に視線を動かし、索敵を始めた。幸いなことに、柊人の視線はバイザーが完全に隠してくれる。声の発信者にも、アリサにも、この索敵は気付かれない。
(何処だ──)
兵舎の入り口ではない。そこに人影は見えない。
『しかし、その隣に居る技術尉官は大丈夫だろう。──あれを殺せばデカい武勲だ。今の時代、技術が全てを決定する』
その言葉が響くのと、柊人が声の発信者の場所を特定したのは、同時だった。
前線基地を囲むフェンスの向こう。有刺鉄線の間隙に見える小高い丘の頂上に、そいつは立っている。
「そいつ」は、赤い髪の男だった。それも、高身長で筋肉質である。無骨なゴーグルを装着しており、黒っぽい、軍服らしきものを着込んでいるので、軍人であることは分かった。──見ると、その手には、単純なデザインのライフルが握られている。柊人は前に、それをどこかのスパイ映画で見たことがあった。
アーマライトAR-7。水に浮くという、折りたためるスナイパーライフルである。
その銃口は、真っ直ぐ彼らへと向いていた。いや、こちら、という言葉は正確ではない。
──その銃口は、アリサへと向いている。
「アリサ技術少尉」
柊人は、そんなスナイパーライフルの射線の前に、悠然と立ちはだかった。そして、早口で彼女に言う。
「兵舎の中に隠れていてください。──敵が、向こうに居る」
発音と同時、柊人は、手元のアサルトライフルを定位置に構えて発砲した。プロテクターの動作確認の時に、安全装置は解除してある。セミオートモードなのがもどかしいが、今はなりふり構っている場合ではない。
その一撃は、完全な不意打ちだった。しかし、狙いが正確ではなかった。銃弾は、ゴーグルを装着した、丘の上のその男の右側へと抜け、向こう側へと消える。
『なに……ッ!? 察知した、だと!? オレが、ここに居ることを察知した──!』
そんな声が聴覚いっぱいに響き渡ったが、柊人はお構いなしに追撃をかける。セレクターを「フルオート」にセットし、トリガーをゲームのボタンのように連打することで、緩急のついた射撃を行う技術「バラ撃ち」で、確実にプレッシャーをかけていく。
それに則し、ゴーグルの男も何発か撃ち返してくる。しかし、それは、前線基地のフェンスに阻まれ、プレッシャーに射線を狂わされ、どれも見当違いの方向に抜けてしまう。
──と、ふと。タイミングをずらした射撃にしてはやけに長い間がおかれたので、柊人は一旦射撃を止め、BAPに備え付けられた合金製のバックパックの側面のボタンを押し込んだ。すると、コンマ5秒ほどで、バックパックから手榴弾が射出されたので、彼はそれを手に取り、そのピンを、躊躇なく抜いた。
ゴーグルを装着した赤髪の男は、今、この瞬間にもリロードをしていた。それは、限りなく無駄のない動きで行われたが、しかし、AR-7に弾倉が装填された時、既に、手榴弾のピンは抜かれていた。
『……まずいな』
次の瞬間。作動を目前に迫った手榴弾を、柊人は、前線基地を囲むフェンスの一角へと投げ捨てた。
衝突、そして、撃発。放物線を描きながら手榴弾はフェンスへと衝突し、一拍遅れて爆発した。
『ま……まさかとは思ったけど、ホントにやっちゃった……』
そんな声が聞こえてきたので、ちらりと兵舎の方を見やると、アリサが、既に避難を終えているのが確認できた。これでもう、彼女が狙われることはない。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、柊人は、手榴弾による煙の中に突っ込んだ。そこにもうフェンスはなく、彼は、そのまま丘の上に向かって駆けることができた。バラ撃ちは、まだ続けている。
『くそ、彼は本当に青年兵か!?』
一件無茶に見える接近だが、柊人にはプロテクターがある。その上、敵の使っているライフルは.22LR弾という、非常に小さい弾を使っているのだ。彼の装甲を簡単に貫通することはできない。
──そう、貫通することは。
『だが──甘い。.22LR弾を舐めていると痛い目を見るぞ、青年!』
次の瞬間、男は柊人に向け、アーマライトARー7を構えた。それにより、彼の視界に、胴体へと伸びる緑色のラインが映る。
それはつまり、男の発射準備が完了しているということだ。奴は既に、引き金にかける指に力を込めている──。
そのラインを身を屈めるようにして回避すると、柊人はお返しだ、と言わんばかりに、手元の89式小銃で攻撃を仕掛けた。バラ撃ちで3発、弾丸を射出したのだ。
しかし、その弾は命中しない。22口径弾が柊人に命中しなかったように、男も柊人の弾を回避したのだ。それも、必要最小限の動きで、である。
──と、そこで、彼と男の間合いは詰まった。柊人にとってそこは、銃剣での攻撃が命中する間合いであり、敵のライフルが無力化できる間合いでもある。
「はッ!」
気合いとともに、小銃の先端に取り付けられた銃剣を、下段から上段へかけて振るう。それは恐ろしく早い一撃であった。見てからこの攻撃を対処するのは不可能だろう。
しかし、男はまたも、柊人の攻撃を回避してのけた。今度は僅かにバックステップすることで、銃剣の通過点から体をそらしたのだ。
(どういうことだ? まるで、こちらの攻撃が「見え」ているかのような立ち振舞いは──)
見える筈がない攻撃が、見えている。まるで、未来予測でもしているかのように。
そんな柊人の思考を中断させたのは、やはりその男だった。次の瞬間、彼は再び発砲したのだ。
しかし、その狙いは滅茶苦茶だ。あらぬ方向を狙っている。このままトリガーを引いても、命中するのは柊人の右横の地面だろう。
(甘い──)
この程度で動揺するようなら、と思考に付け加えて、彼は第二撃を繰り出そうとした。奴のアーマライトから銃弾が射出されると同時、銃剣を中段へ構え直す。
しかし、それはかなわなかった。柊人は、刹那に硬直してしまったからだ。
(あ、熱い………!?)
脇腹が、熱い。
彼は、脇腹に焼けるような痛みを感じて、硬直してしまったのだった。
『BAPを無力化する方法など、いくらでもある──』
その思考を読み取ったところで、柊人ははっとなった。敵の攻撃の正体に気付いたためである。
──曳光弾。弾丸そのものが高熱を帯びている、暗闇で弾道を確認するために作られた特殊弾だ。
男はそれを、柊人の真横へと撃ち込んだのだ。弾を跳弾させ、僅かながら油断する柊人の脇腹を焼くために。
プロテクターは弾の威力を殺す。運動エネルギーを消す。──しかし、有り余る熱エネルギーを完全に消すことはできないのだった。
『終わりだ……ッ!』
その思考が、柊人の頭の中だけに声として響いた直後、視界に緑色のラインが表示される。その狙いは──頭部だ。
彼は素早く頭を、そのラインからそらした。一拍遅れて、さっきまで頭があった位置を弾丸が通過する。
(危ないな。BAPがなかったらやられてた)
俯瞰したようにそう思考すると、柊人は、脇腹の痛みで止まりかける思考に発破をかけ、躊躇なく、小銃のトリガーを押し込んだ。そのまま、指を離さない。
弾倉の弾全てを撃ち尽くさんばかりのフルオート射撃だ。この距離ならば、どう回避しようが、一発は相手に命中するであろう必殺の攻撃。
そして、身を守るものが、貧相な布切れ一枚の奴にとっては、その一発が致命的になる。
刹那、反射的に、手を体の前で構えた男に、89式小銃の弾が向かっていき──。
『ガードしろ、アルファ・ワン!』
それが命中する直前で、弾と男の間に割り込んだ影が、フルオート射撃の弾を全て受け止めた。
(な……っ!?)
おくびにも出さないが、瞬間、柊人は胸中で驚愕した。
男を庇った影。それが、生体兵器の、四足獣型だったからだ。
アルファはその体に、銃弾の全てをめり込ませて絶命していた。いくら頑丈に「創られて」いると言っても、弾倉の弾全てを撃ち尽くすフルオート射撃を相手にすれば生き残れない。
──だが、今ので、柊人の弾は全て切れた。元々、BAPの動作確認に使うための量しか、弾を携帯していなかったのだ。
彼はかつてない速度で、小銃から銃剣をもぎ取り、腰から、安全装置を解除したハンドガンを抜き放った。体格差はあるが、それでも、彼には白兵戦をする他に道がなかった。
(来るなら来い──とことんまでやってやる……!)
「来い、アルファッ!」
ふと。臨戦態勢をとる柊人の前で、男は声高らかに叫んだ。低いが、よく通る声だった。
それと前後するようにして、両者の手の銃が煌めく。──発火炎である。
──それから先に起きたことは、柊人自身、コマ送りのようにしか思い出せない。あまりに多くのことが一度に起こり過ぎたためだ。
先ず、男の放った弾丸が、柊人の右肩にめり込み、熱量だけを肉体に伝えて跳弾し。
次いで、柊人のそれが、男の左肩へと命中した。銃弾は恐らく肩甲骨に当たり、骨を貫通し、血を散らしながら、向こう側へと抜ける。
そして、その一連の攻撃が終わるか終わらないか、というタイミングで、奴がさっき呼んだアルファが、この場に現れた。それはとんでもないスピードであった。まるで、獲物に飛びかかる猛禽類かのような──。
『悔しいが、ここは一旦退くしかないか……』
その「声」が脳に響いた瞬間、柊人ははっとした。逃げられる、と、そう確信した。
しかし、彼に出来たのはそこまでだった。逃走を止めることは出来なかったのだ。
次の瞬間にはもう、男はアルファの背中にまたがっており、そして、超高速で走り出していた。
柊人は負け惜しみで、その背中へ向けて発砲した。9mmパラベラム弾が高原を疾駆し、そして、男に命中する前に、盾として躍り出ていた別のアルファに受け止められ、完全停止する。
逃げられた──。柊人は、そう確信を新たにした。