2150年 7月15日-3
「お、おい、大丈夫かよ!?」
心配そうに叫ぶジョンの声で、水無月柊人は我に返った。
アルファの咀嚼力は、プロテクターでも防ぎきれないほどに強い。その事実を、彼は分かっていたが、それでも、これほどまでの力が出るとは思っていなかったのだ。
奥まで食い込んだ牙が残した傷跡は、今だに疼く。
それで柊人は、しばし呆然としていたのだ。
「だいじょうぶ………です。それよりも、班長を──」
班長。その言葉が出た瞬間、場の空気が、傍目にも分かるくらいに張り詰めた。
そんな中、班員の一人が、フラフラと部屋から出ていく。ジョンはそれを静止しようとしたが、その時にはもう遅かった。
そいつはもう部屋から出ており、目撃していたからだ。
噛み砕かれ、粉々になった班長の亡骸を。
叫び声は──あがらなかった。この場に居る人間は、全員が屈強な兵士だ。でなければ、即応起動連隊などに入隊できない。
しかし、それと同時に、彼らは人間だ。
仮にも、何ヶ月も任務を共にしてきた仲間が死んで──平然としていられるわけがなかった。
叫び声の代わりにあがったのは、嗚咽だった。見ると、班長の亡骸を目撃した彼の頬には光るものがあった。
クリム班長。人望に厚く、真っ直ぐで、誰からも出世頭だと期待されていた人物だった。
気がつくと、武器庫には重い沈黙が降りていた。ここは戦場で、死と隣り合わせの戦場である筈なのに。
「………行こうぜ」
ふと、ジョンがそう言った。
「班長は、俺たちに止まって欲しくないと、そう思ってた筈だ」
その声には、未だ悲しみの響きがこもっていた。
それでも、進む事を選ぶ。彼らは防衛連合の即応起動連隊だ。止まってはいけない。進まなければならない。彼らの敗北は、人類の敗北なのだから。
班長の代わりは、ジョンが務めた。彼は、柊人と同じく、他の一班員よりも階級が高い──「上等兵」だったからだ。
数ヶ月前までは軍属だったとは言え、新入りの柊人が、どうして「上等兵」の階級なのか。それは、本人にはわからなかった。
「先ず、二班を更に分ける。片方が、そこで死んでる四足獣型から鎧を脱がせて、前線基地に持ち帰り、それ以外は任務を完遂するんだ」
二班の人数は元より十分過ぎるくらいあった。それを分割しても、本来の任務には支障がないと判断しての決定だろう。
「これまでの戦闘で負傷した奴はーー回収組に回ってもらう。ここの深部には、ひょっとしたら事前情報にはない個体がいるかもしれないからな」
その言葉に、柊人は肩透かしを食ったような感覚を抱いた。
負傷した奴──その枠組みの中には、当然柊人も含まれる。
しかし、彼はこれからも戦うのだ、と信じていた。これくらいの傷はなんて事もない、まだ戦える、と。
尤も、ここで反論しようものなら、部隊に違和が生まれてしまうので、それを言う事はないのだが。大体「まだ戦える」というのは、彼の個人的なこだわりだ。
その後、手早く、この二班は2分割され、柊人は、アルファの死骸から鎧を剥ぐ事になった。
(なんと言うか、「羅生門」の主人公みたいだな)
では、己れが引剥をしようと恨むまいな。己れもそうしなければ、餓死をする体なのだ──。
そんなことを考えながら、淡々と作業をこなしていく。
鎧は、いくつかの固定装置によって、ぴったりとアルファの体に張り付いていた。そのため、おい剥ぐのには苦労したが、これで、四足獣型単体では、この鎧を着ることなどできないと言うことが分かった。
取り外した鎧は、そこまで重くない。質感に見合った重量だ。負傷をした柊人でも、軽々と持つことができる。
「じゃあ、行こうか?」
ふと、この半班のリーダー(さっき即席で任命された)がそう言ったので、柊人も、その他のメンバーも、怪我を庇いながら部屋を後にした。
──と、その途中。柊人は、地面に、ファイルが落ちているのを見つけた。
(なんだ、これ?)
痛む左腕で鎧を抱えつつ、彼はそれを拾い上げる。
そこには、データ保管用とおぼしきSDカードと、達筆な字で彩られた走り書きが入っていた。見たところ、それは日本語ではない、何やら複雑そうな言語で構成されている。
自分にこれは読めない。そう確信して、それをバックパックにしまって進もうとした時。彼は、その走り書きには、裏があるのではないか、という発想を得て、それを素早く裏返した。
──そして、絶句する。
と言っても、そこには、文字の走り書きなど存在していなかった。
あるのは、画家のデッサンのような絵。
ホラー映画に登場するクリーチャーのような造形をした、二足で立つ、トカゲ型生体兵器の絵だったーー。




