2150年 7月15日-1
──柊人自身、両親から「防衛連合即応起動連隊」への入隊の許可を得る必要はなかった。
何故なら、彼の両親は既に他界してしまっているからだ。今は親戚の叔父さんと妹と、三人暮らしをしていたのだった。
──そして。その二人から許可を得ることも、そう難しいことではなかった。
日本国国防軍の入隊の時。叔父は「ああ、自由にするといいさ」と返し、次いで「生きて帰ってこいよ」と力強く激励して、二つ返事で彼を送り出してくれたからだ。
(別に心配されてないわけじゃない。ただ、俺が生きて帰ってくるのを強く信じているだけだ)
そのことを、柊人はしっかりと理解していた。
妹は──どこか素っ気ない調子ではあったが、止めはしなかった。やはり叔父と同じように「生きて帰ってきてね」というようなことを言われただけである。
──と、このように。柊人の入隊は、命の灯火を滝壺に投げ入れるかの如き決断にしては、比較的あっさりと、苦労なく完了したのだった。
その後、柊人は、防衛連合即応機動連隊へ入隊するための、適合訓練を受けることになった。期間は三日。除隊されてから現在に至るまでのブランクを埋めるにはあまりに短い。
そんな訓練のメニューは、国防軍が志願兵に対して課しているものと殆ど変わらなかったが、一つだけ、覚えのないものがあった。
それは「情報処理訓練」と名付けられたものだった。内容としては、VR技術を利用した戦闘訓練だったのだが、柊人はそれのために、何やら物々しい機械が取り付けられた椅子に座らされたうえで、着座したまま、何故か地面から浮き出る敵を延々と撃ち続ける羽目になった。
(VRを使っているのに全然実践的じゃない……これじゃまるでゲームだ)
柊人は内心そんなことを思っていた。防衛連合の構成員とおぼしき人間に質問しても「ここでは話せない」と言われ話を打ち切られてしまうので、彼はそのうち、考えることを止めた。
そのような訓練を消化しているうちに三日が過ぎ、柊人が前線に復帰できるようになると、彼は直ぐに日本を離れることになった。
ー◇◆◇ー
「取り敢えず、入隊おめでとう、とでも言っておこうか」
柊人は空路を使い、日本の地を去っていた。
そうしてたどり着いたのは、チベット高原に構えられている、防衛連合の前線基地だ。
──そこで柊人を待ち構えていたのは、来馬 荒次郎だった。スカウトのために、わざわざ柊人の家まで出向いた小隊長である。
スカウトは本来、その手の専門家に任せるものだ。実際、他の旅団はそうしている。
しかし、彼は違った。これから一緒に死ににいく相手を見ないなんて馬鹿げている、と考えているからだ。
「その言葉、遅くないですか?」
「いやいや、私と君は今も含めて2回しか合っていないのだ。声をかけるタイミングは、今しかないと思うがね」
言いつつ、荒次郎は手に持った小銃をこちらへと突き出した。
「武器は──これで良かったかな」
89式小銃。でこぼことした特殊なストックを持つ、相場から見れば高価なアサルトライフルである。数ヶ月ぶりに見るその姿に、奇妙なことだが、柊人は郷愁を感じていた。
こと2150年に於いて、日本は、武器の輸出を認めるようになっていた。21世紀初頭の社会では考えられないことだが、百余年の間に、人の心は移り変わり、それに伴って、世論も変化したのだ。
その先端には、事前に柊人が注文していた通りに銃剣が取り付けられている。
それを片手で受け取ると、彼は拳銃を取り出した。9ミリ弾を使う拳銃だ。どこで生産されたものかは──残念ながら忘れてしまった。
「大丈夫です」
言いつつ、柊人は拳銃を腰のホルスターに収めた。
装備は日本で整えてある。後は武器と弾薬さえあれば戦える状態というわけだ。
独立した特殊部隊ということもあり、この部隊の装備は多くが特注されているのだった。
「しかし、すまないな。他の隊員とろくに顔も合わせないまま、戦場に駆り出してしまって」
「それも大丈夫ですよ。用は戦えればいいんです」
大丈夫、と言うものの、他の隊員と顔を合わせていないと言うのは致命的だった。連携に齟齬が生じてしまうかもしれないからだ。
そのことを知らないわけではないだろうに──。荒次郎は僅か不安になった。
「ああ、そう言えば」
ふと、声をかけられたので、荒次郎は柊人を先導しつつ、顔だけを彼の方向へと向けた。
「現場で、事前情報にない個体と交戦したって本当なんですか?」
事前情報。
かつての大戦が終結した後、宗教・軍事大国「ファシット」本国領地のありとあらゆる研究所は、防衛連合の調査部隊によって調べ抜かれた。
そのような人間の内情を覗き見る術は最早ないが、しかし、調査の内容だけは「事実」となっているので、未だこの現実に頑として残り続けているのであった。
(その調査で明るみに出た情報を指して、事前情報──)
その調査で。連合国は、ファシットが、合計で2種類の生物兵器を生産していることを突き止めていた。
虫のような形をとる「ガンマ」と、四足獣の体躯をもつ「アルファ」。それが、生物兵器のすべてである──筈だった。
「ああ。交戦した、と言えるほどではないが──そいつは、虫でも、まして、四足獣でもなかった」
例えるならば、トカゲがそれに当たるだろうか、と、荒次郎は続けた。
「腕に何やら歪な、「盾」のようなものを装着している、新たな個体だ。詳しい情報はないが、尋常な強さではないだろう。まあ尤も、事前情報など大して当てにならんがね。我々は、既に3桁回以上、任務で未知の個体と遭遇した。日本のワイドショーじゃ、そんなことは言っていないみたいだがな」
その言葉に、柊人はゴクリと唾を飲み込んだ。
盾。かつて、恐竜には、それと思しき体機能を備えたヤツが居たと聞くが、それは頭部に、まるでパラボラアンテナのように装着されていたのを指したものだ。「本物の」腕に装着する盾ではない。
しかし、今の荒次郎の言葉から察するに、その新個体とやらは「本物の盾」を持っているのだろう。虫型にも、四足獣型にもない器官だ。
その器官は、まともな生物が持つものではない。それは戦いの中に生きる存在が持つものだ。
(そんな奴に、銃弾が効くのか……?)
銃弾が通用しない相手ではどうしようもない。そのうえ、そんな個体以外にも、未知の個体は存在しているという。柊人は戦う前から、何やら薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
しかし、このまま要塞を占拠されていては、世界が危ないのだ。
やるしかない。そう決意すると、柊人は輸送機に向かって歩き出した。