2150年 7月11日
日本国国防軍を除隊された後でも──。彼の心には、変わらず「空白」と「喪失感」が残っていた。
除隊。それがもたらした衝撃は大きかったし、深く、青年の心に爪痕を残したが、しかし、それでも変わらず世界は廻り続けてるというのが憎たらしい話である。
青年の名前は、水無月 柊人。19歳で、現在は定職に付いていない。
やることもないので。と言うか、無くされたので、今は仕方なくいくつかのバイトを掛け持ちしたりしているが、全く人生に生きがいだとかいったものを見つけられなくなっていたのだった。
(彼女は、どうしてるんだろうか)
柊人が立場を懸けて助けた、同じ部隊の女性が居た。
除隊された今では、彼女に会うことはもうないが──どうせきっと、彼女も軍を離れているだろう、と思考して、彼はいつものように自嘲する。
結局、立場を捨ててまで起こした行動で得られたものは「無」だった。失ったものの方が、得たものよりも遥かに大きい。
──自分は、何のために戦ったのか。
その自問に答える者は、誰も居ない。
ー◇◆◇ー
2150年、7月11日。日本、神奈川県。
「シュウ兄。お客さん来てるよ」
ふと。妹に呼ばれたので、短く言葉を返してから、柊人は玄関へと向かった。
国防軍を去ってから三ヶ月が経つ。後悔しようと、世界を憎もうと、最早取り返しはつかない。
「はい」
横開きのドアを開けて、そこに立っている人物を視認した瞬間。柊人はその場で凍りついた。
そこに立っていたのは、筋肉質な男だった。蓄えられた髭に、皺の深く刻まれた、彫りの深い顔の中年の男である。
一目で戦場に生きる男だと分かった。生粋の兵士なのだろう。柊人は少し萎縮してしまった。
その男ともう一人、ぱりっとしたスーツに身を包んだ、役人風の男が、そこには立っている。その男は筋肉質でこそなかったが、妙な威圧感があり、この場は、閑静な住宅街の一角とは思えない、異様な雰囲気に包まれていた。
「な、何の御用でしょうか……?」
恐る恐る柊人が聞くと、筋肉質な方が口を開いた。
「ふむ。中々いい鍛え方をしているな、青年。何故除隊されたのか──不思議でならんよ」
どきりとした。薄々勘付いていたことではあったが、「除隊」という言葉は柊人にとって、一種のタブーのようなものなのだ。
「国防軍の方──ですか」
警戒心を滲ませつつ、平静を装って柊人が問いかけると、その男は僅かに口元を綻ばせて言葉を返してきた。
「おっと、失敬失敬。なに。別に、君を責めに来たのではないのだ」
良く良く考えれば、この男は質問に答えていない。そのことに、柊人が訝しむような表情をしていると、横の役員風の男が口を開いた。
「彼ーー来馬 荒次郎は、防衛連合即応機動連隊の人間だ。残念ながら、国防軍ではないよ」
見た目に反して声色は柔らかかった。しかし、それで警戒を解くということはない。
世界防衛連合の即応機動連隊といえば、加盟国から優秀な兵士を集め、構成されている機関だ。そこの人間が柊人の家に来るという構図は、本来ならばありえない筈なのだ。
何か裏がある。柊人はそれを確信していた。
「さて。私達がここに来た理由について話させてもらおうか」
──きた、と思った。
荒次郎の言葉は、前置きが終了したことを歴然と告げていた。
「私達は君をスカウトしに来たんだ。──つまりどういうことか、分かるかな?」
荒次郎が言う。
柊人にはそんなものは分からなかった。しかし、ここで分からない、というのも場違いで恥知らずな気がしたので、彼は黙っている。
そんな中、荒次郎が作った流れを無視し、役員風の男が口を開いた。
「まあ、詳しいことはこの書類に書いてある。目を通しておいてくれ」
言い終わると、男は、持っていたカバンの中から書類の束を取り出した。ちらりと目を通すと、そこには、様々な制約が記載されていた。
それは、彼が国防軍に入隊した時に見た書類ととてもよく似ていた。軍隊の書類というのは、どれも同じようなものなのかもしれない。
「──そう、君には見込みがあるってことさ だ。チベットにある「ファシット国」の要塞に突如として現れた「生物兵器」共に、対抗できる希望かもしれないと言っているのだよ」
生体兵器。その名前は聞いたことがあった。10年前、防衛連合が管理していたチベットのファシット要塞に現れた、異形の怪物である。
怪物は旧ファシット国の手によって戦闘用に遺伝子を操作された兵器であり、要塞の保護のために核をはじめとした大規模殲滅兵器を使うことのできない防衛連合は、ここ10年間、果てしない奪還戦を続けているという話だ。
「シリウスに、ですか。それはまた、とんだ見込違いのような気もしますが──」
不躾にそう言うと、横で黙っていた荒次郎が苦笑した。何がおかしいのかは分からない。おかしいと言えば、この状況そのものがおかしい。
「見込違い、か。我々の目は正確だよ。──しかしまあ、君には拒否権もしっかりあるわけだ」
そこで、その男の顔は真顔になった。それと同時に、場の雰囲気も何やら荘厳なものに変容する。さっきまでのそれとは一味違う。
「さて、どうするね? これは、除隊された君に与えられたチャンスなのだ。
ここで、この話を受けるか? ──それとも「除隊」と言う傷を背負ったまま、生き続けるのか? 二つに一つだ。これは君自身の問題であり、君が選択して決めなければならない──。だが、まあ。私としては、君の溢れんばかりの闘争本能と野心は、まだ燻ってるものと思っているがね」
闘争本能と、野心。その言葉に、もう一度どきりとさせられた。
確かに、柊人にはどこかで「現場」に戻りたい、という思いがあったのだ。誰にも話してないし、今更そんなことができるとは思っていなかったので、妄想止まりではあったが。
──見抜かれているのか。いや、これは焚きつけるための煽りだろうか?
「防衛連合の──」
「おや?」
「連合の即応起動連隊といっても、沢山の部隊があるでしょう。仮に話を受けたとして、俺はどこに配属になるんですか」
自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てきた。それは、もしかしたらもう一度現場に戻れるかもしれない、という期待感からくるものかもしれないかった。
「──防衛連合のどの旅団にも属さない、第四独立空挺小隊だ。色々と普通の部隊とは違うところがあるが──基本的には、最前線での空中挺身を主な任務とする部隊さ」
最前線での空中挺身。その言葉は、死と同義だった。
空挺部隊は、輸送機などで前線の後方まで近付き、地上に降下し、任務を遂行する。──その性質上、兵員の損耗率は非常に高い。
なるほどそれは、あの仰々しい注意勧告も納得だ。自ら死にに行く奴はバカか──根っからの兵士だ。戦場という呪縛から、生涯を賭けても抜け出せない。
恐らくだが、この男は、柊人は後者だ、と思っているのだろう。
「まあ、今すぐに決めてくれとは言わない。しかし、君には野心がある筈だ。その力をどこかで有効活用してやりたいという野心が──煮えたぎるような本能が──」
「やります」
尚も言葉を紡ごうとするその男の言葉を、柊人が強引に制した。
──「やる」という、簡潔で重大な一言で。




