2150年 7月26日-1
ファシットの宗教思想は、かつての「大戦」よりはるか以前に、初代教主である、サルーヴァトレという男によって、全世界へと拡散された。
その時、ファシットには支持者とともにそれなりに信者がつき、サルーヴァトレとその周辺の人間は、彼と共同し、布教活動に精を出した。──しかし、新興の宗教であったファシットの信者は、かつて住んでいた土地では迫害されることになる。それは、その教えが、既存の宗教体制に対し、どこまでも挑戦的な内容であったからかもしれないし、はたまた、人間の群集心理が生んだ、新しく、異端なものに対する、根源的な防衛反応であったかもしれない。
その教義内容は偏向極まるものである。柊人も一度、戯れに内容に触れたことがったが、ついぞ一度も、共感することができなかった。
──そんなファシットの、理解しがたい信仰。それが顕著な土地に、彼ら第四独立空挺小隊は、踏み入っていた。
ファシット要塞外周、F-Fエリア。その場所には、チベット高原にはおおよそ似つかわしくない光景が広がっていた。
(地上絵か……あれは……?)
ナスカの地上絵。その、古代人が描いた土着信仰の残骸が、そこにはそっくりそのまま再現されているように見えた。
おおぐま座を象った絵に、首のない人間のヴィジョン。広大な大地全てを、奇怪な絵が彩っている──。
そんなことを考えていると、今作戦に応じて出撃することになった小隊長、来馬荒次郎特務曹長が、機内の一班の班員へ向けて説明を始めた。
「本作戦は、Fエリアの中心部にあるという、「フォリオン神殿」の奪回・再精査によって完遂される」
フォリオン神殿。ファシット思想の宗教的面、フォリオン信仰の聖地に建てられた建造物だ。10年前、生体兵器が大量に発生した際、この場所は多数のシリウスに占拠され、以後手付かずになっていた。
しかし地下施設から持ち帰られたデータの中には、宗教──ファシット教に関する記述が大量に見られた。これらをもって本部は、宗教上の聖地に於いて、ファシット教信者の残党が、シリウス開発を進めているのではないかと推察し、今作線の実行を決定したのだった。
「それでは、三分後に降下する。尚、本作戦では歩兵戦闘車が二機導入されるので、機動には細心の注意を払え。
──宗教的用地の警備は、特に厳重な筈だ。総員、気を引き締めてかかれ」
──こうして、第四独立空挺小隊の面々は、F-Fエリアへと降り立ったのだった。
ー◇◆◇ー
──最もシリウスの少ないと思われる地点に降り立ち、最も警戒の薄いと思われるルートを侵攻する。
F-Fエリアは、地上絵があるとはいえ、普通の、平坦な土地である。そのため、第四小隊は、二機の戦車を先頭に立て、他は、魚鱗陣を取らせている。
三角形の形をとる魚鱗陣で構成された二つの班を、前後するようにして振り分けるのだ。一班が前、二班が後ろへと陣取る。
そうして、エリア中央部の「フォリオン神殿」へと進軍するのだ。
【戦車班1は、前方100メートルの位置を機関砲で狙撃しろ。索敵は私の「異脳」でやる】
荒次郎小隊長の指示が通信回線に飛び、それに呼応して、機関砲が火を吹く。
小隊長の「異脳」については、作戦開始前に説明があったので、今までに任務を共にしてきた小隊メンバーはともかくとして、柊人も理解していた。
射程距離内の敵の位置と、脈拍、体温状態を完全に把握する能力。人間ソナーとでもいうべきその異脳は、正に、軍隊の指揮をとるためにあるかのようなものであった。
──と、ふと。歩兵戦闘車、M2A3「ブラッドレー」主武装、M242 25mm機関砲の撃発音に、柊人は一瞬身を固くした。かつて所属していた「日本国国防軍」のことを思い出したのだ。
(ちょうどあの日も、こんな陣形だったっけな)
彼自身、国防軍には忌まわしい記憶が多く、あまり思い出したいものではなかったので、頭を振って記憶を消すと、眼前の現実に集中することにした。
柊人は、敵が近いのを察し、首筋のスイッチを力強く押し込む。
──脳波を「調整」し、戦闘中だけ、人智を超えた力を身につける。
『ニンゲン、か』
すっかり聴き慣れてしまったアルファの特徴的な声を聞き流し、柊人はFエリアの地面を蹴って進軍する。200メートル先には、大きな湖があり、それが、目的地までまだまだ距離があることを示していた。
【200メートル先の湖だが……生物の反応がある。ひょっとしたら、新型のシリウスかもしれない。警戒だけは怠らないようにしてくれ】
荒次郎がそう言う。彼は、自分の異脳を完全に制御しきっているのだった。まだ能動的に発動するのが難しい、柊人のものとは練度が違う。
『我々の巣を荒らす害虫共が』
ふと。アルファの声が、再び柊人の耳に飛び込んできた。
負の感情が込められた声は、優先的に柊人の耳へと入ってくる。市街地の喧騒と同じだ。彼は、感知できる「心の声」を選り分けている。
──そのアルファは、尚も呻いている。今日は饒舌だな、と俯瞰したような思考を浮かべた柊人は、その言葉に次いで放たれた言葉に、愕然とした。
『なぁ、レイヴよ。あいつら、別に殺してしまってもいいんだろ?』
──レイヴ。それは、間違いなく人の名前だ。
生体兵器は、個体識別名以外の名前を持たないし、自らそれを付け、呼び合うようなこともしない。
つまり。戦場で出る名前は、すべて人間のそれと言うことだ。──それが示す事実は一つ。
この戦場に、存在する筈がない、存在してはいけない、「人間」が居るということだ。
『ああ。いけ、アルファ・ワン。──そして、デルタ・ツゥ』
そいつは、そう言った──のだろう。柊人が聞いたのは、そいつの「心の声」であって、肉声ではない。
だが。何かしらの指示が飛ばされたことは確かだった。──そしてその指示は、アルファと、「デルタ」だとか言う、未確認のシリウスへと放たれたものだということも。
「前方から四足獣型が接近中ッ! 最大級の警戒を!」
柊人は、咄嗟にそう叫んでいた。
「前方だと!? どう言うことだ!」
叫びつつ、一班の先頭に陣取るエフライムはスコープを覗き込んだ。無理もない。敵の位置を把握できる荒次郎小隊長は黙ったままなのだから。彼に索敵できず、柊人にのみ索敵できる敵が居るなど、誰が信じよう?
──だが、敵が居るというのは現実だ。エフライムがスコープを覗き込んだ時、全ては既に手遅れだった。
あらかじめ接近を察知していた、中央の荒次郎によるフルオート射撃も虚しく──陣形を組んだ小隊側面の湖から飛び出てきた、蛇のような生体兵器が、小隊側面の戦車に取り付いていたのだから。
「新型だ! 撃ち殺───」
ふと。飛びかけた指示は、声が発せられる直前で遮られた。
機銃の、撃発音によって。
その機銃は、たった今、新型のシリウスに取り憑かれた歩兵戦闘車のものではない。──彼方より、こちらへ向かって放たれたものだ。
(まさか。──「鎧」持ち四足獣型か……!?)
柊人の心に、忌まわしい「それ」の存在がちらつく。倉庫にあった鎧には機銃が取り付けられていた。ありえない話ではない。
──この戦場に、鎧持ちが居り、その機銃が問題なく起動していると言うのは、ありえない話ではない。
機銃は、荒次郎の脇を逸れ、後方の第二班の、その二等兵の耳に激突し、貫通して後方へ抜けた。全てが終わった後、思い出したかのように、彼の右耳が消し飛び、まるで間欠泉のように鮮血が吹き出す。
「ぐああああッ!」
その叫び声は、一瞬、第四小隊の面々を呪縛させた。
その一瞬で、十分だった。奴にとっては、十分であった。
次の瞬間、水を散らしながらこちらへと走りこんできたアルファは、ブレーキ代わりに、新型シリウスが取り付いていない方の歩兵戦闘車へと爪での攻撃を見舞い、装甲を僅かに破ってから、悠然と、魚鱗陣をとる部隊へと突っ込んだ。
そいつの餌食に選ばれたのは、第二班の殿の一等兵であった。一瞬で、彼女と、鎧持ちアルファの間合いは詰まり、爪と、牙の射程距離に収められる。
アルファは、何の躊躇いもなく、彼女の喉笛を噛み切った。鮮やかな跳躍で、一部の隙もなく。──叫び声は、あげられなかった。
「第二班は「方円」をとれ! アルファを近づけさせるなッ!」
二班の統率を任された伍長が、そう、叫ぶように指示を飛ばす。彼らが切迫しているのは、誰の目にも明らかだった。
二体の敵に、第四小隊は完全に翻弄されてしまっている。こんな情けない話もないが、事態は、これだけで終わらなかった。
ーー柊人の脳に響いた声は、冷酷に、しかし、燦然と、戦局が更に悪化するであろうことを告げた。
『母虫型・スリー。引導を渡せ、第四小隊に』




