2150年 7月15日-8
「本来ならば……前線基地の器物破損は軍規違反なんだがね──。事態が事態だ……今回は特例ということで許容するが……これっきりにしてくれよ、水無月上等兵?」
どことなく厳しい顔をする荒次郎に、柊人は内心、萎縮してしまっていた。
彼は特例ということで許されたのだし、荒次郎も、それ以上責め立てるつもりはないのだろうが、しかし、「来馬荒次郎」という人間が放つプレッシャーは、そんな事実を超越して柊人を圧倒している。
──それが、荒次郎が、日本人でありながら、第一旅団の第四小隊長を務められている所以であった。
「はい。申し訳ございません」
「まあ、これっきりにしてくれれば、私も追及はしないよ。──それよりも、だ」
ふと、荒次郎は話題を転換した。
「君が交戦したという、赤髪のファシット兵について──追求させてもらおうか」
赤髪のファシット兵。生体兵器を従え、動作予測ができる柊人と同等以上の立ち回りを見せた、あの男であった。
「奴は、何か言っていたか? 基地のこと、自身の勢力のこと……何でもいい」
「いえ、特に何も──」
否定しかけたところで、柊人は言葉を押しとどめた。
(そう言えば、奴はこう言っていなかったか? そう──「BAPを無効化する方法など、いくらでもある」と)
あの時は気にならなかったが、しかし、よくよく考えてみれば、ファシット兵がBAPのことを知っているというのは、おかしな話である。
「ああ。そう言えば、奴はBAPについて、何やら知っている風でした」
「──BAPについて、か?」
はい、と、荒次郎の問いかけに答えたうえで、柊人は言葉を紡いだ。
「それで、奴は曳光弾を持っていたのです。昼間には使えない弾丸を──BAP対策としか思えない弾丸を」
「──調べる必要がありそうだな。万が一、こちら側の情報を流している「内通者」でも居ようものなら、我々はおしまいだ」
その声色に、冗談の響きは含まれていなかった。
ー◇◆◇ー
その部屋は、窓一つない、薄暗い部屋であった。照明器具はあるにはあるが、それでも、光源としては頼りないほどの光しか放出してくれず、結果として、その部屋は繁華街のパブのような怪しげな雰囲気を醸し出していた。
その部屋に、一人の男が入ってきた。ゴーグルを装着した、赤髪の男である。その額には汗が浮かんでおり、心なしか、疲れているようにも見えた。
「おかえり、イリーヴ」
声をかけられた瞬間、赤髪の男は顔をしかめた。ゴーグルを乱暴に外した上で、不機嫌そうにそれに返答をよこす。
「──あのな、ミラ。LEIVだって、何度言ったら分かるんだ。俺はレイヴだ」
「ごめんごめん。──それで、どうだったの?」
微笑みつつ、男を「イリーヴ」と呼んだ少女は質問を投げかけた。それは相手任せな、抽象的な質問であった。
しかし、赤髪の男レイヴは、その質問の意味が分かっているようで、的確に返答した。
「一人──相手の兵卒に見つかったな。なんとか切り抜けたが、こちらの存在が知られてしまった」
レイヴはごとり、と、その部屋のテーブルの上にあるものを置いた。それは、アーマライトAR-7と呼称される、小口径の狙撃銃であった。
防衛連合即応起動連隊の前線基地を襲った男が持っていた、ライフルだ。
「おいおいおいおい、おい。冗談じゃねぇぞ、レギンレイヴよぉ?」
言葉と同時、レイヴの頭部を、拳銃弾がかすめた。言葉の射手と、拳銃の射手は同一人物だ。──この部屋に居るのは、「ミラ」と呼ばれた少女と、レイヴだけではない。
「──ゲル」
ゲルと呼ばれた彼は、スキンヘッドの男だった。鋭い眼光と筋肉質な体を持っている──。一目で軍人と分かる、分かりやすい男だ。その身にまとっている軍服は、茄子紺色ではなく、黒である。
「お前が言い出したんだからな。防衛連合国の前線基地は見といた方がいい、ってな。それでライフル抱えて、襲撃しに行った結果がこれだ! ──見つかっちまったら元も子もねぇだろうが!」
ゲルは殆ど絶叫するような調子である。無理もない、彼らは見つかってはいけない立場だったのだ。
「──今、こちらの存在を認識されるわけにはいかないと、君も分かっていた筈ですけどね?」
そんなゲルに続けて言ったのが、端正な顔立ちの、知的そうな男である。こちらはゲルとは対照的に、とても兵士のようには見えない。
「ミスト、お前も居たのか」
ミスト。それが、その知的そうな男の名前であった。
「レギンレイヴ、お前、しくじったなぁ、え?」
「──その名前で呼ぶな、『雑音』のゲル」
レイヴは意趣返しだ、と言わんばかりに言い返した。その声には、どこか冷淡な響きがあった。
「てンめぇ……オレは『賛歌』だ。賛歌のゲルだ! そういうお前は、『明星』のレギンレイヴだろうが」
「だァから──その名前で呼ぶんじゃねーよ」
尚も言い募るゲルに、レイヴはやはり不機嫌そうに返す。
「しかし、以前からあなたは解せませんでした。何故、与えられたコードネームである「レギンレイヴ」を名乗らないのです?」
そう言われ、レイヴ──いや、レギンレイヴは、一度瞑目してから、再び目を見開いた。──その、紫色の目を。
彼の前に居る二人、ゲルとミストも、紫色の目をしている。
「前に言わなかったか? 俺は男だぞ。どうして、女の名前なんぞを名乗らなきゃいけない?」
ヴァルキリー。それは、北欧神話に登場する、半神の戦乙女のことであった。レギンレイヴもゲルもミストも──全て、その「ヴァルキリー」の一柱の名前である。
──ファシット教は、既に世界真理としての性格を失い、今や人文学の研究対象か、創作のための素材としてしか意味を見出されなくなった北欧神話を、その教典に取り入れているのであった。
要は、体のいい「盗作」である。尤も、著作権の保護期間は数百年前に過ぎているが。
「お、お前なぁ……教典に逆らうつもりか………?」
呆れたような声色でゲルが言う。彼に──いや、彼らにとって、ファシット教と言うのは常識そのものなのだ。それをぞんざいに扱われて、いい気はしまい。
──しかし、かくいうレイヴも、その「ファシット教」に心酔している一人の筈である。
「別に逆らっちゃいない」
淡々とした調子で返すレイヴにため息を一つついたのはミストだ。彼は、その紫色の目に冷静さを宿したまま、口を開いた。
「まあ、そんなことはどうでもいいですよ。重要なのは、あなたが何を見てきたか、です」
「ゴーグルの戦闘記録を解析すれば分かることだと思うがな。まあいい、話すよ」
レイヴは言いつつ、背後にあった椅子へと腰掛けた。疲れたような様子は変わらないままである。
「敵は、BAPを使ってた。そこまでの知能はあったってわけだ」
「旧人類にしちゃよくやるな」
ゲルが意味深なことを言う。しかし、レイヴは聞き流した。
「だが、やはりバカだった。──全く思い当たらなかったようだぜ、奴さんは」
レイヴは、床に落としていた目線を上げた。そして、部屋の一点を見据える。
そこには、「それ」があった。優美な曲線を描く、レーサーのようなヘルメットに、中世の騎士が使う鎧のような雰囲気を持ちながら、どこかメカニカルな意匠のある全身武装。それは、配線を使う関係上、仕方なく金属で作られている、時代倒錯ぎみのある一品──。
「まさか俺たちが、同じものを作ってた──なんてな」
──プロテクターと呼称され、連合国とファシット側の両方から呼ばれている、人間の限界を突破するための装備だった。




