プロローグ
この作品は、今(2019年現在)から百余年後の物語です。
しかし、この作品内の大陸は大きく移動しておらず、世界的な問題もそのままで、おまけに、人間たちは苛烈な闘争に身を投じたりします。──言ってしまえば、政治的なリアリティーが殆ど介在しない小説なのです。
だから何だ、という話ですが、作者としては、その前置きを言わなければいけないと思い、ここに書かせていただきました。
それでは、本編をお楽しみください
西の空に、星が輝いている。
星、と言っても、満天の夜空に輝く恒星の類ではない。太陽からの光を反射して輝く惑星のことだ。今、どこまでも開けた大地の空に輝いているのは金星ーー宵の明星であった。
──チベット高原、北東部。
その少女が立っているのは、そこである。防寒着は着ているが、しかし、銃の一つも持っていない、無防備で不用心な少女であった。
その少女の周りには、砂漠迷彩の施されたの戦闘服を着た、兵士と思しき男たちが倒れている──。
「──あなた。あなたは、何なの」
ふと。たどたどしく、困惑の表情で、少女が口を開いた。その言葉の向く先は、眼前の、黒い軍服を着た、赤髪の男。
「……「何なの」か。どう答えればいいんだろうな、そういう質問って」
男は、少し面倒くさそうに言い捨てた後で、左手で頭を掻いた。
その右手には、ロシア製のアサルトライフルが握られている。──ストックに返り血がついた、使い込まれたアサルトライフルを。
少女の周囲に転がっている死体の全ては、男が作り出したものだった。アサルトライフルの掃射で、10秒とかからず。
「お前、名前は何という?」
赤髪の男が質問すると、少女は、
「ない……名前なんて………」
と不可解なことを言った。少女の着ている服は小綺麗で、名前も与えられていないような、逼迫した環境で生まれ育ってきたようには見えなかった。──それなのに、少女は名前などない、と言う。
「そうかい」
その言葉に、男は少し考え込んだ。
「じゃあ、今つけてやろう」
「──え?」
少女はますます困惑した。周囲に転がっている兵士から自分を「守った」男が、今度は名前をつけると言うのだ。
「ミラ。お前は今日から、ミラと名乗ればいい。──まあ、嫌なら変えるが……どうだ?」
それは気を使っているように見えて、その実ぶっきらぼうな言葉であった。
しかし、少女は、そんな男の口調に、嫌悪感は覚えなかった。
「──いいわ。「ミラ」と名乗ればいいのね」
不思議と、少女の困惑は消え去っていた。
「で、私がミラとして………あなたは何なの? 名前は?」
この単純な質問に対しても、男は少し考え込んだ。──やや間をおいて、彼は返答する。
「──レイヴだ」
「イリーヴ?」
少女のおうむ返しに、男は少し眉を寄せて、
「LEIVだぞ、英語発音だ。ちゃんと発音してくれ」
と答えた。
「ふうん、レイヴ、ねえ………」
「どうだ、格好いいだろう?」
少し冗談めかして、男は言った。とても、数人の兵士を殺した残虐な男には見えない。
「──変な名前だわ」
そう言って、少女は微笑した。
──これは、星と柊の物語である。
世界の全てを敵に回しても、悠然と光り続ける星と、一本だけで独立して立つ、孤独な大木。
木は星に届かない。しかし同時に、星も木に届かない。
──それでも運命は、星と木を引き合わせる。




