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第5話 ある日の河原

「よっしゃ! やっとクリアかぁ……」


 ゲーム機片手に、勢いよくガッツポーズを決める少年。

 現在4月9日。翌日には始業式を控えているのに、そんなことはつゆにも考えず、趣味に時間を費やしている。実に彼らしいとも言える。


 約2ヶ月間、2人はほとんど話さなくなっていた。というのも、彼のクラスでは"最後の席替え"が行われ、それで席が離れてしまったのだ。

 残念なことのはずなのに、悲しむことはなかった。その事実を冷静に受け止め、黙々と授業に勤しんでいた。お陰で僅かながら成績が上がり、先生や親には褒められ、友人からは驚かれた。


 しかし、どれだけ時間が経とうとも、心の隙間が埋まることはなかった。


 エンドロールを目で追いながら、彼女はどこまで攻略したのかな、などと考える。ともすると知らない間に追い越されていて、もうクリアしているかもしれない。

 画面の中では、主人公が小高い丘に役目を終えた(つるぎ)を埋め、仲間たちと去ってゆく。右下には「Fin」の文字。


 続けてきたRPGが終わった時に、虚無感に襲われるという人は多くいる。何本ものソフトをプレイし、戦闘システムやトラップなどに慣れても、この虚しさに慣れることは多分ないだろう。

 最近同じような感覚があったなと考え、すぐに答えがでる。現在進行形で続いているこの"喪失感"だ。


「宿題でもするか」


 ノートを広げ、教科書を鞄から出そうとするが、手を滑らせた。中身の何冊かが床に落ちる。最後に落ちた数学の教科書を片手でつまみ上げ、机の上に広げる。

 154ページ、「基本問題」の文字。問2の文字の周りが何重もの丸で囲まれている。

 こんな簡単な問題を間違えたのかと、彼は思わずため息をついた。


 ──そして、思い出した。

 "こんな簡単な"問題を間違えた時のことを。


 別に大したきっかけではなかった。

 授業中に考え事をしていて、見事に指名されてしまった所を彼女が救ってくれた。ただそれだけのことだった。


 そんな偶然から話が始まり、気がつけば赤い箱を渡されていた。今思えば実に唐突な出来事だ。

 別れ道をわざわざ引き返してまで渡してきたそれは、所謂"バレンタインチョコ"というもの。結局事実を確かめないまま、今も冷凍保存している。市販のチョコの包装を見たが、賞味期限は3ヶ月先だった。


 あの時の、恥ずかしそうな笑顔の意味が未だに分からない。その時は恐らく舞い上がっていたのだろうが、翌日のあの会話が熱を覚ました。無表情というよりも感情を隠したポーカーフェイスが、寝ても覚めても脳裏に浮かんだ。


 確か、2人の関係が気まずくなったのはそれからだ。

 教室で顔を合わせても、彼女はあまり反応しなくなっていた。口を開いても挨拶を交わす程度だ。共通話題のゲームの話も、もう長らくしていない。

 何故こうなってしまったのか。バレンタインという一大イベントで、相手からチョコを渡されたというのに。どこかで間違えたのだろうか。


 宿題はあっという間に終わった。文句無しの満点で、天才かもしれないと錯覚した程だ。

 もしも始めからこのくらい勉強していたら、授業についていけないことも無かった。指名されて困ることも無かった。そうすれば……彼女に教えて貰うことも無かった。


 頭を横に降った。どうも今日は、思考が同じところで巡り続けているらしい。一旦考えを振り払って、脳内をリセットしようとする。

 彼女との関わりは自然消滅した。お互いの存在を意識する必要も、何か想いを馳せる理由もない。そう、元々他人だった2人が、他人に戻っただけ。


 それなのに、どうして。


 突如、電話のベルが鳴り響いた。居間の方からだ。

 今は彼以外留守にしているので、他に出る人はいない。部屋を出てすぐに、電話の着信画面が見えた。"キシカワ"と表示されている。


「もしもー、進級おめでとー」

「お前ってそんなキャラだっけ? ……まあいいや、おめでとう」


 普段通りの適当な電話主と挨拶を交わす。


「で、急にどうしたんだよ」

「ああ、暇だから誰か相手してくんないかな~ってな」

「長電話は苦手なんだけど。じゃ──」

「待て待て、すぐ切ろうとするなよ!」


 受話器を戻そうとすると、彼は大声で会話を繋ぎ止め、具体的な要件を話し出した。




 目的地までは自宅から学校の方面へ進み、通り過ぎで更に15分くらい歩く。先程トラックが通り過ぎたきり、車ひとつ通らないような小道だ。

 普段誘われた時には自転車で行くのだが、生憎故障中だ。修理に出そうにも、壊れたその日に自転車屋が移転する、という不運っぷり。


 若干足の疲れを感じ、己の不運を呪いつつ脚を進める。やがて建物の数も少なくなり、向こうに橋が見えてきた。目的地はすぐそこだ。


「山下、遅いぞー」

「遅れるって言っただろー。お前はチャリだけど、こっちは歩きなんだからな」


 岸川が自転車に乗ったまま迎えに来た。上下とも黒ベースのジャージで揃えている所が、いかにも陸上部らしい。目の前まで来ると反転し、速度を徒歩に合わせる。自転車のカゴにはグローブが2つとソフトボールが1つ。


 唐突ながら、「キャッチボールでもしないか?」という岸川の提案で、近くの河原へ行くことになった。彼とは1年程の付き合いになるが、時々この場所に来てはキャッチボールだのサッカーだのしている。当然2人とも初心者だ。

 岸川が「行くぞ~」と、あまり気合いの入っていない声を上げ、腕を軽く降り出した。ボールがフラフラと飛んでくる。


「おい、もっと力入れろよ」


 半歩動くだけでボールを捕らえた彼がそう言うと、岸川は片足立ちのまま頭をかく。


「悪い悪い。なんか、久しぶりな気がして」

「この前もやんなかったか? 確か、2月の最初の方」

「それでも2ヶ月だぜ? 身体もすっかりなまっちまったなぁ」

「……陸上部はどうしたんだよ」


 すると、何がおかしいのが大声で笑いながら、相変わらず軌道の安定しないボールを放ってきた。

 彼の事情はあまり深く考えないことにした。"気ままに生きる"がモットーの男に理屈は通じないらしい。


 それから何十分たっただろうか。

 岸川が何度目かに放った球が、横風によって大きく左に逸らされ、走って取りに行く羽目になる。ボールは川の寸前の水際に落ち、丸石の狭間で止まった。

 球を拾い上げ、岸川の方へ投げようとするが、その前に彼が駆け寄ってきた。開いたグローブに、濡れかけたボールを手渡す。


「疲れたなぁー。ちょっと休もうぜ」

「早いな……。ま、いいけど」


 岸川の提案に賛成し、水辺から少し離れた河原に腰を下ろす。耳を澄ますと、水の流れる音や、そよ風に草が揺れる音が聞こえてくる。


「この場所、結構良い眺めだよな。お前に教えて貰うまで、こんなとこ全然知らなかった」

「ああ。一昨年……俺が1年の時、陸上部の先輩に教わったんだ。先輩は3年生だったから、今はもう高1だな」

「そういえば俺たちも、もう3年になるんだな……」


 最高学年であると共に、高校受験という関門が控えている。今までは流されるように学年が上がってきたが、高校からはそうはいかない。


「なんせ、自分で学校を選ぶんだもんなぁ。全然想像つかねぇ」


 岸川が遠くを眺めながら言う。その意見には全く賛成だった。


 ぼんやりとしか考えていなかった現実を、目の前に突きつけられる。義務教育は今年度で終わり。通う"義務"が無くなるということは、通う"宛て"が無くなるとも取れる。

 ということは、明日から始まる学園生活こそ、自分達に残された最後の猶予ということか。


 若干ネガティブな考えになりつつあったが、それも岸川の声によって遮られた。


「まあ、何とかなるさ。いいや、意地でも何とかする」

「気合い入ってんなぁ……。目標でもあるのか?」


 尋ねると、目に炎を灯しそうな勢いで答える。


「親の家業を継ぐ! っていうと大袈裟だけど、要するに医者だね」

「十分過ぎる覚悟だと思うよ。俺なんか、何の宛も無いんだぜ。今年の勉強とか行事とか、それこそ──」


 そこで口を噤んだ。どうしても、彼女が頭をよぎってしまう。


 たった1度隣席になり、ほんの少し話をした。その後の関わりも、日常的にというには頻度が少なく、まだ友達とも呼べないような関係だった。

 それを何故、こんなにも意識してしまうのだろう。


「あ、そうそう。桜井さんなんだけどさ」


 思わず「えっ!?」と素っ頓狂な声を漏らし、座ったまま後ろへ飛び退く。一瞬"思考を読まれた"などと勘違いもしていた。それを見た岸川はまたも笑っていた。


「ッハッハッハッ!! どうしたんだよ、そんな呆けた顔しやがって」

「いや……何でもない」

「お前も気にしてたんだろ、桜井さんのこと」

「…………別に」


 言い淀んだのを目ざとく見つけ、更に責め立ててくる。


「今ちょっと動揺しただろ? やっぱりなー」

「うるせぇな。お前にはどうでもいい事だろ」

「何言ってんだ! 俺たち親友だろ?」

「それはもう分かったから。……で、桜井さんがどうしたんだよ」


 再び彼は「やっぱ気になるだろー」と挑発してきたが、構っていてはキリがない。大人しく彼の言葉を待つ。

 彼の話はようやく内容に入った。何故か、言葉のトーンが落ちたのが気になった。


「いや、桜井さんなんだけど、さ……」


 一段と強い風が、後ろから襲いかかった。




「──転校するらしいよ」

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